暗闇に溺れろ、その光を掴み取れ - THE ORAL CIGARETTES・大阪城ホールワンマンライブに寄せて

今にも雨が降り出しそうな2月中旬の薄暗い雲の下、私は冬将軍の最後の悪足掻きを横目で睨みながら、愛すべきパンドラの箱にそっと手を伸ばした——。

《息を止め その瞬間に「このまま時が戻ればいい。」って/この思いはあなたの愛の跡だろう?》
(“See the lights”)

昨年の歴史的武道館公演からちょうど8ヶ月が過ぎたこの日、THE ORAL CIGARETTESが次なる籠城の地として選んだのは、地元関西の大舞台・大阪城ホール。

ステージ上にはまるでアクアリウムのような巨大なスクリーンが横たわり、私たちはそこに映る海底の様子を窓から覗いている乗船員として潜水艦の旅に出発することとなった。しかし、一度視線を変えてみれば、会場は最後方の立見席まで圧倒的な黒率を誇るオーディエンスによって立錐の余地もなく埋め尽くされている。まさに彼らのライブでしか見られない異様な光景だが、そこには目に見えない緊張感と期待感が確かに渦巻いており、私を含めた会場中にいる誰もが帝王の登場を前にして何だかソワソワと落ち着かない様子だった。

すると、開演時間を少し回った頃、けたたましいエマージェンシーコールが鳴り響き、私たちが乗船する潜水艦に突如として非常事態が告げられる。今宵、大阪城ホールというメジャーな場所が未曾有の狂気の沙汰に飲み込まれるのは、もう必定。決して避けられないのだ。そんな尋常じゃない覚悟の中、聖歌隊を思わせる荘厳な合唱の嵐と骨太なギターが交錯する爆音のオープニングSEが轟くと会場の熱気は早くも頂点に達し、想定以上の膨大な量の視覚的情報が次から次へと目に飛び込んできた。その中でも特に、紅蓮に染まった夥しい数の人間の腕を見た瞬間はさすがに言葉を失い、一瞬にしてサタニズムの海域へ迷い込んだかのようなとてつもない恐怖に身体中の震えが止まらなくなった。

そうして何とか幕を開けた『唇ワンマンライブ 2018 WINTER「Diver In the BLACK Tour ~ReI of Lights~」』だったが、やはり覚悟の通り、徹底的に鍛え上げられたキラーチューンの数々が冒頭から私たちに襲いかかってくることとなったのだ。

悲鳴に近い大歓声の中、迎え入れられたトップバッターは、毎度最高潮の盛り上がりを見せる“カンタンナコト”。個人的には完全にノーマークだった1曲目としての登場に早くも唖然としていると、彼らはそんなのお構いなしに一人一人の理性のタガを次から次へと鮮やかに外していく。しかも、終盤では死へのタブーをも吹き飛ばすほどの一糸乱れぬヘッドバンキングを巻き起こし、皆が「彼らに従う」というよりも「そうせずにはいられない」といった様子で思い思いに踊り狂う様は、まさに何かに取り憑かれた地獄の淵の怨霊のようだった。

《死にたい消えたい変わりたい帰りたい/泣きたいうざったい助けて助けて助けて助けて》
(“カンタンナコト”)

直後、アジアンテイストなギターリフが癖になる“CATCH ME”を経て、会場は瞬く間にミラーボールが映えるダンスホールへと変貌を遂げていき、「あのとき俺を馬鹿にしたアイツらへ」と毒づいた山中拓也(Vo)の「ダンスタイム」という妖艶な誘いによってその正体を現したのは、まさかの“N.I.R.A”。あまりにも意外すぎる曲の登場に驚きに満ちた様々な反応が飛び交った会場だったが、次の瞬間にはどこもかしこも ものの見事に彼の甘い誘惑に惑わされた様子で、あっという間に陽炎のように揺らめき出してしまったのだ。この日のために用意したという赤と黒の衣装をヒラリと揺らす彼の残像には、魔性の宝石・ダイヤモンドのような影を感じ、その不敵な佇まいにはいつものことながら本当に惚れ惚れしてしまう。

《威張った演奏 見てられないジャイアンテイスト/中の下ルックス 割に合わねぇな相当》
(“N.I.R.A”)

しかし、そんな甘い空気を真っ二つにするかのように、中西雅哉(Dr)が持ち前のフットワークの軽さを活かして刻み始めたのは、2ビートの軽快なリズム。人々を追いかけ回すようなそのどこか滑稽なドラムにガシッと飛びついてきたベタ塗りのリズムギターが火付け役となり、一癖も二癖もある歪な恋愛模様が空中で繰り広げられることとなった。

その記念すべきスタートを切ったのは、“Uh…Man”。白黒ハッキリ付けるように終始忙しなく光を発する、食い気味の真っ赤な照明。凸凹道のような細かなアップダウンとどっしりとした構えの両刀遣いで人知れず動く、グルーヴィーなベースライン。いきり立つように睨み飛ばすあきらかにあきら(Ba&Cho)が眉間にしわを寄せながらしっかりと手網を握るその横で、少しの間だけ山中と鈴木重伸(Gt)が背中を合わせてギターを弾き倒す場面があったのだが、そのときの凛とした2人のシルエットはまるで今に生きる侍のように狂おしいほどに美しく、カップリング曲に対する偏見を真っ向から崩しにかかるこの曲の良い意味で無遠慮な存在感は、やっぱり一際目を惹くものがあった。

一方、その後に続いた“Shala La”は、昨年2月にアルバム『UNOFFICIAL』の収録曲として世に放たれて以降、絶えずライブの最前線で活躍し続けスポットライトを浴びてきた、盛り上がること間違いなしの大人気ナンバーだ。

《あなたしか見えてない私を許してよ/泣いたのはあなたが気付いてくれないから/あなたとは違うから一人にさせないで/この歌をあなたに歌ってほしいの》
(“Shala La”)

胸がキュッと苦しくなるような儚げなサビの後、山中は巻舌混じりに《Shala La…》と歌い、ギターを弾きながら舞を舞うようにしてゆらゆらと身体を揺らしている。それは例によって、ツバを吐くように清々しい皮肉を歌っているというよりかは、持て余しておちょくってるようにしか見えない。しかし、それなのにやっぱりなぜか憎めないのは、多くの人々に愛される彼の徳がなせる業なのか、それとも入念に練られた計画的犯行なのか。モコモコと湧く泡のように、これを見た皆が満面の笑みを浮かべて楽しそうに飛んだり跳ねたりするのを見て、そのどちらもあながち間違いでない気がしてきて、思わず頬が綻んだ。

ここで、1曲目からずっとトップギアで加速し続けてきた山中がようやくスピードを緩め、静かに話し始めたことがある。上京すると決めた時、多くのファンが背中を押してくれ、温かく送り出してくれたこと。しかし、それと同時に、「一番不安定な時期だった」と口にするほど、この先に対する不安で胸が押し潰されそうだったこと。地元関西への温かな真心とその裏にあった苦悩すべてに手を差し伸べ、さらにその上から優しさで包み込むかのようにして、一つ一つの言葉を切々と繋いでいくのがとても印象的だった。

《土壇場です 世間の評価に惑わされて/やけに色づいた私を潰した/してたね 昨日もその話/話題には私事ばかり》
(“リメイクセンス”)

そうして披露されたのは、“リメイクセンス”。痛々しくもある様々な葛藤を一歩一歩踏み締めるかのように、目を瞑り、マイクを握りしめ、屈むように歌い、公園を歩きながら溜息を漏らすように声にならない声を絞り出し、情感込めてコーラスに身を委ねていく。一体、彼の心はどれほど危ういギリギリの所を、常に行き来しているのだろうか?一気に音数が減る瞬間が訪れる度、そんなことを考えては、何度胸が張り裂けそうになったか分からない。しかし、彼は尚弛むことなく気高く歌い続ける。それはまるで、不安に足を掬われそうなっても踏ん張り続けた当時のままのようで、今と何一つ変わらないひたむきな姿に溢れる涙をどうすることも出来なかった。

《あぁ、また殺してしまった/一つ一つ無くなって/期待してるからの裏で中指立てて/変わったはずの環境が私の心に針を刺して/糸で固めてく》
(“リメイクセンス”)

さて、今回のワンマンライブのタイトルは昨年11月から始まった『Diver In the BLACK Tour』の集大成としてそのツアータイトルをそっくりそのまま引き継いだものなのだが、そこには「もっと黒に身を投じて欲しい」という彼らの並々ならぬ想いが込められている。この日、その黒の粘度がさらに高まった中盤戦では、一曲一曲が持つエキセントリックな世界観がより一層濃くなり、思わずゾワゾワしてしまうような闇深い曲たちが続々と登場した。

7曲目を前にして、「ガチャッ」というドアが開く音と「カタッ…カタッ…」というヒールが地面と触れ合う音が広い会場に寒々しく響く。そうして始まった“マナーモード”は、顔面蒼白になるほど凄まじい衝撃を連れて私たちの元へやって来たのだった。

《一万回の後悔で百いくつの名声を得るなら/一万回の崩壊を選びたい》
(“マナーモード”)

殺伐とした冒頭のユニゾンの粒は、ただでさえ鼓膜をダメにするほどの破壊力を持っているにも関わらず、なぜか一段と凄まじい。さらに、大画面のスクリーンには、白目を剥いた人形の頭部や斑点模様の毒々しい蝶々といったトリッキーなアニメーションが次々と映し出され、人々の心を鷲掴みにするには十分すぎるほどの常軌を逸した奇怪なオーラを躊躇なく醸し出していく。

しかし、そんな中でも、私にとって心震える瞬間があった。それは、一発の銃声に合わせて山中が自らの頭を撃ち抜いた後、再び銃に弾を込める仕草をしたシーン。なぜ、自分を含めた何万人もの人々が、この目の前にいる決して大柄な訳ではない1人の青年に、これほどまで自らの人生を懸けてしまいたくなるのだろうか?一体、何が人々にそうさせるのだろう?集まった1万人に背を向けながら、マリオネットになりきって大きく振りかぶる山中の姿を見たとき、出会ってから2年間ずっと不思議に思ってきたその壮大な謎解きの答えが、自然と自分の胸にスッと収まるのを感じた。

そして、その直後、奇想天外な展開を順当に引き継いだ“WARWARWAR”で生々しい銃声とプロペラ音が至る所から降り注ぐ中、国と国/人と人との理不尽な争いへの強烈な疑問を叩きつけた彼らが次なる秘密兵器として持ち出したのは、“接触”だった。

《誰かのことを想うなんて傷つくだけじゃないか?/決して止まない痛みの雨に刺されるんじゃないか?/どうしようもない 僕の中だけでいい/本当にそうか?それでいいか?/なにか間違ってるんじゃないか?》
(“接触”)

漢字二文字のタイトルが持つ謎の不気味さには相変わらずゾッとするが、ステージ上のメンバーの姿が全く見えなくなるほどにスモークの大量噴射が加速していく様は、まるで無限の自問自答に埋もれていく自分自身の行く末を見ているかのようで、今思い出してみてもとても他人事とは思えなかった。しかし、パンドラの箱のように外へ出ては人々の心を蝕み尽くすこのクエスチョンマークの無限ループを、これまで山中が全部一人で背負ってきたなら、今、4人揃ってステージに立って、この景色を見ることは出来なかったかもしれない。彼のように自分一人の力だけでは出来なかったことが、誰かの力によって初めて出来た時、人はそれをきっと「恩」と呼ぶのだろう。

《人を愛し人を憎み そして人間となった/残酷なまでに世界とは 誰かとのもんさ/決して綺麗じゃない/そのままの自分でいい/何を選ぶか それだけは/僕の中に残したいんだ》
(“接触”)

この日、アンコール後の本当に最後の去り際、ふと忘れ物を思い出したかのように、今年夏前のアルバムリリースをしれっと発表してみせた、ボーカルの山中拓也。ある曲の最中にY字バランス並みの足上げを披露し、何とも不憫なことにスボンが裂けてしまったという、ベースのあきらかにあきら。前日のバレンタインデーに貰ったチョコレートの数を競い合い、バンド1の顔面偏差値ということで期待を一身に受けたにも関わらず、見事その期待を裏切る結果をもたらした、ギターの鈴木重伸。彼らのライブではお馴染みとなっているグッズ紹介を担当し、絶妙な適当加減と個人的な偏見でこの日もドッカンドッカンと笑いの渦を巻き起こしていた、ドラムの中西雅哉。

“嫌い”ではまるで通力でも使うように最後の最後まで誰かへの怨みを念じた彼らだったが、瞬く間にパッと穏やかな表情に変わり、満遍なく慈しみが織り込まれているような柔らかな光の中に次第に包まれていった。しかも、その素朴な輝きに込められていたのは、まさに「恩」以外の何ものでもない、山中からメンバーへ贈る心からの感謝の気持ちだった。

《何も知らない/未完成な僕を/拾ってくれた/誰も手に負えないと/捨てられた日/視界は広がって》
(“Flower”)

そうしてプリズムから分散したような七色の光が瞬く中で披露されたのは、“Flower”。ギターのメロディーが嬉し涙を流すようなイントロはまるで雨上がりの空のような晴れ間を見せて、この曲に込められた想いをきつく握りしめる私たちにそっと微笑みかけてくれる。そして、そこに掛かる虹の下を潜り抜ける浮遊感あるコーラスは、大自然の輪廻に負けず劣らない4人の絆の深さを象徴しており、山中の感謝の想いを空へと託すクリアな音は、涼風のメロディーとなってどこまでもどこまでも天高く吹き抜けていったのだ。

《曖昧な夢も希望も乗せ僕ら/忙しない街へと繰り出した/曖昧な夢も希望もきっといつか/まだ知らぬ大地で出会うだろう/誰かのために今は息を吸って》
(“Flower”)

思えば、この大阪城ホールの舞台に初めて立ったのは4年前、とあるイベントでのことだったそう。そのとき、彼らはオープニングアクトとしてまだ皆が席に着かない内にライブをしなければならず、もちろんオーディエンスも彼らの後に登場するアーティストたちがお目当てな訳で、誰一人として足を止めて観てくれる人はいなかった。しかし、そんな中でも唯一、確かに何か手応えを感じた曲、もっと言えば「いつかこの大阪城ホールでワンマンライブをする時が必ず来る」と思わせてくれた曲があったのだと、山中はとても嬉しそうに私たちに話してくれた。

4人からの感謝とも信頼とも取れるそんな紹介を受けて会場中の注目を一気に集める中、墨の勢いそのままに雄渾な筆致で描かれたその曲のタイトルが登場すると、「待ってました」と言わんばかりの大歓声が一斉に会場中をグワーッと覆い尽くした。

《大魔王参上 大魔王参上/大魔王参上の滅亡を願う歌》
(“大魔王参上”)

そう、この“大魔王参上”こそが、彼らの感じた名も無き確信を今日まで繋いできてくれた張本人だったのだ。しかし、4人は感慨にふけるどころか、史上空前の勢いで煽り倒しては過去最大級のコールアンドレスポンスを求め、オーディエンスもその売られた喧嘩を我先にと買っては割れんばかりの大合唱で応えていく。このとき、曲が終わるまで30回近くも唱えられた《大魔王参上》という言葉は、単なる呪文でもまやかしでもなく、目の前で起きている紛れもない事実として一人一人の心へ届いたに違いない。その証拠に、今日という日を噛み締めながら全身全霊かけて叫び続ける声が至る所で止むことはなく、彼らの4年越しの勝利を決定付けるかのようにして、不動の凱歌・“ONE'S AGAIN”がその後 高らかに鳴り響いていったのだ。

このとき、彼らの目にはどんな4年後の景色が見えたのだろうか?

《もう何度 やり直しただろう/わからなかった でも無駄じゃないからきっと/簡単に終わらせないから/この歌を僕らの覚悟にしよう》
(“ONE'S AGAIN”)

さあ、夢のように心地好い時間もいよいよ最終段階に突入。会場中が名残惜しさを押し殺すようにして“狂乱 Hey Kids!!”で腹を括ると、それに全力で応える形で彼らがラストアンサーとして選んだのは、“BLACK MEMORY”。

《Like a loser/いつだって満たされないよ/きっとその方が強いから/迷宮なんてさ/出口もないし終わりもないさ》
(“BLACK MEMORY”)

モクモクと不穏な空気を炊くドラムの一人芝居でその幕が切って落とされると、向かい風が吹き抜ける流れるような速さの中、野太いリズムが鳴り続ける。これまでの曲にはない掟破りなその第一音は、バンドサウンドにも負けない厚い雲となって幾重にも渡って彼らの行く手を阻んでいくのだ。しかし、周りをぐるりと囲むオーディエンスは共闘宣言を立てる同志となって、彼らに負けじと目を怒らして次々と拳を突き上げていく。そして、その中央に立つ山中は妙なギラつきを瞳に宿し、呪縛から解き放たれたロックの権化と化して、唯一無二の使命と誇りと歓喜を惜しげもなく全身へ通わせるようにして両手を大きく広げていた。しかも、《Get it up》と叫ぶ1万人+4人の声は、忽ちそれぞれの手から放たれた最強の槍となってあの屈曲なドラムをも優に越えていき、悲劇しか待ち受けていない絶望的なカタストロフィを徹底的に打ち破っていったのだ。

しかし、こうした観客と演者というそれぞれの立場から起きたアクションを見ても分かる通り、この曲は、「黒い記憶」というタイトルに見合う感情だけを集めて事務的にまとめた単なる備忘録なんかではない。皆が痛みに耐えるように最後の汗を流しながら空を仰ぐ姿には、今や戒めとなった数々の苦悩を刺青として直接身体に刻み込んでいくような神々しさを感じ、その目に見えない透明な強さは臆病な私にとってあまりにも眩しすぎた。

《BLACK MEMORY/人生は守るべきモノで出来ていて/いつか Oh Oh Oh 越える/どうなったっていい/とか もう言わせないよ/響け Oh Oh Oh/全身全霊かけてやるさ》
(“BLACK MEMORY”)

しかし、こうして心沈めて当時のことを順々と思い返してみると、やっぱり真っ先に思い浮かぶのは、数あるギリシア神話の中でも特に有名な「パンドラの箱」のストーリーだ。日常生活の中でも、「開けてはならないもの」「災いを招くため触れてはいけないもの」という意味を持つ慣用句としてよく使われる言葉だか、その背景たる神話のストーリーにはちゃんとした続きがある。

全知全能の神・ゼウスの企みによって、あらゆる災いを招く存在として創り出され人間界に送り込まれた女性・パンドラ。彼女は「絶対に開けてはならない」と忠告された1つの箱と共に「好奇心」という感情もゼウスから授けられてしまったため、自らの心に負けてその箱を開けてしまう。しかし、閉じ込められていた災いが世界中に解き放たれた後、それでも人々が何とか生き残ることが出来たのは、その箱の底に沈んでいた「希望」が自ら願い出て外に出ていったからだと言われている。

「災いは絶えず人間に降りかかるけれど、私は人間が気付いてくれないと助けてあげることが出来ない。だから、きっと私のことを忘れないで、いつでも思い出してほしい。」

「希望」は最後、感謝の気持ちと共にパンドラへこう告げて、箱を後にしたそうだ。

《起死回生STORY 未来は承知?/存在の方へ 鼓膜にも焼きつくような声を/起死回生STORY 未来は放置/存在の方へ 鳴らすから》
(“起死回生STORY”)

もう戻れない過去の自分たちを救うメジャーデビュー曲と、誰かの来るべき未来をさらに明るいものへと救う新曲。アンコールで披露された2曲は、まさにその箱の中に沈んでいた「希望」としての使命を果たすべくして彼らの元へ生まれた、過去と未来それぞれにおける救いの女神のような存在だった。

高速ハンドクラップや大シンガロングなどライブでは定番となっているいくつものキメが一段と輝きを放った“起死回生STORY”の後、完成へ2年もの月日を費やしたという新曲“ReI”が、「この大阪城ホールで光輝いてほしい」という彼らの願いを受けて、まだ見ぬ未来へ大きく大きく羽ばたいていった。

《大丈夫。命とは 愛のように儚きもので/だからきっと愛おしいんだろう/僕の命が君を生かしていく力となれ》
(“ReI”)

その間奏部分、来るべき未来の安泰を保証するかのようにスネアの優しいマーチが鳴る中、山中は人々から巻き起こるシンガロングを聴き届けながら、なぜか下を向いてしまった。そして、バッと顔を上げて歌い出した瞬間、彼は目を真っ赤にして、泣いていた。そして、それ以上に、顔をクシャッとさせながら本当に嬉しそうにして笑っていたのだ。でも、きっと彼だけじゃない。それぞれの置かれた環境だって違う。聴くには限られた方法と限られた時間しかない。それなのにも関わらず、この日を迎えるまでの間、愛を惜しみなく注いでくれる彼らに精一杯の真心を尽くそうと、遠くから誰かを想い続けるような健気な心で、多くの人が“ReI”を求めては何度もその再生ボタンに手を伸ばしてきたのではないだろうか?すべてのファンが一様にこの曲を聴く姿を見て、彼らはどれだけ心強く思い、そして喜んだことだろう。あのシンガロングは、そんな一人一人の点と点の求める心が繋がり合って、数え切れないほどの線となり、1万人の誠意という名の面に編み上げられていった、奇跡のような光景。「誰かのために」という彼らの一途な想いが、確かに実を結んだ瞬間だった。

終演後に開設された〈ReI Project〉のホームページの中で、山中は最後にこう締め括っている。

「この曲で世界が変わることを本気で信じてます。
君と君の大切な人へ向けて。」

《始めて出会った感動を覚えている/愛するあの全てのものへ 光を分け与えんだ》
(“ReI”)

最後、溢れる涙を必死に堪えようとして広い天井を仰ぎ見たとき、邪視に対抗するアミュレットとして有名な「ファーティマの手」が所狭しとひしめき合う、3本の深紅の飾りがふと目に付いた。

誰からの羨みも、全くもって不要——。

もし、「ファーティマの手」に込められたそんな意味を知っていたとしたら、彼らはこの日、何を想いながら、どんな誓いと祈りを捧げたというのか?

しかし、何の意図もなくこのアミュレットを掲げていたとしたら、その偶然は彼らの何に惹き寄せられてこの大阪城ホールへとやって来たのだろう?

《あぁ 何処にいても何しても/あなたの決めたことなら/待ち合わせましょう この場所で》
(“トナリアウ”)

すべては故意か?
それとも、ただの偶然か?

真実は、いつだって彼らにしか分からない。


この作品は、「音楽文」の2018年4月・月間賞で入賞した山形県・蜂谷 芽生さん(20歳)による作品です。


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