今週の一枚 ビョーク 『Vulnicura』

今週の一枚  ビョーク 『Vulnicura』

ビョーク
『Vulnicura』
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まず、久しぶりにビョークが自分の内面性をそのまま表現したアルバムという意味では『ヴェスパタイン』に近い。
音楽理念や政治性や概念性をそれぞれテーマにしていた『メダラ』、『ヴォルタ』、『バイオフィリア』を経て、
久々にビョークが彼女自身の感情を前面に打ち出したアルバムだ。
そもそも『ヴェスパタイン』も、それ以前の『ポスト』、『ホモジェニック』の外へ向けての提言的な作風に対する反動だったので、
この流れは非常に彼女らしい。

現代アーティスト、マシュー・バーニーとの別れが、このアルバムが個人的でしかも普遍的な「感情」になったきっかけであるようだ。
「個人的でしかも普遍的」と書いたのは、このアルバムはけして「私」の感情をぶちまけたものではなく、
「傷」がどのように生まれ、どうやって癒えていくのかというプロセスをリアルに捉えた作品だからだ。
アーティストとしてのビョークの姿勢は揺らぐことなく、それゆえどの曲も普遍性を持っている。



そして音に関しては、共同プロデューサーとしてアルカとハクサン・クロークという20代のプロデューサーと全面的に組んだということが大きい。
非常にエッジーでフリーキーなトラックメイカーでありながらメジャー・シーンからも注目される極めて今日的なプロデューサーで、
しかもビョークとの相性はこれ以上ないほどだ。
以前から比べるとポップ・シーンから少し遠ざかってアート/カルチャー・シーンの住人になってしまったような印象もあったビョークが、
再びポップ・シーンの最先端に戻ってきた感がある。

地殻変動のようなビート、空間を塗りつぶすドローン、クラシックな弦楽器の伝統的アンサンブル、未来的でコンクレートな響きを持つシンセ音−−−−−
そしてビョークの声、アントニー・へガティの声が共存し、一体となって
「感情」と呼ばれているものの正体をアートとして表出させている。
もはやそこには物語に依存した感情ではなく、感情そのものの音源化であるような音楽が鳴っている。
それゆえ、気がつくと何度も何度もループさせて聴いてしまう。



今、新世代の若手アーティストの多くがビョーク化している。
ポップ・ミュージックのアート性を重視し、自分の肉体性を正直に表現し、大胆に先鋭的なプロデューサーやPV監督を起用し、アンダーグラウンド/メインストリーム、ユニバーサル/ローカルを自由に行き来する。
ビョークが20年前から打ち立ててきたアーティスト像は、今の新しい世代のアーティストの姿勢を完全に先取りしていた。
そんなビョークもここ数年はコンセプトやテーマにやや依存していたと思う。
そんなビョークがそうした新しい世代のプロデューサーの音とともに、再びありのままのビョーク自身を表現する作品を作ったことが嬉しい。
そう思うのは僕だけではないはずだ。
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