2017年11月24日、突然発表されたチャットモンチーの「完結」。
10代の私が憧れた、大好きなバンドが、終わる。
私がチャットモンチーに出会ったのは2005年。
当時中学3年生だった私は、邦楽ロックに興味津々。好きなバンドが出演するのをきっかけにラジオを聴くようになり、いつしかそれが習慣付いてきた頃、地元のFM局がパワープレイでチャットモンチーのデビューミニアルバム『chatmonchy has come』のリード曲である『ハナノユメ』を流していた。
当時私が聴いていたのはBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDENやストレイテナー、BEAT CRUSADERS等々で、初めて『ハナノユメ』を聴いた時「女の人がボーカルのバンドなんて珍しいな」という何とも稚拙で世間知らずな感想しか持たなかったのだが、繰り返し聴くうちにあのキャッチーなメロディーが耳から離れなくなってしまっていた。
春が来て高校に入学した私は、軽音楽部に入部。親に頼んでギターを買ってもらった。えっちゃんと同じ夕日色のテレキャス……ではなく赤いストラトだったけれど。
ギターを練習するうちに季節は秋になり、『耳鳴り』のバンドスコアを買った。チャットモンチーを知らない友人達に聴かせたところ気に入ってくれ、同級生3人でコピーバンドを組むことになった。初めてコピーした曲は、3コードで初心者向けと言われる『恋愛スピリッツ』。
それから間もなく『シャングリラ』がヒット、チャットモンチーの名前は瞬く間に全国区となる。Mステに初登場した日は私の16歳の誕生日で、オープニングであの階段を降りる彼女達を画面越しに見た時の興奮は今でもよく覚えている。「私、すごいバンドに出会ってしまった!」と。
田舎に住んでいた私はテレビやパソコンの画面を通してでしか彼女達の姿を見ることは出来なかったが、ずっとずっと胸のときめきは止まらなかった。ある時見たステージ写真に写る市松模様の床のライブハウスは、いつしか私の憧れの場所となった。
結局高校3年間はずっとチャットモンチーのコピーをし続け、友人の間では私=チャットモンチーという認識にまでなっていた。本当に本当に、チャットモンチーが大好きだった。自主制作盤のタイトルを拝借すると当時の私は『チャットモンチーになりたい』と思っていたし、橋本絵莉子は私の憧れだった。今ほどネットも発展しておらず娯楽が少ない田舎で暮らしていた私にとって、チャットモンチーの存在は心の糧となっていた。
大学進学と同時に田舎を離れ、ようやく初めて生でチャットモンチーを見ることが出来たのは、2011年のツアー『YOU MORE 前線』。まさか、これが3人のチャットモンチーを見る最初で最後の機会になってしまうとは夢にも思わなかった。
2011年9月、ドラム高橋久美子脱退。発表を聞いた時、嘘だと思った。信じたくなかった。今では永遠なんていうものが存在しないことは理解しているが、まだ幼かった私は、チャットモンチーは永遠にあの3人でやっていくのだとばかり思い込んでおり、ひどくショックを受けたことを覚えている。
その後チャットモンチーは2人だけで活動を続ける。なんとベースの福岡晃子がドラムに転向。そんな話今まで聞いたことがない…。突拍子もない行動に驚きつつも、彼女達らしいなと思った。でも2人になってから発売されたCDは、恐くて買えなかった。現実を受け入れたくなかったのだ。
1年ほど経ってから、CDJ12/13で2人になったチャットモンチーのライブを見た。2人だけでステージに立ちライブをする姿はとても勇ましかったが、私は3人のチャットモンチーが好きすぎたようだ。楽しそうに演奏する2人を見ているのが正直辛くて、それからは全くチャットモンチーを聴かなくなってしまった。
その後大学を卒業して社会人になった私は、仕事を適当に頑張りつつ、好きなバンドを追いかけて月に数回ライブハウスに足を運ぶようになった。
2年前からは大都会・東京に移り住み、昔憧れたあの市松模様の床のライブハウスにもすっかり行き慣れた2017年の11月24日、突然舞い込んできたチャットモンチー解散のニュース。
長らく聴いていなかったくせに何を今更と思うのだが、このニュースを聞き、思いのほかかなりのショックを受けている自分がいた。「私の青春が終わった」と思った。
新譜が出るたびに遠くのCDショップまではるばる買いに行ったこと。
出演するテレビやラジオを欠かさず録ったこと。
現代文の授業でノートに『ハナノユメ』の歌詞を書いたこと。
大好きだった人にCDを貸したこと。
ライブでギターソロを失敗し、悔し涙を流したこと。
したくもない受験勉強をするふりをしながら『染まるよ』を延々と聴いたこと。
自分の行く先を思い悩みながら『ミカヅキ』を聴いたこと……
他にも色々あるけれど、どれも大切な思い出だ。
私が青春時代を振り返る時、そこに流れているのは間違いなくチャットモンチーの曲であり、チャットモンチーに出会っていなかったら今の私はきっと存在していない。
…と、ここまで長々と書いてきた思い出話は私にとってついこの間のことのようにも思えるのだが、よくよく考えてみるとあの頃からはもうとっくに10年が経過している。
高校時代のバンドメンバーは私以外は結婚し、うち一人は今年母親になった。
チャットモンチーは、私が聴かなくなった後はサポートメンバーを迎え入れ音源をリリースし、2度目の武道館公演やイベントを主催。近年ではまた2人に戻りデジタル楽曲を用いてライブをするなど精力的に活動を続けてきた。
元メンバーの高橋は、脱退後は作家・作詞家として活動している。
皆それぞれ自分の道をしっかりと歩んでいる。
一方私はというと、元々やりたいことも分からないまま皆が行くからと大学に行き、皆がするからと就活をして、新卒で受かった会社でなんとなく働いて5年目。恋人も友人もいないし、趣味だったライブ通いも惰性化してきて、刺激のないつまらない毎日を送っている。あの頃には感じることのなかった閉塞感や孤独感が、年々私の心を蝕んでいくのが分かる。何とかしなければと思いつつも、何にもしない自分にますます嫌気が差す。
解散発表後、久しぶりにチャットモンチーの曲を聴いた。10代の私の姿が頭に浮かぶ。
《ちゃんと生きていけるだろうか?(ちゃんと大人になれるだろうか?)
誰かに言いたくても口に出せない(夢って何だろうか?)》(夕日哀愁風車)
あの頃は何も考えずに歌っていたこの歌詞が、10年経った今では心にぐさぐさと突き刺さった。
気付けばもうアラサーと呼ばれる年齢で、すっかりいい大人なのに、私は何をやっているんだろう?
いつまでも前に進めていないのは、私ひとりだけだ。
チャットモンチーの解散を受けて色々と考えているうちに、私自身もこのままではいけないと思い始めた。
チャットモンチーがチャットモンチーを完結させ新たな道を進むことを決めたように、私も自身のこれからについて真剣に考える時が来たのかもしれない、と。
青春時代の思い出は、どこまでも懐かしく色褪せないけれど、過去に浸ってばかりいてはいけない。自分自身と向き合うことは恐くてしんどいことだけれど、このままずっとぬるま湯に浸かっている訳にはいかない。
私も自分の心を見つめて本当にやりたいことや心惹かれることを追求していかねば……それが出来る人間になりたい、変わりたいと今は思う。
こんなことを考えるにはそれこそきっと10年くらい遅いのだろうが、私にとっては今がそのタイミングなのだろう。
《愛しい人たちどうか見ていて 私一生懸命だから
私らしく自分らしく 夢を見つけて歩いていくから》(夕日哀愁風車)
「いい加減、大人になろう。」チャットモンチーの完結が、今私をそんな気持ちにさせている。
えっちゃん、あっこちゃん、クミコン。田舎娘に音楽の魅力を教えてくれてありがとう。今は死んでるように生きている私だけれど、チャットモンチーが完結する来年7月までには、何かひとつでも生きる目標を見つけられるように頑張ります。
そしてえっちゃん、あっこちゃん。最後まで楽しく走り抜けてください。最後のツアーは是非とも見に行きたいと思っています。
《きっといつの日か笑い話になるのかな あの頃は青くさかったなんてね》(サラバ青春) と思いながら。
サラバチャットモンチー、サラバ少女の私。
この作品は、「音楽文」の2017年12月・月間賞で入賞した神奈川県・Mさん(27歳)による作品です。
サラバチャットモンチー、サラバ少女の私。 - チャットモンチーの「完結」発表を受けて
2017.12.11 18:00