今週の一枚 ゲスの極み乙女。『魅力がすごいよ』
2014.10.27 07:00
ゲスの極み乙女。
『魅力がすごいよ』
10月29日発売
楽しくなるのは楽しい音楽、とは限らないよね。
そうじゃない場合は数多くある。
悲しくなるのは悲しい音楽、そう決めつけられるほど簡単ではないよね。
むしろ、そうじゃないんだということは沢山ある。
怒りを感じるのは、アングリー・ソングか?
違うよね、全然。
僕らはどこで何を聴いてどの瞬間に楽しくなるか自分でもわからないし、
何を聴いてもただ悲しくなってしまう季節から抜け出せなくなることもあれば、
誰もが盛り上がって楽しんで聴いている音楽に殺意に近い怒りを覚える瞬間だって何度でもある。
それが、音楽を聴くということの本質。
そのことがわからないで(あるいはわかっているのに手を抜くためにわからないふりをして)音楽を作っても、音楽を語っても、まったく意味なんかないんだよね。
昨日の天気を予報するような、無意味で不毛なこと。
前振りが長くなったけど、このゲスの極み乙女。のメジャー・ファースト・フル・アルバムを聴いて、「ああ絵音は誤解を解きたかったんだなあ」と思った。
ゲスの音楽に対する誤解、ゲスを語っている人たちの誤解、川谷絵音という人間に対する誤解、音楽というものに対する誤解、
いろんな誤解を一気に解こうとしているんじゃないかと思った。
そしてそれは成功している。
楽曲がよりポップの本質に近づいたことと、絵音が言葉の中で裸になったことによって、見事に成功しているのだ。
ゲスの音楽は、出口のない思考と感情の中をぬるぬると進んでいくしかない自分と時間をスプーンでそのまま掬い上げたような、
ポップだけどグロテスクで、捻れているけど正直な、
最初からそんな音楽だった。
絵音という人間をできる限りありのままに、でもできる限りポップにどうにかして表現するために編み出された発明だった。
だから、四つ打ちバンド・ブームの代表と見なされたことも、ライヴで客がアッパーなノリで盛り上がりまくることも、メンバーのキャラがひとり歩きしていくことも、
絵音にとっては戸惑うわけでも盛り上がるわけでもなく、それに乗るわけでも降りるわけでもなく、
それがどう機能していくのかを覚めた視線で眺めながら、ただひたすら曲を書いて自分と音楽との距離を縮めようとしてきた。
今回のアルバムは、いろんな切り口でゲスと絵音を捉えようとする世間に対する解答である。
どんな切り口でとらえてもらっても構いません、という解答でもあるし、
その切り口はすべて間違ってますよ、という解答でもある。
ゲスの極み乙女。は、絵音そのもの、音楽そのものなんですよ、という絶対的な解答なのだ。
捻った設定を飛び越えて絵音の本当の思いが伝わってくる歌詞、そしてゲスの音楽のパターン化した部分やムダな部分を脱ぎ捨てて本質をぐっと前面に押し出した楽曲の構成/アレンジ。
これまでのゲスのすべてを終わらせ、それ以上のゲスをここから始める、そんな作品。
悲しいバラードに悲しみがある、熱いロックに熱がある、楽しい曲に楽しさがある−−−そんな音楽の誤解と嘘に背を向け、
出口のない思考と感情の中をぬるぬると進んでいくしかない自分と時間の中にかけがえのない感情が渦巻いているということを表現し続ける意志がここにはある。
そこにおいて、僕は彼らを「今を代表するバンド」と呼びたい。