星野源が再定義した”未来” - "たった一つだけ”を持って、君は生きていく

 星野源の「うちで踊ろう」をYouTubeで流していたときのことだ。関連動画が自動再生され、「未来」のライブ映像が流れてきた。

「未来」は、2019年12月から放送されたNTTドコモのテレビCMに起用された曲なので、ご存知の方も多いだろう。ちなみに楽曲自体は2011年にリリースされたアルバム「エピソード」に収録されている。

 これまでも「いい曲だな」とは思っていたのだが、上記のライブ映像を観て、もっと言えば、歌詞をちゃんと拾いながら聴いて、途方に暮れるような、泣きたいような、そうしてただ時間が過ぎていく無力感のような――かといってそれが哀しみなのかと問われればそうではないような、そんな気持ちに包まれた。

 うまく言語化できないその気持ちについて、しばらく考え続けていた。最近はリモートワークの途中で1日1回散歩に出るのだが、延々と「未来」を聴きながら、答えを探していた。

 そうするうちに、これは「未来」を再定義する曲なのではないかと思うようになった。

 私たちは「未来」という単語から、希望とか、夢とか、輝きとか、より良い何かを連想することが多いのではないだろうか。小学校の書道の時間や、みんなのうたや、J-POPの世界観や、テクノロジーへの期待なんかを通じて。

 けれど、私たちはときに、思い描いた未来に《何度も追い越されて》《何度も取り残され》る。《小さな勇気を使》った果てに、《空(から)になる》ときさえある。《何度も何度もなぜ うずくま》りながら、それでも生きていくのか、何もわからないまま。

 未来は”現在より先にある時間”という、ただそれだけのものであること。星野源はこの曲で、肥大化した「未来」をそう再定義した。そして、今の私たちにはその意味が、痛いほどにわかるだろう。

 その一方で星野源は”現在より前にあった時間”、つまり過去を――いや、厳密にいえば過去が作った今を、切実に肯定しようとする。それが表れているのが最後の部分だ。

《何度も何度も言うよ 始めから
 たった一つだけを君は持っている
 たった一つだけを君は持っている》

「こんなはずではなかった」未来に立ち、会いたい人に会えず、さよならさえ言えなかったとしても、君は”たった一つだけ”を持っている。それは、誰かにとっては思い出の景色で、誰かにとっては忘れられない言葉でかもしれない。その”たった一つだけ”を持って、君はただ生きていく。この先ずっと、何度も未来に追い越されて、取り残されて、うずくまっても。

「未来」は、星野源が東日本大震災の2日後に作った曲だそうだ。バスルームにギターを持ちこみ、”絶望的な数日間”のなかで書き上げたという。それを知ったときに、なぜ星野源が未来を再定義し、同時に今を切実に肯定したのか、答え合わせができた気がした。


この作品は、「音楽文」の2020年5月・月間賞で入賞した東京都・sayu.さん(31歳)による作品です。


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