あの日の少年と未来図 - ポルノグラフィティと共に歩んだ20周年イヤー

2019年が終わろうとしている。

ポルノグラフィティにとってデビュー20周年を迎えた記念すべき年である。

記念が大好きなポルノグラフィティチームによって「20周年イヤー」と題されたそれは、2018年9月8日から始まった。ポルノグラフィティの故郷である広島県尾道市で開催された「しまなみロマンスポルノ’18~Deep Breath~」。20周年イヤーのキックオフと銘打たれた2daysである。

ところが開催前の7月、西日本で大規模な豪雨被害が起きた。一時はライヴの開催も危ぶまれたが、ポルノグラフィティが決断したのは、ミュージシャンとしてできるポジティブな道、音楽を奏でるという道だった。そして、ライヴに関する全ての収益を被災地に寄付するというアナウンスがされた。故郷を想う彼ららしい決断だが、これだけの規模のライヴイベントの全ての収益を寄付するというのは、並大抵の決断ではないだろう。

やってきた当日、雨の尾道。そこで初日のライヴが行われ、雨にも負けない力強い演奏をステージで見せたのだった。しかし翌日、2日目が行われるはずだったステージは、豪雨による避難勧告の発令で中止を余儀なくされた。

後にドキュメントとしてテレビ放映されたが、2日目でステージに登場するはずだった因島高校の生徒たちを前に、メンバーから中止を伝える場面は涙なしには見られないものだった。そんなメンバー2人へ「唄いましょう」と明るく答えた高校生たち。舞台裏で行われた合唱、音楽で地元を助けようとした2人を、音楽が救った瞬間だった。

本人たちの悔しさや悲しみを思えば、それがいかに辛いものか、想像がついてしまう。なぜなら、こんな事態になった時に、彼らが自分たちではなく、関わっている人々のことを真っ先に心配してしまう優しい人たちだと知っているから。

2日目の中止を受けてチケットは払い戻されることとなったが、ファンからは「中止で払い戻しなら、少しでも観光してお土産を買って広島にお金を落として帰ろう」「チケットの払い戻しはしなくていいから、そのお金をそのまま被災地に寄付して欲しい」という話が出た。

そんな声が伝わり、岡野昭仁は「僕らはなんて素敵なファンたちに愛されているのだろう」とより強く思わされたという。

1ヶ月と少しの日が経ち、2日目中止の雪辱を果たすべく、初日の映像を利用して全国の映画館でのライヴ・ビューイングが行われた。ライヴの映像だけでなく、中継が繋がれ、故郷因島にいるメンバーの姿の映像も届けられた。

あの日のライヴを思い出しながら映像を見ていると、中盤、ある曲に入るところで因島の中継に切り替わった。ライヴ中止を告げた時のドキュメント映像が流れた後、そこに映ったのはポルノグラフィティの2人と、あの日ステージで一緒に唄うはずだった高校生たちの姿。

生中継で唄われた”愛が呼ぶほうへ”は、涙でぐちゃぐちゃになった視界の先で、どこまでも美しくキラキラと輝きを放って響いていった。日常に寄り添う音楽が時に魔法になる瞬間がある、そんな瞬間がこの”愛が呼ぶほうへ”にはあった。


『花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ 』


それはきっとどこまでも誠実なポルノグラフィティだからこそ、導かれた場所だったのだ。

それが20周年イヤーの始まりだった。


2018年12月から2019年3月まで行われたアリーナツアー「16th ライヴサーキット”UNFADED”」。アルバムのリリースを伴わない上に、サブスクリプションサービスで全曲が解禁になったということで、全曲がセットリスト対象になると宣言される。そのファンからすれば恐ろしさすら感じるテーマは、かつての楽曲たちが「UNFADED=色褪せていない」かを確認してもらうというもの。

それを表すように、初期の楽曲から最新曲まで縦横無尽に選ばれた曲たちが次々と披露され、色褪せない曲たちがファンを驚かせ、喜ばせた。そんな濃厚なツアーの本編最後の曲を前に、岡野昭仁は言った。

「色褪せない、色褪せてはならないものがあります」

その言葉から”∠RECEIVER”が演奏された。


“∠RECEIVER”は2010年3月にリリースされた8thアルバム「∠TRIGGER」の1曲目を飾る。地球の裏側でも、僕たちの足下でも起こりうる事態を受け止めていかなくてはならないという決意の曲だ。

その1年後。2011年3月11日、僕らの足下にある地面は強く
揺れ、波は全てを奪っていった。


『雨が家を沈め 波が町ごとさらった 奪った
大地は揺れて裂けた 人はうろたえるだけの無力さよ
小さきこの存在』


“∠RECEIVER”はそんな歌詞で始まる。だからこそ、もしかしたらもう演奏されることはないのでは、そうファンの間では噂されたりもした。

2011年9月。静岡県のつま恋でポルノグラフィティはあの震災後初のライヴを行った。ライヴは震災で犠牲になった方たちへの黙祷から始まった。

そのライヴは「みんなの想いを東北へ、日本中へ届けましょう」という”アゲハ蝶”の美しい合唱で本編の幕を閉じ、アンコールではお祭り感はそのままに盛り上がり、ライヴ最後の定番曲である”ジレンマ”で終わった、かと思われた。

しかし、岡野昭仁と新藤晴一はステージに残った。


「現実は嬉しいことや、楽しいことばかりじゃなくて、辛いことや苦しいこともあって。今ある幸せを確かめ合って、こぼれ落ちんように大切に守っていかないといけんと思う。こんな時、だからこそやらなければならない曲があります」


という岡野昭仁の言葉から、ポルノグラフィティ2人だけで”∠RECEIVER”が演奏された。

ポルノグラフィティは逃げなかった。

起こりうる事態が、実際に僕らの足下で起きてしまった時。ミュージシャンとしてできること、それは音楽を奏で、伝えることだった。そんな姿に僕らファンは胸を打たれた。何より嬉しかったのが、僕らを信頼してくれたからだ。

冒頭の歌詞だけ切り取れば、その言葉自体に苦しんでしまう人がいるかもしれないし、もしかしたら批判の声があがってもおかしくはない。しかし、ポルノグラフィティが”∠RECEIVER”で伝えたい想いはそれではない。


『僕たちがコントロールできることはほんの少し
ほとんどの出来事には関われないとしても
この星の裏側でも僕たちの足下でも
起こりうる出来事から逃げない 受信者(∠RECEIVER)でいたい』


起こりうる出来事、それを目の当たりにしたからこそ、僕らは目を逸らさずに受け止めなければならない。それこそがメッセージであり、ファンは伝えたい想いをちゃんと受け止めてくれる。僕らを信頼してくれている、だからこそポルノグラフィティは”∠RECEIVER”を演奏したのではないだろうか。

曲中で新藤晴一は言った。

「波は色々なものを奪っていったけど、俺たちを未来とか明日へ運んでくれる、そんな波もあると思う。そんな波をみんなでつくれたらなと思う」

その言葉から観客みんなでつくり、起こしたウェーブ。その波は未来に向かい、今の僕らへと繋がっている。


それから7年が過ぎた。「UNFADED」ツアーはかつての楽曲が色褪せていないか確かめるものだったが、最後は違った。

どんな曲を選んでも構わないツアーの本編最後に「色褪せてはならない」という想いで”∠RECEIVER”を選択したのだ。その決意に、込み上げる感情を抑え込み、イントロの衝撃に崩れそうになった足を踏ん張り、全てを受け止めた。

僕らは知っている。未曾有の震災で日本が悲しみに包まれた時、それでも音楽を奏で受け止めるという決意をした姿を。雨に濡れた故郷のためにライヴの収益を全て寄付した姿を。降り止まぬ雨に誰よりも僕らを心配してくれた姿を。

傷跡も爪跡もまだ残っていて、それは終わることはない。だからこそ、僕らは受け止めて生きていかなければならない。しかしそれは、1人で抱えるには重すぎる荷物だ。

けれど「UNFADED」ツアーで披露された”パレット”の『君ひとりじゃ持ち切れないのなら 僕が半分持っていてあげるから 』という歌詞のように、全てを抱え込まなくたっていい。音楽がそれを助けてくれる。その優しさがポルノグラフィティの音楽にはある。


夏になった。

ポルノグラフィティはROCK IN JAPAN FES ’19に出演した。

2回目となった今回も、突き抜けるような青空と6万人の観衆に迎えられた。”ハネウマライダー”で6万人が振り回すタオルの光景に思わず「新藤見てみぃ!すごいぞ!」と声をかけてしまう岡野昭仁と、懸命にギターを弾きながらそれに頷く新藤晴一の微笑ましさに顔が綻んでしまう。

「またこんな素敵な景色が見たかった」と始まった”アゲハ蝶”。決してファンばかりではない6万人一人ひとりの声がひとつになる。こんな光景を見られて、嬉しい気持ちはファンも同じだ。そんな2人をどこまでも誇らしく思えた夏だった。

そして2019年のポルノグラフィティにとって最大のトピックとなったのは、9月7日、8日に行われた東京ドーム2days「20th Anniversary Special LIVE NIPPONロマンスポルノ’19〜神vs神〜」だろう。

2009年に行われた東京ドーム公演、それは一夜限りのものだった。あれから10年が経ち、初めてドームで2日間のライヴを行うこととなったのだ。

開催が発表された時、岡野昭仁は言った「みんな来て、ドームを埋めて欲しい。俺たちに格好つけさせてくれ」。蓋を開けて見ればそんな心配は杞憂に終わり、チケットは両日ソールドした。それがわかった時は、一ファンでありながら、自分ごとのように嬉しかった。

ポルノグラフィティにとっても、ファンにとっても歩み続けた日々の集大成となるライヴ。「神vs神」というタイトルは2日間でセットリストを変えて、どちらも「神セトリだった」と言ってもらえるものにするという決意からつけられた。

ライヴは「あのロッカー まだ闘ってっかな?」と問いかける”プッシュプレイ”から始まった。かつて憧れたロックスターの姿、それに揺り動かされた衝動を唄う。

10年前に借り物の姿だった東京ドームを、自分たちのステージに変えたポルノグラフィティ。

序盤ではポルノグラフィティにとっては親のような存在、本間昭光がゲストとして登場した。更に初日はホーンセクション、2日目はストリングスがゲストに迎えられて、セットリストの半数以上が変わるという豪華絢爛な2日間だった。

それだけの曲数をやってもなお、聴きたい曲はまだまだ尽きない。それだけでなく、2日目に披露された”ブレス”や”Zombies are standing out”のように2018年にリリースされた最新の曲たちも、過去の色褪せない曲たちと同じ、或いはそれ以上の興奮で迎えられた。過去のヒット曲だけでなく、最新の曲がこれほど待ちわびられるというのは、現役のバンドにとって最高の状態とも言えるのではないだろうか。

終盤では”アゲハ蝶”が演奏された。それは18年前、青っ鼻を垂らしていた中学生だった少年の人生全てを変えた曲。そこでポルノグラフィティと出逢った。大袈裟に聞こえるかもしれないが、引っ込み思案をこじらせた少年にとって、能動的にCDを買って音楽を聴くということが、当時の彼には一大イベントだったのである。けれど、意を決して買ったCDが全てを変えた。

その少年は今や、大袈裟に聞こえるかもしれないが、音楽がなければ生きていけない人間となった。そんな32歳になった自分は、ポルノグラフィティと共に、”アゲハ蝶”と共に年を重ね、数えきれない幸せと喜びを受け取ってきた。

20周年イヤーでも、しまなみの空の下、ひたち海浜公園の空の下、”アゲハ蝶”はまた新しい喜びをくれた。「好きな曲」を挙げることは簡単だ。しかし音楽好きをやっていると、時に「人生に必要な曲」と出逢う。まるで雛鳥が初めて見た親鳥のように、僕にとって初めて自分で買った曲、”アゲハ蝶”は人生になくてはならない1曲となった。


初日の”アゲハ蝶”で「ラララ」の合唱中、「ここだ!ここでウェーブやろう!」と新藤晴一は言った。冒頭で本間昭光とのMC中にウェーブをやり、ライヴのどこかでもウェーブをやろうということになっていたのだ。

それは決して意図した訳ではない、その場で思いついた演出(正直、唄いながらウェーブをするのは大変だった)だが、つま恋で被災した方々への祈りとして唄われた”アゲハ蝶”、そして最後に演奏された決意の”∠RECEIVER”でのウェーブ。20周年イヤーのステージたちで、未来へ連れていってくれる波が確かに今に繋がっていると思えてしまうのだ。

ならば、東京ドームで起こった波もまた、僕らを新しい未来へ連れていってくれることだろう。

そして。

東京ドーム2日目、初日と同じく”アゲハ蝶”は演奏された。間奏で響く「ラララ」の合唱(2日目はウェーブをしなかったので唄いやすかった)。スクリーンには唄う観客たちの姿。それを新藤晴一がとても嬉しそうに、感慨深そうな顔で眺めていた。まるで自分たちが信じ、奏でてきた音楽の正しさを噛みしめるように。

「たしかに、イイ気になっていた時期もありましたし、調子に乗っていた時期もありました。大変な時期もあったし、上手くいかない時期もありました。でも、20年でこうして東京ドームに立てているってことは、その全てが正解だったと思っていいんでしょうか。君たちがその全てを正解にしてくれるんでしょうか」

ライヴの中で新藤晴一はそう語った。

20年という決して短くない時を経て辿り着いた場所で、こんな素晴らしい景色が広がったのだ。描いた夢、叶った夢、叶わなかった夢、全てが繋がり、この幸せな2日間へ導いてくれたのだ。


そんなライヴは最新曲”VS”で幕を閉じる。

かつて夢を描いた幼き日の自分と、今の自分を対比させた曲だ。


『そうか あの日の僕は今日を見ていたのかな
こんなにも晴れわたってる
バーサス 同じ空の下で向かいあおう
あの少年よ こっちも戦ってんだよ』


“VS”の最後、センターステージで舞う金色の紙吹雪のなかロックを奏でるポルノグラフィティ。その最後、いつまでも聴いていたいアウトロの余韻のなか、岡野昭仁が叫ぶ。


『あのロッカー まだ闘ってっかな?』


僕の大好きなロッカーは、まだ闘い続けている。

きっとまた、素晴らしい空の下へ連れていってくれる。

ファンとしてできるのは貰うことばかりだ。けれど、ならば誠実な∠RECEIVERでいよう。そう決意をしてもなお。

岡野昭仁は言う。

「君たちがポルノグラフィティを連れてきてくれて、こんなに素敵な景色を見せてくれた」

新藤晴一は言う。

「ポルノグラフィティが今の幸せの全てをくれたと思います。僕らにとってはそんな存在です。皆さんにとってポルノグラフィティは、幸せを与えられたのでしょうか」

僕の大好きなロッカーは、こんなに沢山の幸せをくれたのに、なぜこんなにも謙虚で、誠実なんだろう。

ROCK IN JAPAN FESのMCで「僕らみたいなミュージシャンがこんなに大きなフェスに出ていいのかという思いがあった」と岡野昭仁は語った。しかし楽屋で「聴いてました」と言ってくれた若手のミュージシャンたちの言葉に、「自分たちも音楽界の隅っこにでも足跡を残せたんだ」と思ったという(それも謙虚すぎる話だが)。

たとえばKing Gnuの井口理がファンを公言しているように、ポルノグラフィティもまた憧れを抱かせる存在ともなった。もしかしたら、この東京ドームのライヴを見て、音楽に夢みる少年少女がまた現れるかもしれない。いつか東京ドームの映像作品の再生ボタンが押され、「ポルノグラフィティはまだ闘っているかな?」と目を輝かせる少年少女がいたらいいな、なんて思ってしまう。

起こりうる出来事、それは災害などのネガティブなものばかりではない。ミュージシャンとファン、互いが互いを讃え合い音楽を共有するライヴという幸せな空間もまた、僕らの足下で起きた出来事なのだ。

ポルノグラフィティという存在があって、ファンと同じように、岡野昭仁も新藤晴一も、支えてきたミュージシャンたちも、背中を追ったミュージシャンも、その存在を愛していて。それがこの場所へ連れてきてくれた。

まさに愛が呼ぶほうへ、導かれたのだ。

20周年イヤーと呼ばれた1年、様々な空を見上げてきた。

描いた未来図さえ追い越して、想像もつかなかった未来を、ポルノグラフィティと共に歩んでいく。

あの日、青っ鼻を垂らしていた少年に胸を張って言える。君は未来でこんな幸せな場所へ行けるのだと。ポルノグラフィティを好きになった君は正しかったと。でも鼻炎は治らないぞと。


「こんな素敵な場所へ連れてきてくれてありがとう」
「こんな素敵な景色を見せてくれてありがとう」
「この場所に立てたのは、君たちがポルノグラフィティを求めてくれたから」


岡野昭仁は何度も言ってくれたが、それはファンも同じ想いだ。

求めることしかファンにはできないのに、ポルノグラフィティはそれさえ何度も肯定してくれる。ミュージシャンとファン、こんなに幸せな関係があるだろうか。

だからこそ、あの日言った言葉をもう一度。

20周年おめでとう。

そして。

ありがとう。

親愛なるポルノグラフィティへ。

∠RECEIVERの1人より


この作品は、「音楽文」の2020年1月・月間賞で最優秀賞を受賞した東京都・サトCさん(32歳)による作品です。


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