悲しみの肯定 - THE BACK HORNからの人間賛歌

『誰もがみんな幸せなら歌なんて生まれないさ
だから世界よもっと鮮やかな悲しみに染まれ』
THE BACK HORN/キズナソング)


こんなにも鋭利で鮮烈で、そして優しい言葉はなかなか見つけられない。
私はしばしば、「歌い出しが素晴らしい曲は、その時点で名曲だ」と思うことがあるのだが、そういった中でも群を抜いて好きな歌がこれだ。

「誰もがみんな幸せなら」。普通は「どんなにいいことでしょう」と続けてしまいたくなるのではないだろうか。
だってそりゃ、誰だって「幸せ」を肯定したい。「幸せ」を手に入れたい。「誰もがみんな幸せ」な世界は、普通に考えれば理想郷だろう。
けれど現実はあいにくそうはいかない。心から胸を張って「幸せだ」と声高に叫べる人間はいったい何人いるだろうか。

世界に「幸せ」は溢れていない。でもその代わりに「歌」が溢れているのだとすれば、今のこのどうしようもない僕も、幸せだと笑えない私も、少し肯定してみようかと言う気持ちになる。
世界に肯定された、気持ちがする。
たったワンフレーズで、「幸せ」から程遠い人間に手を差し伸べたTHE BACK HORNは、次のフレーズでこう続ける。「だから世界よもっと 鮮やかな悲しみに染まれ」。
悲しみは、決して忌み嫌われ、封印される感情ではない。喜びや慈しみと同じく、鮮やかで美しく、尊い感情なのだ、と言われているようだった。


この曲を聞いた当時、私は多分、高校2年生。17歳の年頃だったと思う。世間に溢れる歌というものは、キラキラ輝いていて、夢や希望に溢れたものが多かった。
そんな中のめり込んだ邦楽ロックは、人のどす黒い感情を歌ったり、クズで最低な人間の歌や、反骨精神溢れる歌を叫んでいて、表立っては言えない苦しみや悲しみを叫んでくれる彼らに、酷く共感し、心が安らいだ。

その中でもひときわ異彩を放っていた、THE BACK HORN。
初期の曲は特に鬱々と暗い歌が多く、しかしその奥底に流れる血潮のようなギラギラとした生命力に、生と死のコントラストがバキッと力強い陰影を与え、夏の終わりの影法師のようなバンドだった。
彼らのそんな魅力に取り憑かれて、学校の先輩から借りたMDに入った3rdまでのアルバムを、ぐるぐるとリピートし続けていた。
そんな日々の中、ついに発売された4thアルバム『ヘッドフォンチルドレン』。ジェットコースターのようなこの怪盤、いまだに私は屈指の名盤だと信じて疑わず、初めてTHE BACK HORNを聞くと言う人にはまずはじめに勧めている一枚だ。
冒頭で引用させていただいたキズナソングは、このアルバムの後半に収録されている。(余談だが、このアルバムはセトリも合わせて完璧なので、初見はどうか最初から終わりまで順番に聞いて欲しい)

このアルバムを聴くまでの私は、多分彼らに「行き所のない感情の発散」だとか「クソッタレな世界に一矢報いる」だとか、そんな攻撃的な感情を重ねて聞いていることが多かったのだと思う。
けれど、このアルバムを聴いて、彼らは正も負も、生も死も、人間の成す全てを愛しているのかもしれないと思った。
それに気づいた、というか腑に落ちたのは、「人間のすべての感情を歌いたい」というフレーズ。これは浅学ながら、SNSの海の中で見かけた言葉で、多分意訳であって、もしかしたら本人の言葉ではないのかもしれないのだけれど、私にとってはそれが正解のようにしっくりとピースがハマった。
彼らが言った言葉かどうかは、定かではなくとも、彼らの音楽から受け取るメッセージにはピタリとハマると感じたのだ。

悲しんでもいい。憎んでもいい。死にたくてもいい。だけど生き延びてやろう。
彼らは悪感情も遍く肯定する。

生きている人間に、マイナスな感情が一切発生しないとは思えない。
けれど人はどうして、それを見ないふりで生きて行こうとするのだろう。
もちろん、憎しみ続けて身を滅ぼすとか、理不尽な嫉妬で周囲に害を及ぼすなんてのはナンセンスだ。
だけどその感情が発生したことさえ次々に握り潰していては息が詰まる。
いつもいつも、マイナスにだけ目をつぶっていては、いつかバランスが崩れると、個人的には思うのだ。
だから、行き所のない怒りや悲しみを私たちの代わりに受け止め、発散してくれる彼等が好きだった。
わかるよ、と。ただ一言言ってもらえるだけで、楽になった。

けれどキズナソングはこう続く。

『ありふれた小さなキズナでいい そっと歩みを合わせてゆく僕ら
街中にあふれるラブソングが 少し愛しく思えたのなら素晴らしい世界 』

キズナ、ラブソング、愛しさ、素晴らしい世界。文字だけで見ればキラキラした言葉のオンパレードなのに、決して押し付けがましくなく、薄っぺらくもなく、血液に染み入るように穏やかに体に響いてくる。
しかもその後さらにこう続くのだ。

『だけど時が過ぎて悲しみは巡る
そして歌が生まれ 僕ら綺麗になってゆく
日差しの中で』

天才としか言いようがない。
悲しみという、マイナスな感情さえ、彼らにとっては日々を輝かせる美しく鮮烈な『人間』の感情なのだろう。
この歌はもう10年以上昔の歌になるのだが、今でも色褪せることなくわたしの心の支えになっている。
もし彼らにそんなつもりがなかったとしても、勝手に励まされた私にとって、この歌は間違いなく「賛歌」だ。
そして、この歌に限らず、THE BACK HORNの芯に流れる熱情は。
人は生きているだけで、美しいのだと、否が応でも肯定される。


人生が苦痛でしょうがない人、退屈でしょうがない人、生きる意味を見失いかけてる人。思い切り泣きたい人、モヤモヤで吐き気がする人、世界をぶっ壊したい人。
もし、もし少しでも余力があったら、THE BACK HORNを聴いてほしい。

そして、「生きてまた」貴方に会いたい。



この作品は、「音楽文」の2019年3月・入賞を受賞した茨城県・夏生あおいさん (30歳)による作品です。


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