ロックンロールと風 - a flood of circle『2020』に寄せて

a flood of circle(以下「フラッド」)の『2020』を聴いて、ぶっ飛ばされた。
このアルバムが、今年の鬱憤を根こそぎ晴らしてくれた。

まるでライブが始まるかの如く、バンドで「せーの」で音をぶつけ合って、1曲目『2020 Blues』が幕を開ける。カッティングギターとピックスクラッチで一気に導火線に火をつけたら、2020年の世界の現状が色濃く反映された単語を呟くように矢継ぎ早に吐き捨て、「IN THE DARK」と繰り返した後、「ロックは生き様とかマジでもうそんなんどうでもいいんだよ」「世界の終わりの闇の中で/それが一体なんだっつーんだよ?」と、目の前で名言が書かれた紙を破いてみせるかのような鮮やかな怒りをぶちまけて、「始めようぜ/IN THE DARK」と静かに宣言してみせる。
ここまででもう既に、ロックンロールにゾクゾクさせられている。

ブレイクで曲が続いているのかと思いきや、同じキーとBPMで2曲目『Beast Mode』に入っている、と気づいたときにはもう、フラッドはすべての建前を壊しにかかっていた。

「Beast Mode 今夜はいっそもう ここで人間やめちゃうわ 檻から抜け出せ」
「Beast Mode 今夜はいっとこう ここで人間やめちゃうわ 化けの皮を剥げ」(『Beast Mode』)

と、人間としての建前を剥がして、獣としての「野生の勘」を取り戻そうとしてくる。
ロックンロールによって、獣としての人間を暴いていくというのは、以前からフラッドが『The Beautiful Monkeys』などでやってきたことではある。だが、『Beast Mode』は『2020 Blues』からの地続きになっていることで、『2020 Blues』の中で歌われているこの世界の現状やこの世界の建前を全部なぎ倒して剥がしていくような、これまでよりも壮大で強い風を感じた。「吼えろ」「跳べよ」「暴れろ」「さっさとやれよ」という煽りがその風に乗れば、檻の中にいる私たちをどこまでも遠くへ飛ばしてくれる。

全てをなぎ倒して暴いていくような強い風。
この「風」という言葉こそが、『2020』という作品のキーになっている気がする。
『2020』の中には「風」という言葉が至るところに登場する。

「逆風に向かって行け」
「逆風を作り出せ」   (『ファルコン』)

「風にも消せない/君だけが触れる炎」(『Super Star』)

「1人歩き出せば 小さくても 風は起こるぜ」(『天使の歌が聴こえる』)

「今スカイダイヴ 風になれ」(『Free Fall & Free For All』)

「Kick out 正しい風に道塞いだ岩石」
「Kick out 開かない風に閉ざされた扉」
「Kick out 正しい風に否定された未来」(『Rollers Anthem』)

風は行く手を阻む向かい風になるときもあれば、まるで味方のような追い風になるときもある。フラッドはこのアルバムでその両方について歌っているし、さらに自分が風を作ることもできる、ということも歌っている。
特に『2020 Blues』『Beast Mode』に続く3曲目『ファルコン』では、ブチ上がるイントロと脳に刺さってくるようなギターの音が作り上げる狂騒の中で、最初は「逆風に向かって行け」と歌っていたのが、最後には「逆風を作り出せ」に変化しているところが興味深い。

この「逆風に向かって行け」が「逆風を作り出せ」に変わる間に何があったのか。
そこには「限界だって そりゃただの言葉/掻き消せグレッチ 3分の永久で」というフレーズが歌われていた。曲名の『ファルコン』は「隼」という意味だが、そこには佐々木亮介(Vo,Gt)が使用しているグレッチのホワイトファルコンやブラックファルコンの意味も込められているのだろう。つまりこの曲はギターで、音楽で、ロックンロールで逆風を作り出すんだという、フラッドのバンドとしてのスタイルを改めて表明した曲なのだと受け取った。

この表明の後の曲が『Super Star』という王道のミドルテンポのナンバーであることもまた、ロックのど真ん中を進んでやると言っているように聴こえて、思わず胸が熱くなってしまう。アルバムの4曲目は名曲に決まっているじゃないかと言わんばかりの頼もしさに溢れている。不意に、Oasisの『Don’t Look Back In Anger』も、Weezerの『Buddy Holly』も、4曲目だったことを思い出す。

また、直接「風」という言葉を使わずに風を表現している曲もある。
7曲目の『人工衛星のブルース』という曲の「カーテンが揺れる きれいな朝なのに」というフレーズだ。
「カーテンが揺れる」のは風が吹いているからだろう。この曲でフラッドは、目には見えないが確かに存在し何かに影響を与えるものとしての「風」を描いているのだと思う。

この曲の「どこにも着地しない人は/どこに行けばいい」「どこにも着地しない夢が/宙に消えてく」の「どこにも着地しない」人や夢も、どこか風を連想させる。存在しているはずなのに、ふわふわと漂い掴み所のないもの。この曲で描かれる「風」は他の曲の「風」とは違い、弱く儚く頼りない。だが、その弱く儚い風は、この曲の中で次第に「音楽」と同化していく。

「あなたがここにいてほしい/言えないままでメロディーになっていく」
「もう触れられはしないと知ってるのに」(『人工衛星のブルース』)

風もメロディーも音楽も目に見える形はなくてこの手で掴むことはできない。なのに、そんなものを私たちはずっと追いかけている。触れられもしないと知っているものに、こんなにも心を掻き乱されたりする。どんなに弱い風も、どんなに小さなことから生まれたメロディーも、誰かの何かを揺らす、そんな目には見えない「音楽」というものの効果を信じていることが伝わってくる曲だと思った。

そして風と音楽を同化させたフラッドは、続く8曲目『Rollers Anthem』でひとつのピークに達する。
この自らアンセムと名付けた曲で「誰が何と言おうと/それをロックンロールと呼ぼう」と歌い切っているわけだが、それがハリボテではないと思えるのは「これは生き延びちゃった俺らの歌」だからだろう。
フラッドはこのアルバムの中で「犯人は俺だよ 真犯人は俺なんだ」(『2020 Blues』)、「諦めモードの世界は俺のせいさ」(『ファルコン』)など、この世界が悪くなる方に自分も加担しているということを度々歌っている。 世界が悪くなる方に加担しながら、その罪悪感を抱えながら、なんだかんだ生き延びてしまっている、そして死ぬことよりも生き延びちゃっていることに怯えている「俺らの歌」だと思えるから、もう一度このロックンロールに夢を見てみたくなるのだろう。生き延びちゃっている私たちはロックンロールに期待することをやめられない。バカみたいでみっともないと思いながらやめられない。それを許すかのように、フラッドもロックンロールで風を起こすために、メロディーを探すことを諦めない。そういう執念のようなものをこの曲に感じた。


そういえば、以前も「風」について歌っているフラッドの曲があったことを、ふと思い出す。
2013年にリリースされた『I’M FREE』という曲だ。

「I’M FREE 成功だと?金の話か?ギャラか?印税か?
ミュージックに価値はあるか?
もともと価値なんかないもんだと言ったボブディランを信じる」

「気高さに値段なんかつかない 答えは風に吹かれてる」     (『I’M FREE』)

「答えは風に吹かれてる」とはあの有名なボブ・ディランの歌詞の引用だが、この頃からフラッドの中ではロックンロールと風は結びついていたのかもしれない。「音楽」という目には見えないものに向き合って、その価値だとか仕事として金を得ることだとかを考えたときに、それは風のようなものだというところに行き着いたのかもしれない。たかが風だし、されど風であり、その答えすら風に吹かれていると。そして今年、フラッドとロックンロールと風は『2020』でより強固に手を結び、この突風を巻き起こすことに成功したのかもしれない、と思う。
『2020』を聴いていると、世の中の「風」に逆らうこと、世の中の「風」から身を守ること、弱い「風」の存在を感じること、自らが「風」を起こすこと、自分が起こした「風」で世界をめちゃくちゃにすること、その「風」を起こし続けること、それらはすべてロックンロール、すなわち生きるために転がり続けることと同義だということが伝わってくるのだ。


そんなロックンロールと風の相乗効果で今年積もった埃を飛ばしまくってくれた『2020』が最後に辿り着いた『火の鳥』という曲は、6分の大作だった。
そして、この大作を聴いていると、なんだかいつのまにか「日本のロック」という漠然とした大きなものに思いを馳せている自分がいた。

日本のロックってやっぱり特殊で独特だと思う。
UKロックに影響を受けたもの、USインディーに影響を受けたもの、その両方から影響を受けたもの、それらに影響を受けた日本のバンドからさらに影響を受けたもの。そうやっていろんなバンドが試行錯誤しながら、積み上げたり壊したりしながら、独自の進化を遂げてきたのだと思う。

「何度でも俺を蘇らせる もう無理だって日も 君の声が
 アゲイン アゲイン アゲイン アゲイン
 あなたの歌が僕の火の鳥」               (『火の鳥』)

『火の鳥』のこのフレーズからは、そんな日本のロックの進化の途中にあるフラッドが、これまでの日本のロックを継承し、さらに進化させていくような姿を感じさせられた。いや、振り返ってみれば、このアルバム全体がそういうものだったのかもしれない。
時に「ダサい」とか「ガラパゴス状態」だとか言われてしまう日本のロックだが、確かにかっこよかった先人達のロックがあったし、これからだってそれに続く独自のかっこよさがあるはずだと、そのど真ん中を探して突き進んでいくような姿が『2020』には見えたし、バンドアンサンブルのそこかしこから、その継承と進化が聴こえてきた。
それが正しいことなのかとか、今後どんな意味を持つのかとかは、今はまだわからない。だけど、フラッドが「それをロックンロールと呼ぼう」と決めて転がり続けるなら、それを私も聴き続けていたいと思う。なぜならそこには、何にもないのに生き延びちゃっている私たちのための、誰に何と言われても顔をしかめられてもやめられないロックンロールがあって、そこに風が吹いているからだ。

とんでもなかった2020年に、こんなにも日本のロックを前に進めようとしたバンドがいたことを、どんな風に翻弄されようとも忘れないでいたい。


この作品は、「音楽文」の2020年12月・月間賞で入賞した神奈川県・SUMMER DOG(37歳)による作品です。


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