大学4回生の冬、僕はニューヨークへ向かうノースウエスト航空の機内にいた。
初めての海外。雲のはざまに見える異国の街並みを眺めながら、緊張を隠せないでいる。ここでは僕は外国人なのだ。
ニューヨークへ行くのには目的があった。「ジャン=ミシェル・バスキア」を卒業論文のテーマにしていた僕は、かつて彼が活躍したニューヨークの街を尋ね、その街の景色や空気、そして彼の作品をこの目で確かめるために旅立ったのだった。バスキアと言えば、知る人ぞ知る、夭逝のグラフィティアーティストである。
しかし、僕がニューヨークへ行くのはバスキアだけが目的ではなかった。
ジョン・レノンの住んでいたダコタハウス、シド・ヴィシャスが滞在していたチェルシーホテルをこの目で確かめ、彼らを弔うこと。
そして、もう一つの大切な目的。
ニューヨークの街で聴きたい曲があったのだ。
ザ・ハイロウズの「ニューヨーク」である。
高校生のころ、地元の小さなコンサートホールで見た彼らの音楽に、僕は夢中になっていた。男ならおそらく誰もが経験していると思うのだが、僕は確実に彼らの「ロックンロール」に救われていたのである。もちろんブルーハーツも知っていたし、クロマニヨンズも好きだ。しかし、僕はやはりハイロウズ世代なのである。
ニューヨークの街へ降り立った僕は、初めて踏む異国の地に戸惑っていた。
まるで夢の中にいるような、はたまた映画の中にいるような、不思議な感覚。目の前を通る金髪女性の香水の匂いに少し眩暈を感じながら、僕は冷たい風を感じていた。ここで吹く風は日本とも違う。
ホテルへ着いた僕は、スーツケースを置くと、早速表へ出た。けたたましいサイレンを鳴らしながら猛スピードで走るパトカーに度肝を抜かれる。遠くでは銃声のような音も聞こえる。自分がいる場所が現実なのかどうなのかさえ分からなくなる。
チェルシーホテルを目の前にして、僕はイヤホンを耳に差し込んだ。曲を選ぶ。
待ち望んでいた瞬間だ。
「ニューヨークは力持ちだ
まるで鍾乳洞 チェルシーホテルのロビー」
「午前1時 冷たい風
皮膚を突き抜けてく 血管まで吹きつける」
フワフワしていた自分の体が落ち着いていくのがわかった。そして、それとは逆に、心臓の鼓動がドクドクと速度を上げる。僕は今、ニューヨークにいるのだ。やっと理解できた気がした。
それから数日間の滞在中、僕は何度もこの曲を聴いた。何度も何度も。
タイムズスクエア、ロックフェラー・センター、メトロポリタンミュージアム。
冬でも半袖の大柄な男性、犬を散歩させる親子、セントラルパークではおじいさんに挨拶をされた。大きなホットドッグにはたくさんのマヨネーズが乗っている。
ニューヨークの街は新鮮で、そして確かにこの街にいるんだと、僕は何度も何度も実感した。
ニューヨーク近代美術館のミュージアムショップにて、バスキアの画集を買ったときのことだった。レジにいた若い女性店員がこう言う。
「あなたバスキアが好きなの?」
イエス!と頷いた僕に、彼女は言った。
「グッドチョイスよ!いいセンスしてるわ!」
美術館を出て、ベーグルを頬張りながら僕はまた甲本ヒロトの声を聴く。
「意志持ち 輝き 一人で全部だ」
ここはニューヨークだ。僕はこの街に来て本当に良かったと思った。世界はたしかにここにある。そして僕はしっかりとニューヨークの街にいる。
「ニューヨーク」の歌詞には、実はバスキアの名前が出てくる。
薬物中毒によって、27歳で亡くなったバスキア。もしかしたらヒロトやマーシーもバスキアのこと、好きなんだろうか。グッドチョイス。いいセンスだ。
「バスキュアがね 当たり前のことを当たり前に語る」
バスキアは当たり前のことをなんと語ったのか。ヒロトは歌う。
「生まれて死ぬまで 時間はすべて僕のもの」
自分の人生、時間、生かすも殺すも自分次第。一人で全部だ。
そんなことを考えながら、僕はニューヨークの冷たい風に吹かれていた。
「ニューヨーク」が発売されて今年で20年。
時代はすっかり変わってしまったが、近い将来、僕はもう一度必ずあの街へ行こうと思っている。
目的は一つ。ザ・ハイロウズの「ニューヨーク」を聴きに行くのだ。
この作品は、「音楽文」の2021年8月・月間賞で入賞した兵庫県・太郎さん(34歳)による作品です。
あの日、ニューヨークの冷たい風に吹かれて- ザ・ハイロウズ「ニューヨーク」を聴くために
2021.08.13 18:00