今週の一枚 ザ・ビートルズ『ザ・ビートルズ 1』
2015.11.02 07:00
ザ・ビートルズ
『ザ・ビートルズ 1』
11月6日(金)発売
2000年のリリース以来、さまざまなセールス記録を塗り替えてきたモンスター・アルバム『ザ・ビートルズ 1』。ザ・ビートルズの英米チャート1位曲27作品をまとめたという究極のコンピレーションなので、おそろしいほどにヒット曲としてのドライヴ感というか勢いをたたえた作品なのだが、この度あらためて再発されることになった。かねてより指摘されていた音質の悪さは2011年のリマスタリングで解消されることになったが、今回の再発のすごいところはリミックスをほどこしたところと、ついにビートルズのヴィデオ・クリップが公式リリースとして開陳されたことなのだ。個人的にはひとりのビートルズ・ファンとして本当にこの日を待ち続けてきたといってもいい。さまざまな文物で活字としてのみ読んできたビートルズのクリップをついにこの目で確認できるのだから! それもブートレグや劣悪動画としてではなく、HDクォリティーの映像をヘッドホンでがんがん鳴らしながら観られるのだから。
実際に『1』のクリップ全曲とデラックス・エディションの『1+』に収録されるボーナス・ヴィデオ23曲分をすべて体験してみたが、とにかくこれは圧倒的な体験だといっていい。『1』では展開として14曲目の"ペイパーバック・ライター"からカラー映像へと切り替わるのだが、特にこの時の映像バースト感はとてつもない。HD映像への修復度合も完璧なものだし、これまで、こまごまと活字と写真だけで確認してきたクリップのシークエンスをこの映像として体験するのは、手元にあった化石が突然なまものとして蘇ったような衝撃を受けるものだった。もちろん、それに輪をかけるのがこの曲のダイナミックな内容とパフォーマンス、そしてサウンドなのだ。ちなみにぼくが体験したのは5.1サラウンドで、ポールの異常なほどに強烈なベースのグルーヴに身を包まれるこのリミックスはまさに、ツボをひたすら刺激してくるサウンドだったとしかいいようがない。
しかし、なかにはこうしたリミックスに対して邪道だと考える向きもあるかもしれない。ビートルズがイギリスでは主にモノラルで聴かれ、モノラルだったラジオやテレビの電波に乗って未曾有の世界的現象になったということを考えれば、それはもっともな言い分だとも思う。しかし、ビートルズの楽曲をステレオのサウンドとして受容し熱狂したリスナーだって少なからず存在するはずだし、少なくともぼくの場合には、ビートルズとステレオは体験として切り離せないものなのだ。ぼくの家庭は決して裕福と呼べるものではなかったけれども、ステレオはぼくが小学生だった60年代半ば頃より居間にあったし、ぼくの周りにビートルズを(初期の音源を除いて)モノラルとして聴いていたロック好きの友達はひとりもいなかったと思う。ただ、現役時代のビートルズが即効的な人気に繋がるモノラル・ミックスにことのほか力を入れていたという事実もあり、80年代以降にモノラル・ヴァージョンが再発されていくのに合わせて、モノラル・ヴァージョンが神格化されていったところもあったと思うのだ。
実際、ビートルズのステレオ音源がかなりいびつなものであったことも確かだ。それは当時EMIスタジオに備わっていた機材に対してビートルズの閃きの方がはるかに先を行ってしまっていたからで、ジェフ・エメリックなどさまさまなエンジニアの苦肉の策によってビートルズのサウンドは作り上げられていったものだったのだ。しかも、昔の家庭用のステレオ機器は頻繁に接触不良を起こしたもので、急にわけもなく左右のチャンネルのいずれかが聴こえなくなることがあったりした。すると、突然、リード・ヴォーカルとドラムがまったく聴こえなくなり、ベースとギターとコーラスだけが聴こえるというシュールな体験になったりするのだ。そして、懸命にステレオの配線やレコード針の加減をチェックするのだが、それが成功してようやくもとに戻ったサウンドを確認すると、これがまた異常な気持ちよさを伴ってひたすらしびれてしまうのだ。
それだけビートルズのステレオ音源はバランスが悪かったわけで、今回のリミックスや1999年の『イエロー・サブマリン~ソングトラック~』で試みられたリミックスとは、根本的にはビートルズのステレオ・サウンドの位相をバランスよく修正することが狙いとなっている。しかし、修正されればされるだけズレはまた生まれるわけで、それがまたたまらなく気持ちよいし、刺激的なのだ。それに、もとのステレオ音源を知らなくても、どの曲のパフォーマンスも尋常ではないダイナミズムを誇っていることは確かだし、今回の『1』や『1+』のリミックスはそのダイナミズムを十二分にまで聴き手に届ける出来になっていてそれが素晴らしいと思った。ただ、個人的にはこの音にどこか懐かしい琴線に触れられたような思いにもなり、そのことにも感銘を受ける体験となった。(高見展)