心揺さぶられるあの体験をもう一度 - 30年前に見たエレファントカシマシライブの衝撃とアフターコロナへの想い

今回の未曽有の疫病を機に、ヒトとヒトとの接触8割減を掲げ、国を挙げて僕らは
家に閉じこもった。学校は休校となり、会社はリモートワークが進んだ。
アフターコロナの世界では、リモートを使った学び方、働き方は僕らの生活により浸透してくると言われている。
音楽業界においては軒並み、ライブ、フェスが中止になった。
各アーティストも、いま自分にできることとしてSNSを通じ、ファンにメッセージを届けてくれている。
けれど、やっぱりリアルに勝るものはない。
大袈裟な言い方だけど、一つのライブに大きく心を揺さぶられ、人生観が変わり、時には救われてきた僕はこの状況を、心の底から憂いている。
一刻も早く「ソーシャルディスタンス」を気にすることなく、アーティストとファン同士が、かつてのような距離を取り戻すことを切望している。

今から約30年前、1989年の師走の名古屋クラブクアトロ。当時、学生だった僕は初めてエレファントカシマシのライブを観た。
この日のライブは、「人生の中で最も感化されたライブ」といっても過言ではない。
これまで、感銘を受けたライブは幾つもあるけれども、このライブは少し違った。

EPICの3枚目「浮世の夢」を引っ提げてのツアーだった。
事前にエレカシに関する噂は聞いていて、ある程度の想定はしていたが、そのライブはまさに衝撃だった。

本来はスタンディングのライブハウスなのに、綺麗に椅子が並べられ、観客は大人しく着座させられた。
基本MCはなし。(独り言みたいな喋りは少しあった)
会場に響くのは宮本の「俺のうたを黙って聴け!」と言わんばかりの絶唱と、それに呼応したリズム隊の音。
宮本は「珍奇男」の演奏途中で、ファンの掛け声に怒り、アコギを床に叩きつけへし折った。僕らは彼らの演奏を唯々聴き入るしかなかった。
そして最後の曲の演奏を終えると、僕たちを置き去りにして、客席に目を配ることもなく彼らは去っていった。
当然、アンコールのような気の利いたものなんかない。
余韻に浸る隙さえ与えてくれない。
音楽はエンターテインメントの部類に入れられることが多くあるが、このライブは少なくともエンタメではなかった。
純粋に「うたを届ける、聴く」。
これを高い純度で実現していたのが、この日のエレカシのライブだった。

当時のエレカシが語られるときに、SEなし、着座、観客への罵詈雑言。
それらが、キャッチフレーズ的に語られることが多々ある。
また、長年不遇の時代が続いたこともあり、当時のエレカシのリスナーへのアプローチについて懐疑的な記事も見たことがある。

ただ、少しばかり回り道をしたかもしれないけれど、純粋にうたを届けるために、当時のエレカシにとっては、それらは必要不可欠な要素だったと思うのだ。

23歳の宮本浩次は不転の覚悟で「うた」を届け、確実にその「うた」は僕に届いた。
予定調和を一切排除した装飾のない彼らのライブこそ、唯一無二のものであり、僕はそれ以降、よりエレカシに没頭していった。
そしてこのライブは、揺るぎのない僕の「原体験」となっている。

『ちょっと見てみろ この俺を
何んにも知らないんだ この俺は
ぼーっと 働くやからも
おまえ こういう男をわらえるか
今日は おまえは何思う 
息子の顔ちらり 
そういうやからに俺はひとつ言う
おまえはただいま幸せかい』
待つ男

学生時代、エレカシに感化された青臭い僕は、働くサラリーマンや、平凡な家庭におさまる凡庸な生き方を否定し、格好悪いと思っていた。
ひょっとしたら、僕がバカで、宮本の歌詞の奥深さやバックグラウンドが、正確に捉えきれていなかっただけなのかもしれないけれど。

EPIC時代のエレカシは、あまりメディア露出はなかったものの、1年に1度はアルバムを出し、ツアーをやるというのがルーティンであり、新譜を聴いて、年に1、2回いつものエレカシに会えるのが凄く楽しみだった。
ただ一方で、一抹の不安、焦りも感じつつあった。

なぜ、“本物”のエレカシが世の中の評価が得られていないのだろう。
いつものエレカシ、いつもの観客。これって結局は“予定調和”じゃないのか。

1994年。
7枚目のアルバム、「東京の空」のツアーで、僕はこの日も名古屋クラブクアトロにいた。
いつもの椅子はなく、スタンディングスタイル。本来のライブハウスの姿がそこにあった。

「エブリバデー、元気かい」
宮本が威勢よく飛び出してきた。僕らに話しかけてきてくれている。
「いつもの僕ら」は「いつもとは違うエレカシ」に戸惑いながらも、僕らは皆ほくそ笑んだ。

踊ったって、声かけたって宮本は罵倒しない。
宮本が石くんをいじり倒す。
石くんも凄くたのしそう。
最後はアンコール。
ステージ上には4人が揃い客席の僕らに声をかけてくれた。
寡黙なリズム隊の石くん、成ちゃん、トミも笑っている。

うん、これだったら、絶対にエレカシの本質が、世間の人たちにもきっと伝わるはず。
僕は確信した。エレカシはやっぱり“本物”だ。


暫くすると僕の期待をよそに、バッドニュースが入ってきた。
“エレファントカシマシ、EPICソニー契約解除”
新しいスタイルでの、これからの活動に期待していた矢先の出来事だった。
愛知に住んでいた僕は、エレカシに会えない空虚で「出口」の見えない日々が暫く続いた。


「ココロに花を」以降は、エレカシは徐々に市民権を得て、積極的に宮本はメディアにも露出した。
TVドラマ「月の輝く夜だから」第一話は正座して見た。
アニメーションとともに、オープニング曲の宮本のやさしくて力強い声が流れてきた。

『くだらねえとつぶやいて
醒めたつらして歩く
いつの日か輝くだろう
あふれる熱い涙』
今宵の月のように

エレカシは「僕らのエレカシ」から晴れて「みんなのエレカシ」になった。
エレカシが“本物”であることが、世間に認められた瞬間だった。
ドラマを録画して、オープニング曲を何度も繰り返し見た。
ぐっとこみあげるものがあった。

エレカシにもう会えないのでは。
平成の不世出の伝説のバンドとしてこのまま終わってしまうのか。
不安に苛まれていた日々を思うと、この30年程の出来事は本当に奇跡的だ。
何よりも長年継続的に活動をして、この令和の時代にも、老若男女問わず幅広いファン層を獲得し続けていること、本当に凄い。

EPIC時代のエレカシ、市民権を得た後のエレカシ。本質的には何も変わっていない。
宮本は世の中に迎合したわけではない。
純粋に自分のうたを届けることを真剣に考えた結果だと思うのだ。
環境、時代に合わせてスタイルが変わったのは必然。
本物が本気でつくりあげたものは多くの人に届く、凄くシンプルな話だ。

1989年のあのライブ以降、僕の生活の傍らにはいつもエレカシがいた。
僕は学校を卒業して、サラリーマンになり、家庭も持った。あの時、あれだけ格好悪いと思っていた凡庸な人生を送っていた。
学生当時からエキセントリックな発言が多かった僕のことを、昔からの友達は社会不適合者のレッテルを貼っていた。会社勤めを続ける僕に「切れ味がなくなった」「丸くなった」と揶揄した。
僕自身も環境変化で、生活スタイルが変わり、エレカシの音楽を聴くその濃度は、昔よりも間違いなく薄くなった気がしていた。
「偶成」や「遁生」を自分自身に重ね合わせながら、執拗に繰り返し聴くことはもうなかった。


『うち過ぎる毎日を 暮らし行く男あり
毎日いそいそと仕事へ出かけ
休日には家族と 心からくつろいだ
「学生の無駄話」忘れたようだ』
無事なる男

2010年、僕は仕事の関係で家族とともに都内で生活していた。
東京は刺激的で面白い街だけれど、毎日がとてもせわしく、丁度、心にゆとりがなかった時期でもあった。
ある日、奥さんに食材の買い出しを頼まれて、荻窪駅近くの商業施設に赴いた。
足早に歩いていると、施設内のベーグル屋さんの近くで、その姿に見覚えのある待ち人に遭遇した。
銀縁の眼鏡で、かなり多く髭を蓄えているけれど、僕は瞬時に気がついた。

「ミヤジだ!」

一旦は目の前を通り過ぎた。
何せ、左には幼稚園児の息子の手を引き、背中には赤ん坊の娘を背負った姿。
僕の姿は、まさに「無事なる男」を地で行くおじさん。
悶々としながらも、僕の足は勝手にミヤジのもとへ向かっていた。

「宮本さん、、ですよね。昔からファンなんです。握手してください。」

ミヤジは、笑顔で僕とがっちり両手で握手してくれ、息子の目線まで顔を下ろし、頭を撫でてくれた。

あの原体験ライブから約20年たっていた。歳もとった。
失敗と挫折を繰り返しながら、時には新しい価値観、現実を受け容れながら、人は成長をしていく。

僕はふと、「待つ男」と「無事なる男」の両方の世界観を、自身で許容していることに気がついた。
これは、世を儚んでいるのでも、諦めたものでもない。
表現は難しいのだけど、肯定的な意味合いだ。

帰宅の道すがら、偶然にもミヤジに会えた覚めやらぬ興奮と、もう少し気の利いた会話が出来なかったのかという、後悔の念が綯い交ぜになった感情のまま家路を急いだ。


『やっぱ目指すしかねぇなbaby この先にある世界
やっぱがんばらざるを得まいな らしく生きていくってだけでも
大人になった俺たちゃあ夢なんて口にするも野暮だけど
今だからこそ追いかけられる夢もあるのさ』
ハレルヤ

コロナ感染症防止対策の影響で、宮本のソロライブも中止になった。

現在の僕は「燃えたぎる血潮を忘れたふり」をしているわけではない。
ただ、あの時のように心を揺さぶられる感受性があるかどうかも自信がない。
でも、相変わらず僕は宮本を欲しているし、今も昔も変わらず宮本のうたに勇気づけられている。
久しぶりに「偶成」や「遁生」を聴くと、あの長尺でヘビーな曲が甘酸っぱい青春讃歌にも聴こえてくる。

僕もライブ会場で一刻も早くエレカシに会いたいし、あわよくば、またばったりとミヤジと街で会えないかと夢を見ている。

その時には、また両手でがっちりと握手して、慌てず、落ち着いて、笑顔で、少しは気の利いたことが話せたらいいなと想いを馳せている。


この作品は、「音楽文」の2020年6月・月間賞で最優秀賞を受賞した愛知県・無事なる男さん(50歳)による作品です。


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