右隣が空席だった。
狂おしいほど望んでも手に入らないチケット。全霊を捧げて取ったはずの公式トレード席。
よほどの事情があったのか。
とうとう右隣は空席のまま、横浜アリーナは暗転した。
暗闇。胃の奥底からゾワッと湧き上がるような期待と興奮が喉まで達し、すべてが呼吸を止めた。
うっとりするほど静かに流れだす序奏。
瞬間。
米津玄師の雄叫びと共に空間は地鳴りのような大歓声に包まれた。
「あの、ここの席…」
右腕を掲げ、最初のジャンプをした時だった。
しゃがみ込んで自分のチケットを見せる控えめな少年。
頭の中にフィルムがあるとしたら刹那に流れるこのすべてを焼き付けて帰るつもりだった私は、一瞬でもそれを停止しなければならないことに焦りを覚え少し苛立った目線を彼に向けた。
その空席に荷物を置いてしまっていた己れを棚に上げ、全く落ち度のない彼にきっと気まずい思いをさせてしまっただろう。
これが私と右隣の少年との出会いだった。
私は人のオーラを視ることはできない。
が、米津玄師が織りなす世界は観客一人一人から赤やオレンジや金色のオーラが渦巻いて視えるような美しく熱狂に満ちた空間であった。
なのに。なぜか私の右隣はぽっかり無色透明なのだ。
「?」
不思議に思い、ふと右上に目をやった。
そこは黒いパーカーの少年の肩だった。目線はさらにグッと15㎝上。
188㎝ある米津玄師その人と同じくらいかと思うほどに、背が高い。
無色透明の正体は、その背の高い彼の空気感だった。
腕を掲げるでなく、手拍子するでなく、リズムを刻むでなく。
ただ、立っていた。
いや、もちろん聴き入っていたのだろうけれど。
ここでは皆仲間だ。
少し不器用そうな彼が可愛らしく思えた。
MCが始まる。(私の記憶、主観です)
「子供の頃、ライブでの能動的な熱狂の中に入っていけなかった。自分は音楽を作る時、底の方に潜るような消極的な熱狂という感じだから居心地が悪かった。
自分がライブをやるようになっても、その頃の自分がこのどこかにいるんじゃないかと探してしまう。そういうやつらを目で追ってしまう。その頃の自分、そいつらに何が言えるだろうか。
気にしなくていい、と、とにかく言いたい。
消極的、能動的な熱狂と分けたけど方向が違うだけで熱量は一緒。自分の中に湧き上がるものがあって、それが何か助けになればいいと思う。
そのままでいい、というのは使い方が難しい言葉だけど、何も引け目に感じなくていい、楽しんだ者勝ちなんだから。」
「あいつこんなこと言ってたなと人生のどっかのタイミングで思い出してくれたら嬉しい」
米津玄師は静かに語った。
鳥肌が立っていた。
私の世界では米津玄師と右隣の少年にのみスポットライトが当たり、まるで彼だけに語り掛けられているように思えたのだ。
思わず彼の左腕をガシッとつかみ掲げ
「ここにいるよ!!少年だったあなたが、ここにいる!!」
と叫びたかった。
彼が本当に「そいつ」かどうかはわからない。
別に引け目にも感じていないし、居心地の悪さも感じていないかもしれない。
だけど、ふわりと遅れてきた背の高い少年。無色透明の空気感。語り掛けられた言葉。
私にはその完璧さが何かの啓示のように思えてならなかった。
もちろん米津玄師の語った言葉はきっと大多数の心に響いて、それぞれの解釈でそれぞれを励ましたろう。私もその一人だ。
だけど今回彼は「その頃の自分」に語り掛けたかったんじゃないかと思う。ライブだけじゃない、生きることに居心地の悪さを感じていたこと。
「その頃の自分」に語り掛けることで、今を生きる「そいつら」に伝えたかったんじゃないか。
「そのままでいい。気にしなくていい。引け目に感じることは何もない。」
「楽しめよ」
今や光輝くその場所に立って尚、立ったからこそ、その飾らない言葉が胸を刺す。
物心ついた頃から静止画でも動画でも瞬時に自分を俯瞰して見つめられる世の中。
それぞれの人生を正方形に切り取って画面に羅列される世の中。
自分を他人と比べるな、自己肯定感を上げろ、と言われても難しいかもしれない。
それが「いい」か「悪い」かではなく、今この瞬間にも明日への生命を繋ぐことすら苦しい「そいつ」がどこかにいるのは確かじゃないだろうか。
このTOUR/HYPE。
「そいつ」がどこにいるのか、何人いるのか、全員なのか、誰にもわからないけれど、
「理屈などどうでもいい。絶対に一人じゃない。俺が必ずお前のために音楽を届ける」「生きてろ」
米津玄師の「そいつ」への強いメッセージを感じた。
米津玄師の音楽に救われたという人は途方もなく多い。
でも、救ってやるなんて傲慢さはない。無責任な励ましでもない。
米津玄師の音楽はきっと、私ひとりに、あなたひとりだけに届けられた祈りだ。
その祈るような彼の音楽は「鏡」だと私は思う。
ふと覗き込んだ自分の心を映す。
時に悲しい自分が映り、時に愛に満ちた自分が映り、時に絶望した自分が映ることもある。
例えば映ったそれが絶望の時は、心に降るその雨をただずっと見つめてみる。永遠かのごとく降り続く雨をただただ見つめてみる。すると、いつかふっと雨は止み光が射す瞬間が、必ずくる。
彼は私達にそんな心を映す鏡のような音楽をそっと差し出し、
「自分を救うのは自分でしかない」
と教えてくれているのかもしれない。
万人の「鏡」になり得る音楽を作る米津玄師の才能。
鏡を覗き答えを求めた者に、その一音一音、一句一句が魂を震わすような「愛」を注ぐ。
でもきっと彼も心の奥に「愛」を与えられてきた普通の少年だったのではないだろうか。
ただ誰よりも音楽として言葉として、その愛を現実(そと)に出す才能があった少年。
今尚その才能におごることなく、陽がすべてに降り注ぐように私達に与えてくれる彼に心の底から感謝の言葉を述べたいと思う。
透明の炎は温度が高いのだという。
私が感じた無色透明は、きっと右隣の少年の見えない炎。
MCの終わり少年が鼻をすすった気がした。
何か伝わったのか、少し彼の緊張が解けた気がした。
いつか彼が人生のどこかのタイミングで米津玄師の言葉を思い出して、ふと助けられる時が来るのだろうか。
そんな勝手な想像が私の人生をも温かく、美しくしてくれる。
もう顔も思い出せない少年との出会い。
『HYPE』がくれた奇跡という名の必然なら。
私も「そいつ」のために祈ろう。
私にできることから、始めよう。
光が射す扉から出ていく背の高い少年の陰影は、まさにこれから光輝くステージへ向かう米津玄師の後ろ姿に重なってみえた。
この作品は、「音楽文」の2020年8月・月間賞で最優秀賞を受賞した東京都・ナマズんさん(43歳)による作品です。
少年米津玄師が右隣にいた話 ~2020 TOUR / HYPE~ - 米津玄師はステージから「そいつ」に語りかけた
2020.08.12 18:00