今週の一枚 NICO Touches the Walls『ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ ニホン ブドウカン』
2015.01.05 15:10
NICO Touches the Walls
『ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ ニホン ブドウカン』
2015年1月7日発売
NICO Touches the Wallsの武道館公演を収めた映像作品。
なのだが、まず大前提としてお薦めしたいのは2枚組の完全生産限定版である。
これは、2014年8月19日に行われた彼らにとって二度目の武道館公演に加えて、2010年3月12日に行われた初の武道館公演を収めたスペシャル版で、このバージョンの何が大事なのかというと、この間に横たわる4年間の歩みこそがNICO Touches the Wallsをタフに美しくしなやかなバンドにした極めて重要な時間だったからである。
彼らの言葉を借りるなら、「リベンジ」のための4年間。つまり、この4年の間に彼らはバンドの危機を経験し、それを乗り越え、難局を打開する名曲を生み出し、(詳しくは後述するが)「青春」を奪還していった。そして、今のNICO Touches the Wallsになった。
だから、リベンジの旅の「起点」と「終着点」をまるっと目撃できるこの作品はライヴ作品としても素晴らしいものだが、何より彼らのドキュメンタリー作品としてとても大切な何かを記録している作品なのである。2枚のディスクを一編に観ると映画のようだ。
最近でいえば、キャストの12年をリアルに追ったことで話題になった映画『6才のボクが、大人になるまで。』を観た後のあの実感に似ている。光村でいうなら、「24歳のボクが、28歳になってリベンジを果たすまで」ということだ。
前置きが長くなってすみません。でも、とても大事なことなので。
というわけで、2010年、初の武道館から観てみる。
今映像で観直せば、非常にストイックな武道館である。
「武道館がやれた」「このステージに立てた」というピュアな興奮やイケイケドンドンな若さが溢れているわけではない。むしろ、ブルージーの極致をいき、テンションを腹に飲み込んだようなヘヴィな楽曲でじわじわと空気を温めていくという、言うなれば「若さ」や「青さ」を抑えたライヴ――というより、おそらくは意図的に抑えようとしたライヴだったのである。
照明の演出も精密に組み立てられてはいるが、どちらかというと、いやけっこう地味だ。オーディエンスのテンションに関しても、曲が始まった瞬間に「わー!」と沸くようなわかりやすい盛り上がりは10曲目の“ホログラム”あたりまで登場しない。
セットリスト的にもマイナー調の楽曲が続く。
――というように、彼らが「リベンジ」の対象としてきたこの初の武道館公演に残されている状況証拠を集めてしまえば、この2時間は必ずしも明るい思い出にはなっていかないだろう。それはメンバー自身もそうだろうし、ファン的にもきっとそうだろう。
事実、僕自身の記憶を呼び起こしてみても、あの武道館にいる時の気分はとても堅かったように思う。一生懸命平常心でいようと努めながら大事に挑む友達を観ているときのような、落ち着かない気持ちをずっと感じていた。
つまり、武道館全体が緊張していたのである。
その空気感もこのディスクにはきっちり入っている。
ただ、誤解しないでもらいたいが、これはこれで素晴らしいライヴ映像作品なのである。
だって、彼らは当時、まだ24歳だったのだ。それを思えばこのサウンド的成熟も、ストイックなモードのまま武道館をやり切ってしまうというテクニカルな意味においてもやはり、NICOはどうしようもなく本物であり、ここに至るまで常に本物だったということがわかるはずである。
そしてさらに言えば、そんなライヴの映像化は実は今回が初めて、というのもちょっとすごいではないか。とても彼ららしい。この若い「凄さ」を彼らは今、初めて肯定できた、ということなのではないか――多少大げさに言えばだが。
しかし、その4年後、二度目の武道館公演を観ればそんな大げさはことを言いたくもなる思いはわかってもらえるのではないだろうか。
4人は大人になり、さらに成熟し、そして――なぜか、4年前よりもピュアなこどものような表情でステージに立ったのである。それがまた、えらくいい表情なのである。
2014年8月19日。
SEもなしに手を降りステージに上がってくる4人。
衣装もシンプル。全員Tシャツ、光村に至っては無地の白いTシャツである。
その表情は、「もう何も心配はいらないぜ。ここは君たちが支えてくれる武道館じゃない。みんなで楽しむ、楽しむことができる空間としての武道館なんだ。それが今ここにあるんだ」――そんな力強い笑顔なのだ。
思えば、である。
思えばNICO Touches the Wallsというバンドは最初から大人だった。
ブルースの解釈を自分のものにした確かなロックを最初から鳴らしていた。歌詞の世界観にはいつも独自のユーモアがあり、世の中を洒脱な視線でとらえるようなスマートなアイロニーもきっちり備えていた。
つまり、NICOはシーンに登場してきた最初から成熟し、完成していたのである。
その他のどの若手バンドにも似ていない佇まいは彼らにやはり他のどのバンドよりも早い成功と、苦い後味を残した武道館公演という実感を与えた。
若く、しかし成熟した4人はその才能ゆえに大きな幸福を手にし、そして同じだけの重さを持った宿命を負った。
つまり、「若さ」のままにバンドを疾走させていくというある種の思春期をなくしたままトップアーティストになってしまったのである。
だから、初の武道館の後の彼らの歩みは今思えば、「若さ」と「青春」を取り戻していく時間だった。
まさに「Broken Youth」を回復させ、再び自分たちの足跡を愛するための時間を彼らは4年間、生き続けてきたのである。
そう、だから、二度目の武道館が“Broken Youth”で始まったのは偶然ではないと、僕は思う。
この曲をアタマでどんな表情で――それはたとえば、若く楽しく、眩しく無邪気な表情で――歌えるのか。その瞬間をほかならぬ4人で、あの武道館のステージの上で作り出すことができるのか。それこそが彼らの「リベンジ」だったのである。
“Broken Youth”から始まる全20曲、2時間のライヴ。
結果、そんな二度目の、「リベンジ」の武道館は若々しく眩しく、しかし4年分しっかりと成熟した優れた音楽家による、心底素晴らしい武道館公演になった。
“Broken Youth”に続き、“THE BUNGY”“ホログラム”“夏の大三角形”。惜しみなく披露された最強のセットリストである。
それを4人は顔中笑顔にして、楽しそうに演奏していった。
冒頭のこの4曲だけでもハンパじゃない多幸感が降り注いでくる。その幸福はやがて、ベスト盤に収められた決意の新曲だった“ローハイド”、彼らの状況をど派手なリフで打開した“ニワカ雨ニモ負ケズ”、続く“手をたたけ”、そしてまさに「リベンジ」を歌った痛快なるロックンロール“天地ガエシ”で極まっていく。
ここで思うのはただひと言、「NICOはやっぱり、本当にいいバンドなんだなあ」ということだ。そう、この武道館を経て彼らは、若すぎずも慣れすぎもしていない、ただただ最高のロックバンドに、ようやく、なったのである。
その歩みが、この4時間のライヴ映像作品にはリアルに生々しく刻まれている。
とても美しく、凛とした気持ちにさせられる、素晴らしいドキュメンタリー・ライヴ作品である。