Base Ball Bearは「プールサイダー」で変わったのか? - 楽しみながら考え続けるサマーチューンについて

Base Ball Bearがかつて何度も歌ってきた”プール“の風景はどれも享楽性から距離を置いた静謐なイメージを持つものだった。《月が浮かぶ深夜のプール》(「真夏の条件」より)、《誰もいない深夜のプール》(「STAND BY ME」より)、《くちびるを湿らせて待つ約束のプール》(「Transfer Girl」より)...どれもどこか妖しげで内緒の逢瀬を思わせるような描写ばかり。昼間の晴れやかで誰しもに開かれた空間ではなく、濃密な関係性を思わせる”秘密の場所”としてベボベ楽曲の印象的なシーンを彩ってきた。

Base Ball Bearが2021年の夏にリリースした1曲「プールサイダー」で表現された”プール”は紛れもなく真昼であり、”享楽”の象徴たるもの。そんな空間をプールサイドで眺める見学者、「プールサイダー」の視点から歌われたのはこれまでのバンド像を刷新するかのような態度だった。この境地にいかにして到達したのか、それを探っていこうと思う。

Base Ball Bearが夏や青春の光景を引き連れて世に出たのは間違いなく事実だ。しかしそれは活動初期から分かりやすく高揚を誘うものではなかった。奇跡的な瞬間の一枚絵であったり、心に深く刻まれた記憶であったり、多くの人とシェアできない夏ばかりだ。熱狂に押し流されることを拒み、大切にしまっておくためにはパーティーの渦中からは離れる必要があるだろう。よって”夜のプール”が秘密の場所として象徴的に用いられたのも納得できる。

作品数と活動歴を重ねながら、人生観や社会への目線を向けるにあたっても常に熱狂や混乱を傍らで見つめ続けるスタンスは変わらなかった。同調圧力や皆が同じものを求める姿からは距離を取りながら、小出祐介(Vo/Gt)のソングライティングは鋭利なものに仕上がった。作品ごとに新たな提示を行い、聴き手側にも思考が必要となる彼らの音楽はファンとの共依存関係にも陥りづらい。ポップな音楽を志しながらもワンアンドオンリーな美学を持ち、変化によってリスナーを振り回しながらも動員は安定。小出の持つ冷静な視点はロックシーンにおけるBase Ball Bearの孤高さを際立たせ、独自の存在感を放つこととなった。

目まぐるしく変化を続けてきたBase Ball Bearだが、2016年にギタリストが脱退して3ピースバンドへと変わってからは半ば強制的に根幹からの変化を余儀なくされた。シンセサイザーやホーンを取り入れるトライアルを行った2017年のアルバム『光源』のルートは結果として選択されず、彼らにとってのパラレルワールドのような一作となった。その後、Base Ball Bearは3人の鳴らす音だけで活動する方向を正規ルートとして選択した。それはまさにバンドそのものの再構築を行う抜本的な改革であり、小出の視点にも変化が訪れる。生まれ変わりゆくバンドや長年の活動に目が向き、心象描写も意外なものが増え始めた。

2020年のアルバム『C3』は3人の音だけを鳴らすBase Ball Bearとして、ある意味での1stアルバムであり、バンドの変化がありありと刻まれている。「いまは僕の目を見て」や「Cross Words」では気持ちや想いを伝えることそれ自体を言葉にし、「L.I.L.」や「Grape Juice」ではライブに臨む際の感情の移ろいが描かれる。そして「EIGHT BEAT詩」や「ポラリス」といった楽曲ではBase Ball Bearのストーリーや在り方そのものが歌詞に反映されるなど、より濃密にバンドの本質を味わうことのできる1作となった。

中でも驚くべきはアルバムを締めくくる「風来」だろう。これはライブツアーに人生の歩みを重ねた”生の実感”を全肯定するような1曲だ。目いっぱいに人生を謳歌しようとする歌詞は、前年の全国ツアーで各地の名所や名物をメンバー3人で一緒に楽しんでいたベボベ(そんな姿は15年の活動で表立って出たことはほとんどなかった)そのものを標榜しているかのようで微笑ましさすらある。今まで楽しもうとしていなかったものを楽しむ。拘りを捨て、変化する自分を受け入れる。そんな兆候が「風来」には漂っていた。そしてこのアルバムを引っ提げたツアーは更にベボベに大きな影響をもたらした。いや、もたらすはずだった。

2020年の夏まで予定されていた『C3』のリリースツアーはCOVID-19の感染拡大、つまりはコロナ禍の影響で敢行されることはなかった。ファンとしてはやはりライブを観たい気持ちはあったのだがこのような”強制的な変化”にベボベがどう順応するのか、という点も同時に興味深いことだった。リモートセッションによるライブ映像の公開や意外な選曲での配信ライブといった意欲的な活動はそんな興味を大いに満足させてくれた。そして、次なる新曲にも自然に期待をかけてしまう。この時代に、どんな楽曲を残すのだろうか、と。

そして2021年に入って届けられた楽曲たちはどこまでもBase Ball Bearであり、どこまでも新しい魅力があった。「ドライブ」はミドルバラードの曲調でコロナ禍を思わせる”ステイホーム”な世界の生活が描かれる。不安定な気持ちを身の回りのモノや自分を整えながらそっと奮い立たせていくような1曲で、震災以降の生活を描いた『新呼吸』の楽曲を想起させる。「SYUUU」は鉄板の四つ打ちビートと疾走感溢れるロックサウンドの中でお馴染みの”転校生”を描くど真ん中の1曲だが、その切なさは青春の風景に限らない普遍性がある。コロナ禍の予想もしなかった別れや悲しみを悼むような言葉とも取れるラインが多くあった。

Base Ball Bearが2021年にリリースしたのは、これまで扱ってきたモチーフやシチュエーションに別の角度から光を当てるような楽曲ばかりだ。これは昨年、過去曲のリアレンジに時間をかけて向き合ったことや久しぶりに演奏する楽曲もあった配信ライブの影響もあったのではないかと予想する。そこで拾い上げたモチーフの数々が今この世界を映し出す鏡として再召喚されていく。その流れの中、今夏の「プールサイダー」が生まれたのだと思う。

「プールサイダー」リリース時に小出が出したコメントによれば、コロナ禍の低空飛行の日々の中でグチグチ言わずにみんなが楽しんでいるものにトライしたいという気分になったことが記されている。「楽しもうとすらしなかった自分にはセイグッバイしたい!」という強い気持ちが宣誓されていた。ゆえに、サビでは《きらきらに飛び込め It’s Okay 楽しもうよ いまを》という、これまでの冷静かつ熱狂から距離を置いたベボベ像からはおよそ想像もつかないフレーズが展開される。これほどまで能動的に何かをエンジョイしようとする姿はとてつもなく新鮮である。「風来」にあった”楽しむことを肯定する”というスタンスが、未曾有の危機に晒された結果、急速な勢いで発達したようにも聴こえてくる。

これがサウンド含めて強烈にアッパーでキラキラしたものであれば、ベボベはすっかり変わり果てた、とも思ってしまうはずだがそうではない。重心低めのグルーヴとどこか不穏なコード感で進行していく部分にはベボベらしい”思考”の余白が残されている。《変えたくなかったものだって いつか変わってく》、《静かに苦しんだ日々に 飛沫の祝福を》という言葉からはどうしてもコロナ禍以降の世界が楽曲のシチュエーションとして立ち上がってくる。「楽しもう」というメッセージの裏側に、楽しむことすら必死にならなければいけなくなったこの世界についてのシリアスで冷静な視点が確かに息づいているのだ。

しかしこの曲はやはり、強い鼓舞の歌として響く。《変わっても変わんない想いが あると気付いたんだ》は「ドライブ」から地続きの決意として胸に迫るし、《まだNo time to die》という言葉で締めくくられるのも「SYUUU」を経た先の祈りだと思う。”秘密の場所”として描かれてきたプールを舞台にオープンな心象を見せながらも、そこに馴染めない僕らや気落ちする気分にもそっと寄り添ってくれる。つまりこの曲におけるプールとは、ファンに用意された”秘密の場所”でありながら、未知の楽しみへと多くのリスナーを連れていく”開けた場所”でもある。その両面を嘘偽りなく同じ次元に共存させているのだ。

Base Ball Bearは鮮やかに変わった。変わらない部分も抱きしめながら確かに変わった。そして僕らは、どうしていくのか。そんな1つの投げかけを込めたこの曲は、楽しむことと思考することに両方が必要になった2021年を象徴する1曲のように思う。享楽性にも足を伸ばしながら、この世界に対して頭は常にフル回転させる。これがBase Ball Bearがコロナ禍で示すアティチュードだ。この長い暗闇を抜けた先にいったいどんな世界が待ち、どんな楽しみが残っているのか。「プールサイダー」を聴いている瞬間は少なくとも、不安な気持ちが混ざろうともどうにか明るい未来を信じていたいと思う。


この作品は、「音楽文」の2021年9月・月間賞で入賞した福岡県・月の人さん(27歳)による作品です。


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