COUNTDOWN JAPAN 18/19の初日、フェス最大規模ステージとなるEARTH STAGEで、堂々一人きり(厳密に言えば、友達のテクノポップペンギン=てっくんも登場したが)のパフォーマンスを繰り広げた岡崎体育。そのセットリストを締めくくる、“鴨川等間隔”~“The Abyss”の生歌の流れにはマジで目頭を熱くさせられた。音楽家として真っ向から巨大なステージに臨む、彼の気概がひしひしと感じられる内容であった。
岡崎体育と言えば、“Explain”の歌詞の《いつかはさいたまスーパーアリーナで口パクやってやるんだ 絶対》でも知られるように、口パクのパフォーマンスがひとつの芸風として認知されているところがある。シンガーとしての生歌の表現力でオーディエンスを圧倒するタイプのアーティストではない。それでも、“鴨川等間隔”のメロディと歌詞の情感のスケール感は広大なEARTH STAGEにも相応しい普遍性を発揮していたし、2018年の初夏からライブ披露されるようになっていた“The Abyss”は、過去の楽曲群を改変して生み出された強力なダンスチューンだ。
《夢の中で迷わないように そっと種を蒔くみたいに残した言葉/誰かの記憶の奈落に潜むように ここに立つ 僕はここに居た》
“The Abyss”のこのセンテンスが歌われた後に訪れる、強烈にトランシーでアップリフティングなドロップは、彼の目の前のオーディエンスを根こそぎ跳ね上がらせ、踊らせることになる。ニューアルバム『SAITAMA』の最終トラックにこの曲が収められたことは、とてつもなく感動的だ。一点の曇りもない、音と言葉の存在証明である。
1月9日に『SAITAMA』をリリースするにあたって、岡崎体育は事前に新曲のミュージックビデオを一切発表しなかった。もともとユニークなMVの数々で注目を集め、『XXL』のときには“感情のピクセル”、“Natural Lips”、“式”という三段構えのMV攻勢を見せた彼からすると、意外な展開である。しかし彼はもともと、MVの人気曲をただ再現するようなライブを好まないところがあった。ライブでしか得られない驚きや笑いや喜びが随所に仕掛けられているからだ。MVで観て楽しむべき曲、ライブで観て楽しむべき曲、そして音源で触れるべき曲。岡崎体育の作品は、楽曲それぞれに意味や価値が吹き込まれることで、彼自身の多様な才能の側面をそれぞれに知らしめてきたわけだ。
現在発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』2019年2月号インタビューで詳しく語られているが、新作『SAITAMA』は彼のメジャーデビュー以降、最も鮮やかに音楽家としての岡崎体育を映し出し、笑い一発のインパクトが控えめになったアルバムだ。序盤は4曲目の“弱者”までをディスコ/ハウス路線のダンサブルなトラックで一気に盛り上げ、後半は生楽器サウンドをフィーチャーした“Jack Frost”や、“私生活”、そしてシンプルなピアノサウンドを伴って途方もなくロマンチックな想像力の広がりを見せる大名曲“龍”と、ソングライティングの力を見せつける多彩な楽曲が収められている。
音楽家・岡崎体育の真の力とは、テクノポップだのディスコだのロックだのといった音楽の「型」にあるのではない。もちろん、「BASIN TECHNO」=盆地テクノを独自の表現スタイルとして標榜してはいるが、最も重要なのは音と言葉の化学反応を引き出し「必殺のフック」を生み出すことにある。背徳的でシュールな《俺はPTAの会長 君はPTAの会員》(“PTA”)にしても、アップセッターの立場に身を置く《I am a 弱者》(“弱者”)にしても、ヤケクソ気味なパンクサウンドに映える《もうなにをやってもあかんわ》(“なにをやってもあかんわ”)の響きも、新作『SAITAMA』では「必殺のフック」として次々に浴びせかけられる。そもそも我々リスナーは、いつだって岡崎体育の「必殺のフック」に、笑わされたり驚かされたり、そして泣かされたりしてきたのではないか。
現在開催中のホールツアーを経て、いよいよ岡崎体育は有言実行の夢の舞台=さいたまスーパーアリーナワンマン(6月9日)へと辿り着く。アルバム『SAITAMA』は、彼がそこに向けて最後に揃えるべき手札だったことは言うまでもないだろう。夢を実現する物語をファンとしっかり共有し、それをさいたまスーパーアリーナで思い切り花開かせるための音と言葉が、『SAITAMA』には詰め込まれている。本作を聴きながらそのときを想像するだけで、また熱いものが込み上げてきそうだ。(小池宏和)