アーティスト

    耳からしみこむ、その名は - ユニコーン「OH! MY RADIO」によせて

    ラジオから聴こえてきた音楽に、ふと心をわしづかみにされたことがあるだろうか。
    仕事中に、街を歩いている時に、夜中に机に向かっている時に。ふとスピーカーから流れてきたリズムに心惹かれて、つい手や足が止まる。そして曲が終わりそうな気配を示した時、ぐっと集中して耳を傾け、DJが読み上げる曲名とアーティスト名を心にメモする。
    そうして偶然出会った音楽が一生の伴侶となることも、きっと少なくはないはずだ。

    ユニコーンの新曲「OH! MY RADIO」。
    ラジオ局の周年を祝うテーマソングらしく、それが初めて解禁されたのもラジオからだった。
    昔のラジオは大体曲をフルで流してくれたから、カセットに録音して繰り返し聴いていたんだ。そんな話をしながら、メンバーが曲紹介を行う。
    そして流れ始めた音に、耳と心が一気に掴まれ、引き込まれた。
    最初に聴こえてくるのは牧歌的な鳩時計の音。それを塗り替えるようなギターを合図に始まる、力強く厚みのあるバンドサウンド。そこに重なるのは、奥田民生ABEDONのツインボーカルだ。
    自分がファンだからこそ、新曲が流れるとの情報を事前に得てラジオをつけて待機していた。けれど、もしファンじゃなかったとしても、意図的ではなく部屋や街中などで流されているラジオから聴こえてきたものだったとしても、きっとこの曲には心を掴まれていただろう。そう思うくらい、文句なくカッコいい。
    彼ららしい、けれどどこか今までとは違う新しさを持つ曲に、胸が大きく高鳴った。

    「右向いて 左向いて」という歌詞に呼応するように、右左のスピーカーから流れてくる歌声。
    明日と昨日、右脳と左脳など、対となるワードが散りばめられた歌詞だが、その後には必ずそれらが"ひとつになる、ひとつである"という趣旨の言葉が置かれている。
    明日と昨日、人の数と雲の流れ(つまり人工物と自然とでも言おうか)。それらを全部詰め込んで「ひとつの物語」になったものが右左のスピーカーから流される。すると目を閉じていても開けていても、音が届く範囲にいれば、それが耳に届くのだ。
    耳は他の感覚器とは違い、手を使わなければ意図的に感覚をシャットアウトできない。そうして意識していなくとも耳へ入り込んでくる感覚は「しみ込んでいく」、逆に意識してスピーカーに耳を傾けることは「吸い込んでいく」という表現にぴったりくる。
    この曲はきっと、彼らが音楽に触れ始めた頃からそのきっかけの一つを作ってくれたラジオへの讃歌なのだろう。

    「もう さすがに まわりに左右されないが」「すぐには まわりにダマされないが」と高らかに歌い上げるツインボーカル。
    人は歳を重ねるごとに、人生の経験値(それがどんなものであれ)が自然に上がっていく。
    けれど、だからこそ、新しいものと出会う機会が減ったり、その感動への感度が下がってしまうこともあるだろう。
    歌は「今夜も 魔法にダマされている」「音や声に 左右されたいな」「ダマされていたいや」と続く。
    メンバー全員が50代を迎え、それでもなおラジオひいてはそこから流れる音楽、また乱暴に総じれば"新しいもの"に対して、彼らも心を左右させられる瞬間があるのだろうか。

    発売から数日後に動画サイトで公開されたこの曲のMVには、そんな疑問へのヒントが隠されているような気がする。
    モノクロの画面の中で、再始動後からずっとお揃い衣装だったツナギではなく、「限りなくイケメン(!?)」と自ら銘打ったスーツ姿で演奏する5人。
    渋さをまとった彼らの映像は普通に見るだけでも楽しめるが、そこは遊び心を忘れないユニコーン。なんと、鏡のような加工が施された三面のCDケースを見開いて三角形に構え、それを画面に向けて見ると、MVが万華鏡のようになるのだ。
    鏡の中に対称に映っては消えていくメンバーたち。曲の中で、ここはギター、ここはドラム、ベース、キーボード、歌…と、それぞれのパートが映える部分もクローズアップされている。
    曲にのせてそれを見ていると、さながら自分も「ダマされている」…つまり彼らの音楽に、より引き込まれていくような感覚におちいるのだ。
    動画のようなデジタルなものとCDケースというアナログなもの、それらをひとつの作品の中で掛け合わせる。
    それは曲で歌われていることと同様に、対になるものを合わせて、受け取り手の新しい世界の扉を開く挑戦のようだ。
    また、その根幹となるのがあくまで音楽であることが、バンドである彼らの矜持なのだろう。
    彼ら自身がそんなプロセスに心を震わせているかどうかはわからない。しかし、ある程度の経験を積み地位を築いても、それに居座ることなく新たなステージへと足を伸ばそうとすること。それはきっと、積んだ経験が多ければ多いほど足が重くなるものだ。
    それを軽やかに…いや、そう見えるようにやってのける理由が、彼らの音楽を吸い込んだ誰かが、そして彼ら自身もが、より「ダマされ」るようなものを作り出すためだとしたら。
    その挑戦を続けている限り、きっと心が大きく震わされる瞬間は訪れるはずだ。
    少年の頃、ラジオの前で耳をすませた彼らが、そこへ流れてくるものから感じたものと同じように。

    「ダマされていたいや」という歌と、力強い響きを持った演奏のまま、曲は終わる。
    そこにはがむしゃらな勢いや切実な叫びというよりは、再始動してまもなく10年を迎える彼らが、その時間の中で構築してきた圧倒的なグルーヴ、そしていくばくかの余裕を感じる。
    耳から入ってくる情報には形がなく、さながら万華鏡の中に映る模様のように刹那的なものだ。だから確かに、それに夢中になることは「ダマされている」ようなものとも言えるだろう。
    しかし、それでもそんな時間が、受け取り手の人生を少しでも豊かに、彩りのあるものにするものだとしたら。それはきっと"嘘"や"虚構"ではなく「魔法」と呼べるものであるはずだ。
    昔、ラジオなどを通して魔法にかけられ、音楽を志した彼らが、今は誰かに耳から魔法をかけていく。
    その足跡を追いかけながら、これからもユニコーンが生み出す音楽という魔法の中にずっと揺蕩っていたい。そんな思いを抱くのも、もうすっかり彼らの魔法にダマされてしまっているから、なのかもしれない。


    この作品は、「音楽文」の2018年8月・月間賞で入賞した埼玉県・宮原 辰巳さん(29歳)による作品です。


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