勇気の唄 - 親愛なるBUMP OF CHICKENへ

「人に触れていたいと願うヒトが好きだ 嗚咽さえもタレ流して 何度となく すがりついて 傷ついて 君に触れていたいよ 名前を呼んでくれよ」【Title of mine】

高校2年生、学校からの帰り道だった。音楽が心に突き刺さって、涙が止まらなくなるなんて体験をしたのは。

あの日の夕焼け、風の匂い、冬に向かう空気の冷たさを今も覚えている。友達と別れ、一人で自転車を漕いでいた時、片耳にだけイヤホンを差して聴いていた。【Title of mine】。何度も聴いたことがある曲のはずだった。何故かは未だにわからない。この歌詞が突然心に響いたのだ。

幼い頃から人付き合いに悩むことが多かった。友達と絶対的に信じ合うことも、恋した人に好きになってもらうことも、初対面の人と打ち解けることも、大勢の中で自分を出すこともできなかった。ひとりでいるのは恐ろしく、人の手の温もりが恋しかった。うまくやれない自分が嫌になり、うまくやっているように見える他者を羨んで卑屈になった。

あの頃も悩んでいた。自分の失敗で、友達を傷つけ、ひとりで過ごすようになっていた。学校は楽しくなかった。誰にも本音なんて言えなくて、世界中に自分ひとりしかいない気がしていた。

最初の歌詞の前にはこんな歌詞がある。

「人に触れていたいと唄っていいかい 奪い合ったり騙し合ったり些細な事で殺し合ったり 触れてみれば離れたり怖くなったり だけど、それでも、」

人と人との繋がりは美しいだけのものではない。悩み、傷つき、憎み合うこともある。だけどそれでも、人は手を伸ばさずにはいられない。人との繋がりを願わずにはいられない。

BUMP OF CHICKENは、藤原基央は、それを願う人が好きだと言う。

「人に触れていたいと願うヒトが好きだ」。
これ以上の肯定の言葉はなかった。受け止めてもらえた。認めてもらえた。悩んでいるのは、孤独に押し潰されそうになるのは、きっと自分だけではない。こんな歌がある。その事実にどうしようもなく救われた。
うまくいかなくたっていいよ。転んだっていいよ。迷ってもいいよ。泣いたっていいよ。
BUMP OF CHICKENの音楽はいつもそうだ。
立ち上がれと強く手を引いていくのではない。深く沈んだ心の傍まで潜ってくる。かっこわるい、みっともない自分に「それでもいいじゃないか」と言う。歩き出すことを決めるまで、傍で待っている。そうして歩き出した、その足元を照らす。

このバンドは光だ。

時には鮮烈で、眩しいほどの輝きを。またある時には、掌をそっと温めるような、柔らかい灯りを。

真っ暗闇の中にいたことがある。日々の悩みなんて、あっという間に飲み込まれてしまうくらいの。本当に真っ暗だった。

【Title of mine】を聴いた帰り道から、半年も経っていない頃に、それはやってきた。
2011年、全てが一変したあの日からのことだ。
私の故郷は、あの日一度、波の底に沈んだ。

生まれた町が、おもちゃか何かのように、黒い波に飲み込まれていくのを、呆然と見ていた。
誰かが持っていたラジオから「壊滅状態」という言葉が流れてくるのを何度も聞いた。それが自分の故郷を指している言葉だった。

家族が全員生きていることを確認できた頃には、発災から1週間という時間が経っていた。
残ったのは自分と家族の命だけ。それでも奇跡と言うしかないような状況だった。
家は跡形もなく、学校も破壊し尽くされ、クラスメイトや見知った名前が新聞の犠牲者の欄に載るのを呆然と眺めていた。

夜になるとただただ、涙が溢れた。
今まで生きてきた証を、明日も続くだろうと思っていた日常を根こそぎ奪われることを、17歳の心で受け止めるのは、到底不可能だった。

これからどうなるの、なんでこんなことになったの、なんで私は生きているの、こんな風になった世界でどうやって生きていくの。
未来なんて、見えるわけがなかった。

避難所の隅で、ギリギリまで音量を落とした携帯電話で、BUMPの曲を聴くようになったのは、2週間ほど経った頃だった。【天体観測】【ダイヤモンド】【涙のふるさと】【プラネタリウム】【fire sign】【Stage of the ground】、携帯に入っていたのはたった数曲。
どうしても聴きたい曲があった。入浴支援として、バスに揺られて内陸部に行った日、久しぶりに携帯が電波を受信した。電波があるうちにと、帰りのバスの中で、母に頼んで1曲だけダウンロードさせてもらった。
「そのポケットのスミを探すのさ きっと勇気のカケラが出てくるだろう 自信をもっていいハズさ 僕ら時には勇者にでもなれるんだ」

「単純に気高き夢のタメ 愛するヒトのタメ できない事なんて 1つでもあるかい?」

【リトルブレイバー】
勇気を歌った曲だ。どこかに行ってしまった音楽プレイヤーで、毎日毎日繰り返して聴いていた曲だった。勇気が欲しい時に、夢を思う夜に、自分を励ますために聴いていた。
世界がひっくり返っても、BUMPの音楽は、大好きな曲は、何一つ変わらずに、そこにあった。
叶えたい夢があった。大学に行って好きなことを勉強をして、それを生かせる仕事に就くこと。子どもの頃からの夢だった。

大学受験の年に、参考書どころかノートも鉛筆も無いのに。そもそもこの状況で、本当に大学なんて行けるのか。
現実は甘くなかったけれど、こんなところで、こんな形で諦めたくはなかった。絶望の中でも、その夢は指針だった。

できることからやろう、少しずつでもいい。
音楽を聴いても失ったものは戻ってこない。餓えも寒さもしのぐことはできない。そんな力なんてない。

それでも、絶望に押し潰されそうな心を守ってくれたのは、前を向く勇気をくれたのは、確かに音楽だった。BUMP OF CHICKENは暗闇の中の道標だった。
必死に勉強した。ライバルたちが普通に勉強していたであろう2ヶ月分の遅れを抱えていた。一時は進学ではなく就職を勧められた。希望を認めてもらえず、両親ともぶつかった。

それでも合格した。奇跡としか思えなかった。進学をして、故郷を離れた。
ずっと行きたかった大学に合格した。諦めかけた夢をひとつ叶えた。

嬉しかったけれど、心が晴れない。
家族を置いていく。あの日からまだ帰らない人がいる。瓦礫がうず高く積まれる故郷を離れて。ひとりだけ、何事もなかったかのような場所に行くのはあまりにも申し訳なかった。
進学してからもそれは続いた。全部無い、本当に無いなんて、身の上があまりにも重すぎて、出身地を話すと場の空気が凍った。

大学に入って知り合った友人たちと、自分の「日常」が、あまりにもかけ離れていた。その違いに、何も言えなくなってしまった。

BUMPは久しぶりのツアーをしたり、ベストアルバムを出したりと活動していたが、正直に言って、それどころではなかったのだ。

ある日、ツアーWILLPOLISのファイナル、日本武道館公演のレポートを読んだ。セットリスト、MCの内容。チケットの応募すらしていなかったのに、羨ましくてたまらなくなった。

「ライブに行きたい。初めてライブに行くならBUMPがいい。次のツアーがあるなら、チケットを取りたい」

そんな思いが芽生えた。何かを「楽しい」と思う自分に罪悪感を感じ続けていたのに。心の方が立ち直りたがっていたのかもしれない。
翌年、2014年。アルバム「RAY」のリリース、アルバムツアーWILLPOLIS2014の開催。4月5日、ツアー初日の幕張メッセ公演のチケットが取れた。
今まで音楽の中で、映像の中でしか、出会うことのなかったBUMP OF CHICKENが、同じ空間にいて、いつも聴いていた大好きな曲を目の前で鳴らしている。ライブが始まる前の緊張感も、次の曲を待つ間も、腕に灯る光も、全てが愛しいものだった。

「○×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ」【ray】

「お別れ」という言葉から始まる曲だ。

生きていれば、悲しみからも、苦しみからも、別れからも逃れることはできない。けれど、生きていれば喜びもある。楽しいこともある。
永遠に暗闇のままではない。
生きること、死ぬこと、一瞬の今のかけがえのなさを歌うバンドが、「生きるのは最高だ」と率直に放った。


「生きていて良かった」


幕張メッセで、あの日、やっと、やっと、心からそう思った。

藤原基央は、震災の直後、あるラジオ番組でこう話した。

「僕はミュージシャンでね、こういう時、音楽って本当に役に立たなくて」と。
それでも、被災地から送られた、「BUMPの音楽を求めている」というメッセージを読み上げ、「そこにいる人たちが、こういう風にメッセージをくれるなら、僕は歌いたいです」と言い、ギターを手に取った。
「また会いたいなぁって、また会うぞって、そういう思いで歌う曲です。【ガラスのブルース】」
「生まれてきた事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけない だから僕は唄を歌うよ 僕はいつも歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ 僕は今を叫ぶよ」

この部分の歌詞を替えて歌った。「またね」と言った。

あの痛みが消えることは一生ない。過去にすること、忘れることなんて不可能だ。

痛いなら、痛いままで。
忘れられないなら、忘れないで。
それでも前に進む。
生まれてきた意味を見つけるために。
命のカケラを燃やし尽くす日が来るまで。
精一杯、唄を歌う。

もうすぐBUMP OF CHICKENが東北の地にやって来る。PATHFINDER、宮城公演だ。初めて、自分が生まれた場所で、何よりも大切な、愛おしいバンドの音を聴くことができる。

その日、伝えることができるだろうか。
出会った日からの、ありがとうじゃ足りない感謝を。あなたたちの音楽が、ひなたに連れていってくれたことを。離れないで傍にいることを選んできたことを。あなたたちの鳴らす音を待っている人がいることを。

あの日の【ガラスのブルース】が、確かに届いたことを。


この作品は、「音楽文」の2017年12月・月間賞で最優秀賞を受賞した岩手県・あおいさん(23歳)による作品です。


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