今週の一枚 欅坂46『二人セゾン』
2016.11.28 07:00
昔、何かの本で読んだのか、自分が突然そう感じたのか覚えていないが、人間には3つの性別があると思った。
「男」と「女」と「好きな人」。好きな人、というのは何も恋人に限ったことではなく、友人でもそれに該当する場合がある。大人になっていろんな理論や知識を使えるようになった今、これをうまく説明することは難しいのだが、まだ少女だった頃の私は確かにそう思ったことがあった。例えば道を歩いていて男の人と女の人が目の前を行き交っている中で「好きな人」だけがパッと映えていて「この人は男だ/女だ」と脳が認識するよりも前に、性別の垣根を感じさせないひとりの人間としての認識を「一つの独立した性別」と感じたのだ。それはよく言われる「小さいころは空に動物の形をした雲をよく見つけたのに」ということに似ているかもしれない。
欅坂46の今週発売される3rdシングル『二人セゾン』の表題曲は、そんなふうに今を生きる彼女達だからこそ、感じることのできる「5つ目の季節」の曲だと思う。
「セゾン」とはフランス語で、英語で書けばseason、つまり季節のことである。「二人の季節」ではなく“二人セゾン”というのは造語の固有名詞で、春、夏、秋、冬のどこかに突然ふっと現れた1つの季節。というのは私の勝手な憶測だが、この曲の端々にはそうストーリー付けたくなる歌詞がいくつか登場する。
《君はセゾン/僕の前に現れて》《日常を輝かせる/昨日と違った景色よ》《見えないバリア張った別世界/そんな僕を/連れ出してくれたんだ》
今までの欅坂46がリリースしてきたシングル曲のミュージックビデオは、メンバー全員が硬い表情をしていた。そして心の叫びを綴ったような主張の強い楽曲が続き、それは少女特有の潔癖さを感じさせたものだった。しかし今回の楽曲は、たおやかに漂うような浮遊感あるサウンドに、美しいピュアな裏声が響き、ビデオ中でも彼女たちはうっすら微笑みを浮かべてバレエの要素を取り入れたダンスを踊っている。
それは、彼女たち自身が今、心の扉をそっと開いてくれるような大切な誰かと「特別な1つの季節」を生きていることを象徴させる。“二人セゾン”は「大人は信じてくれない」と言ってしまうような少女ゆえの潔癖と、目の前に広がる憂鬱の霧を晴らす、どこか儚くも希望の光差し込む清歌なのだ。
既存の常識が世界の全てではなくて、そこに自分の人生で得たものが新しい常識として加わることがある。既存を越えていくことこそ、その人の人生と言えるのかもしれない。少女の時は縛られるものが少なかったから、あまりにも易々と越えられた気がするが、大人になってしまった今はめったに出来ないし、こんなことを思うこと自体も少なくなった。
既存のストーリーを次々に越えていく少女だからこその今の輝きを、そして10代のどこかできっと出会っていたはずの「特別なもう一つの季節」を、彼女たち欅坂46に映して、これからもずっと眺めていたい。(渡辺満理奈)