平成に生きたカテゴライズされたい私たち - Creepy Nutsが開く令和、どっちでもない私でいい

「ドン・キホーテにも ヴィレッジヴァンガードにも 俺達の居場所は無かった…」
Creepy Nutsの「どっち」という曲の冒頭である。

私は口が悪いし校則も度々破っていたけどヤンキーではなかったし
インディーズの音楽は聴いていたけどサブカルに傾倒してるわけではないし
勉強は得意だったけど別段天才というわけでもないし
漫画も買うしアニメも見るけど極端にオタクってわけでもないし。

胸を張って好きと言えるものはあるが、”何者”でもないのが常に悩みの種だ。

ヤンキー、ギャル、キレる若者、未成年犯罪、エンコー、
学生起業家、学生アイドル、読モ、子役、
オタク、ユーチューバー、ブロガー、インスタグラマー、
LGBT、ジェンダーレス、男女平等、
尾崎豊宇多田ヒカル安室奈美恵AKB48、、、

個性を主張させられ若くして大成することに無言の圧力をかけられてきた平成生まれの若者。
最近ではスクールカーストという言葉もあるようで、他人を、そして自分を何かにカテゴライズせずにはいられないのだ。

そんな、他人の定めたカテゴリーにハマるもんかと反発していた(…いや、正直言ってしまえば何者にもなれなかった)私が、学生時代に出会ったのがCreepy Nutsだ。
彼らの、ロック色や歌謡色の強い曲たちは、今までロックバンドや昭和歌謡しか聴いてこなかった私の耳にすんと馴染んだ。
それでも彼らは一応HIPHOPというカテゴリーらしいが。
ミニアルバム「助演男優賞」に収録された「どっち」という軽快な曲は、応援歌や主義主張のような歌詞ではない。なんなら「俺らどこにもなじめないんだってね」と、なんとも歯切れの悪い終わり方をする。
それでも「どっち」は、”何者”かにカテゴライズされたいくせに型に嵌められるのを嫌がる天邪鬼な私に寄り添い、その卑屈さを許してくれるような感覚に陥った。寄り添うなんて優しい言い方より、一緒にバカやって世間に唾吐く男友達のようだと言った方が彼らの曲には似つかわしいかもしれない。

「DとQとNとスノッブとナードいたって普通も ぶっ飛んだ奴も
善で悪で清で濁で面で倒だから 皆ごちゃ混ぜちゃんぽん」

どのカテゴリーにも善悪や清濁の二面性がある。この曲に出てくる「ドンキ」=ヤンキーは店の入り口でたむろしていたり、喧嘩吹っかけてきたりと、まあ迷惑な連中が多い。
一方「ヴィレバン」=サブカルは迷惑こそかけないが、何かと鼻につく部分がある。歌詞の言葉を借りれば「これ知ってる?知らない? そこはおさえておこうよ」だ。メジャーは聴かないくせに、自分の界隈での流行こそ至高だと思い、J-POPを見下す節がある。

この曲は「ヤンキー」と「サブカル」の二項対立の歌ではない。ましてや互いの違いを認め合おうよ、という歌でもない。仲間内の世界観が確立している「ドンキ」たちと「サブカル」たち。全然違う世界の彼らを「カテゴライズされた者」ということで同じ土俵にあげて自分と比較し、嫉妬、羨望、揶揄、等々、複雑な感情を素直に表出してるのだ。
HIPHOPのイメージ通りの不良ではない彼ら、「普通」を自称する彼らにとって、カテゴライズされた者たちは格好の揶揄対象でありつつ喉から手が出るほど欲した姿に違いない。私もそうだった。今でも学生起業家や高校生バンドのデビューなど若くしてなにかを成し遂げている人を見ると毒づきたくなる。ザワザワしちゃう。

「俺達の居場所は無かった…」の後には「だけどそれで良かった」と続く。”何者”かであることに憧れはするが、結局多様性をはらんでいる方がいいのかもしれない。排他的な世界を作り上げるのでなく、いいものを取り入れ合えたら素敵だ。これもいいよね、そっちもいいねと言い合えある方が平和だ。
曲名の「どっち」は「どっちでもない」「どっちにもならない」の「どっち」なのかもしれない。

平成は、看護婦が「看護師」と呼ばれるようになり、同性婚を認める自治体が増加するなど、多様性に寛容になりつつある時代だった。一方で、短期間でのゆとり教育の開始と終了、順位をつけない運動会、簡単に発信できる画像・動画ツールの登場など、多様性・個性という言葉に若者が右往左往した時代だった。そんな平成の終盤にリリースされた「どっち」は、何者かでなければいけないという無言の重圧にデコピンをお見舞いした。
令和元年、Creepy Nutsはミニアルバム「よふかしのうた」をリリースした。
「俺の人生はつまらねぇか? ならば全部此処に置いてくから心して喰らえ」(板の上の魔物)
「お前が必死に考えたそのブランディングやファッションも テキトーな格好のダッサい男がわずかワンバースで消し去ってやるよ甘い幻想」(生業)

平成で「どこにもなじめなかった俺ら」が令和になってこんな強気の歌詞を突き出してきた。個性と言う名の小手先の武装をさせられる時代は終わりつつある。普通の自分でいい。自分らしく努力するのが結局かっこいい。ラップバトルのラスボスと世界チャンピオンのDJコンビがリリックと実績で切り開く令和は、誰もが自分らしく輝ける時代になる予感だ。


この作品は、「音楽文」の2020年1月・月間賞で入賞した神奈川県・イツカさん(24歳)による作品です。


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