今週の一枚 デヴィッド・ボウイ『ラザルス』
2016.10.18 13:15
デヴィッド・ボウイ
『ラザルス』
10月21日(金)発売
デヴィッド・ボウイが生前最後にスタジオ・レコーディングした未発表曲3曲が収録されている超貴重な作品『ラザルス』。ここには、NYのオフ・ブロードウェイで2015年11月18日から、2016年1月20日まで上映された同タイトルのミュージカルでオリジナル・キャストがパフォーマンスしたボウイの数々のヒット曲が収録されている。さらに、ボウイがこのミュージカルのために新曲を3曲書き下ろしたため、その3曲をボウイ自ら演奏したものが未発表曲として収録されているのだ。実は偶然だが運命としか思えないのは、キャストがこのレコーディングをしたのは、2016年1月11日。つまりボウイが亡くなった翌日だったということ。元々その日に予定されていたのだそうだが、キャストはスタジオに集まった時に初めてその悲報を知らされたという。当然のことながらものすごくエモーショナルなレコーディングになったそうだが、期せずしてとんでもない作品になってしまったのだ。
ボウイが亡くなってから『★』の意味が深くなったように、このミュージカル『ラザルス』もその意味を深めたように思える。というのも、元々ボウイが映画『地球に落ちて来た男』(1976年)で演じたトーマス・ジェローム・ニュートンが再び主人公となったこの作品。ここではマイケル・C・ホールが演じるニュートンは、地球に留まっているが、本当は死にたくて、でも死ねないでいるのだ。だから、過去の恋人を思い、ジンを浴びるように飲みまくっている。そして、しっかりと死なせてあげたい、さまえる魂を解放してあげたいと願うような物語なのだ。ボウイがこの企画を開始したのは、2014年春頃だったらしいが、その年の11月、まだ企画が初期の段階で監督のイヴォ・ヴァン・ホーヴェ(『レント』)はスカイプで直接ボウイから癌になったことを知らされたそう。それ以外の人達は誰も知らされていなかったそうだが、そういう状況で死についての物語を描いていたということ。ちなみに、ボウイはエンダ・ウォルシュ(『ONCE ダブリンの街角で』)と共同で脚本も執筆している。
ここに収録された未発表音源をボウイがレコーディングしたのは、『★』と同時期の2015年前半くらいで、同じスタジオで行われたということ。プロデュースはトニー・ヴィスコンティが行っている。またそれと並行して、ミュージカルの曲のアレンジも行っていたということなので、この当時ボウイがどれだけ勢力的にそのクリエイティビティを開花させていたのか、この作品でも分かるのではないかと思うのだ。
ミュージカルは、ボウイの自宅から徒歩10分という劇場で行われキャパはわずか200だったので記録的な早さでチケットは売り切れた。筆者は幸運にもチケットを買えたが、だからほとんどの人達にとってこの作品が初のミュージカル体験ということになる。このミュージカルにボウイは出演していないが、始まった瞬間にボウイがここにいる、としか思えないような内容だった。主演のホールがまず“Lazarus”を歌うが、もちろん声は違うが、ボウイが透けて見えてくるような歌い方だったからだ。彼は、ボウイから受けた影響をまるで隠さずにパフォーマンスし続けた。そのまっすぐさがむしろ良かった。それはこのアルバムを聴いてもらえば分かるのではないかと思う。
しかし例えば“Absolute Beginners”を聴いてもらえれば分かるように、全体として大きくアレンジはされている。ボウイは、音楽監督のヘンリー・ヘイ(『ザ・ネクスト・デイ』で共演)に、「ダーティで、ギトギトしたサウンドにしたい」と話したそうで、だからバンドは通常のブロードウェイ・ミュージカルとはかけ離れたロック・バンドであり、ヘイを含む7人で構成され、当然ステージ上でも毎日パフォーマンスしていた。ボウイの言う「ダーティ」なサウンドにするために、トランペットの代わりに、サックスとトロンボーンが起用されているのが特徴だ。もちろん『★』にも共通するジャズ・サウンドを取り入れているとも言える。“No Plan”や“Life On Mars?”を歌うソフィア・アン・カルーソはまだ14歳で、物語のキーとなる重要でかつミステリアスな存在「少女」を演じている。彼女によるボウイのカバーは、ピアノでより抑制したアレンジとなっている。ボウイはすべての曲のアレンジを自らピアノに向かって小節ごとに1曲1曲丁寧に行っていったそうだ。
さらに“Changes”も思いきり静かな解釈で披露されている。これを歌うのは、ニュートンのアシスタント役を演じるクリスティン・ミリオティ(『ONCE ダブリンの街角で』のミュージカルでトニー賞ノミネート)なのだが、彼女は結婚しているが、ニュートンに恋をしていて、自分の退屈で平凡な人生を彼が救ってくれると思っているのだ。“Changes”もそんな彼女の心境を代弁していて、だから静かに歌われるのだ。すべての曲は、それぞれのキャラクターの心情をその時々で表現し、それが舞台では当然重要な役割を担っている。とりわけ監督も認めているが、最初の40分間は物語が断片的すぎてよく分からないので、ボウイのエンターテイニングな曲が観客をつなぎ留めてくれるからだ。
ボウイによる“Sound And Vision”がそのまま収録されているのは、登場人物達の部屋にボウイのアナログ盤が置いてあり、それがそのまま演奏されるからだ。そして、ボウイが書き下ろした新曲3曲の歌詞は、“No Plan”では、非常に穏やかに、しかし主人公のさまよえる魂が語られている。「ここには音楽がない。僕は見失ってしまった」「人生に後悔はない」「でもまだ……」と。またよりアグレッシブな曲“Killing a Little Time”では、「僕は落ち行く男。喉を詰まらせた男、朽ちて行く男」「少し時間をつぶしているだけなんだ」と怒りともフラストレーションとも言える感情が表現されている。“When I Met You”では、「君に会う前僕は気が狂っていた」「君が僕の口を開いてくれたんだ」と主人公の心の和解が歌われているような気がする。すべての歌詞は、主人公の孤独との葛藤でもあり、ボウイが自分の死と向き合い、死にたくないという願望、または、その魂の行き場、魂として永遠に残っていきたいという彼の当時の心境について主人公を通して代弁しているようにも思える。
アルバムの最後は、“Heroes”で、ニュートンは、そこでテープで作られたロケットに乗って宇宙に帰って行こうとする。その前に、「少女」の正体が明かされて胸が張り裂けるシーンがあるが、それはネタばれになるので念のため伏せておく。“Heroes”は勝利のアンセムのように響くのでエンディングには使いたくないとボウイは言っていたそうだが、ヘイが、よりメランコリーな解釈にアレンジし、ボウイを説得したそうだ。「勝利の瞬間というよりは、少しだけ心を持ち上げてくれるサウンドになっているから」と。『ラザルス』とは元々聖書に登場する死から蘇った人物だ。ここでは、ボウイのキャリア全般の曲を通じて、孤独で拘束された主人公が、なんとかそこから抜け出そうとしている。そして想像力の中で自由になり、解放され、永遠に魂として生きたいとそう願望している。それが物語のテーマだ。それを、ボウイのその時の心境と重ねないのは難しい。そして、今言えるのは、彼が亡くなってもこうして作品が自由に生き続けているということ。だから、物語の本当の結末をこの作品が何より力強く語ってくれているような気がするのだ。