今週の一枚 ASIAN KUNG-FU GENERATION『Wonder Future』

今週の一枚 ASIAN KUNG-FU GENERATION『Wonder Future』

ASIAN KUNG-FU GENERATION
『Wonder Future』
2015年5月27日発売



アジカンは発明家である。
四つ打ちってみんな普通に言うでしょう。もしくは、ロックを市井の文学として綴るアプローチ。
あるいは、「~だぜ」というダイレクトな呼び掛け。

みんな、この15年を通して、アジカンがその価値に気づかせてくれたものだ。
それぞれの誕生自体はアジカンの登場よりも前である。だが、そういったロックファクターを時代の中でジャストなものとして堂々と鳴らすのは、2000年代の日本においてはいつもアジカンだった。
アジカンはそうやって、ロックを僕たちにとって「近い」ものにしてくれたのである。
今シーンを沸かせているロックバンドでアジカンの影響を少しも受けていないバンドはいないだろう。
語弊を恐れずに言うなら、2015年的ロックの父親はアジカンをおいてほかにないと、そんなふうに僕は考えている。

しかし、このアルバムでアジカンがやっていることはもしかしたらアジカン史上初めて、もはや誰にも真似のできないことなのではないか。
ぶっとく無骨に無駄なく削ぎ落とされた8ビートとギブソンのパワーコード。
迷いなく鳴らされる通奏低音としての開放弦。
喉の筋肉自体が躍動しているさまを思わせるマッチョなロックヴォーカル。
そして、今を当事者として転がり生きながら、未来をぐっと見上げ力強くポジティヴに歌われる意志の言葉。
そのどれもが15年間の経験に裏付けられたスタンダードなロックサウンドを構成するものであると同時に、「今、何をすべきか」という鮮烈な焦燥感と責任感を伝えてくる。

フー・ファイターズのスタジオでレコーディングをすればそれがすなわち巨大なロックになるわけもなく、アジカンは今の、2015年のアジカンだからこそ王道を堂々と鳴らすことができたのである。
このアルバムは「近い」どころか、ロックそのものだ。
「俺こそがロックだ」と叫べばそういうことになってしまう地球上で唯一自己申告が許される音楽、それがロックだとしても、それでもロック的なるロック、ロックとして何より正しいロックはある。

手段やツールとしてのロックではなく、「結論」としてのロック。
このストレートなカッコよさの真似は、誰にもできない。
きっと、しようとしてもうまくできないだろう。
アジカンはこのアルバムで孤高の背中を示してくれたのだと思う。
このアルバムを父親の背中として聴き、その背中越しに前を向いてみてほしい。
するとそこに広がるロックの未来は力強く輝き、僕たちのロックミュージックはまだまだいけるんだという気持ちになってくるから不思議だ。(小栁大輔)
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