①瞳に映らない
2014年にミニアルバム『あの街レコード』でメジャーデビューを飾ったindigo la Endが初めてリリースしたシングルがこの“瞳に映らない”。現ベーシストの後鳥亮介が加入して初めて作った楽曲であり、そういう意味では現在まで至るバンドの出発点だということもできる。まっすぐなメロディとアコースティックギターのストロークが爽やかで切ないムードを描き出す中、その後鳥のベースラインが楽曲に奥行きを生み出すように分厚く鳴り響くこの曲のサウンドデザインは、indigo la Endというバンドのバランスをよく表していると思う。川谷による歌詞やメロディのクオリティはすでに完成されているが、それに加えて耳に残る《あなた》のリフレインや楽曲のストーリーをドラマティックに加速させるDメロなど、ちゃんとリスナーに働きかける「仕掛け」がちりばめられているところも見事。②she
ファーストアルバム『夜に魔法をかけられて』の収録曲だが、楽曲としてはバンドの最初期からあった──というか、川谷自身「この曲を作ってindigo la Endが始まった」旨の発言をしていた通り、バンドの原点といっていい楽曲である。川谷の失恋の経験がもとになって生まれた、彼の楽曲では珍しくパーソナルな色合いを帯びた曲で、《泣きそうだ》というシンプルなフレーズにとてつもないエモーションを宿した歌には、他の曲にはない激しい心の動きを感じることができる。静かなアルペジオと歪んだギターサウンドの抑揚を効果的に使った、それこそレディオヘッドみたいな(歌詞には《毎晩聴いていたトムヨークの声が懐かしいな》というフレーズもある)サウンドも川谷という人の内側を象徴しているようで、聴くたびに心を揺さぶられる。③悲しくなる前に
加入したばかりのドラマー佐藤栄太郎のキレキレのプレイがイントロからほとばしる、メジャー3作目のシングル曲。ついに現在のラインナップが揃った記念すべきターニングポイントであるとともに、川谷の才気走ったソングライティングに何度聴いても背筋がゾクゾクする名曲である。タイトで複雑なアンサンブルが圧倒的な迫力で鳴り響く中、まるでそれとは関係ないとでもいうような表情のメロディとボーカルがすべっていく。そしてそのふたつの流れが合流してサビに突入した瞬間に、パッと視界が開けるような快感がやってくる。キラーチューンを狙ったと川谷は言っているが、その「キラーチューン」という言葉も単にそのとき巷で流行っている感じ、みたいなことでは当然ない。《悲しくなる前に/あなたを忘れちゃわないと》という斬新な視点も切れ味抜群で、インディゴを聴くという体験に新たな驚きをもたらしてくれた1曲だ。④夏夜のマジック
この曲が拾い上げられ多くの人に聴かれるようになったというのは、この世界にSNSがあってよかったことのひとつだといえるかもしれない。もともとは2015年のシングル『悲しくなる前に』のカップリングに収録されていたこの曲。2019年に突如再評価の波が起き、そのムーブメントはindigo la Endというバンドのイメージを塗り替え、その存在自体を押し上げることになった。バンドが今好きな音(ブルックリンのインディバンドAva Lunaをリファレンスにしたという)を肩の力を抜いて鳴らしているようなこの曲のアンサンブルはそもそもカップリング曲として作られたことによるものだが、だからこそ時代や年齢を超えた懐の深さが生まれたという意味ではそれすらも必然だったのかもしれない。この曲を作れたこと、そしてそれ以上にそんな曲が時を経て脚光を浴びたことは、その後のindigo la Endにとって大きな転換点となった。⑤蒼糸
「僕が今まで書いた曲の中で一番美しい歌詞が書けたかな」とはこの曲のミュージックビデオが公開された際に川谷がTwitter(現X)に投稿した言葉だが、《大なり小なり誰もが間違う/経験とともに恋が下手になる/一番下手になった時こそ/本当に誰か好きになる》とかタイトルに繋がる《糸は吉に絡まるから》とかのフレーズには言葉選びの丁寧さと同時にここまで生きてきた川谷自身の実感が深く滲んでいて、詞というより「詩」と呼ぶにふさわしい響きを帯びている。その詩を引き立たせながら、バンドサウンドに繊細なストリングスが絡んでいくサウンドも素晴らしい。控えめなギターに対してドラムが奥底にある激情を浮かび上がらせるように力強いビートを叩き、しかもその展開が楽曲のドラマを司っている。言葉と音が渾然一体となって物語を浮かび上がらせる、文字通りの「名曲」だ。⑥通り恋
メロディと、歌詞と、そこに乗った心情が、これほどまでに一体となって迫ってくる曲が他にあるだろうか。この曲を聴くたびにそんなことを思う。サビの《もう泣いてもいい/乱れてもいい/壊れてもいい/だけどあなたを愛してることだけ/歌うよ》と階段を上るように気持ちが高まり、それにつれてメロディも上がっていくところ。あるいは最後のサビからラストの2行にかけてリミッターが外れたように爆発していく思い。川谷のボーカルはいつも通り落ち着いているが、そのぶん内に秘めたものが溢れてくるような感覚を覚える。indigo la Endの曲を「切ない」と形容するのは「夜は暗い」とわざわざいうようなもので、つまり言葉にするまでもないことなのだが、その「切ない」を音符と言葉で因数分解していくようなきめ細やかさは、たとえばスピッツの“楓”あたりにも通じるものを感じる。⑦結び様
ドラマ『僕はまだ君を愛さないことができる』のエンディングテーマとなった、アルバム『濡れゆく私小説』からのシングル。切なさが胸を締め付けるようなイントロから、穏やかに語りかけるような川谷の歌が始まっていく。心を重ねるような女性コーラスが現れたり消えたりしながら綴られていく行ったり来たりの恋心。曲中にドラマのタイトルが歌い込まれていることからもわかるように、この曲の歌詞はドラマの主人公・蓮の気持ちを辿ったもの。淡々としているようで微妙な揺らぎを感じさせる繊細なコード進行やメロディラインが彼の心情を丁寧にトレースし、それを支えるような抑制されたサウンドアレンジの美しいバランスがindigo la Endが辿ってきた洗練の道のりを実感させてくれる。一聴してシンプルなバンドサウンドに聞こえるが、そのじつ細部に至るまでデザインされたマスターピース。この楽曲それ自体がひとつのドラマだ。⑧チューリップ
チューリップの花言葉は花の色ごとに違っていて、赤いチューリップは「真実の愛」を、そして白いチューリップは「失われた愛」を意味する。《赤かった2人は今日で終わって/雪に混じり合った/あなたの望む色になった/ああ、寒いな》という最後の歌詞が物語る通り、この曲がそんなチューリップの花に託して歌うのはひとつの恋の終わりだ。歌詞の面ではひとつのモチーフに寄り添いながらまっすぐ物語を描く一方、《まだ願いたいよ》と未練を感じながらも別れを受け入れていく主人公の内面の葛藤や記憶を鮮やかに映し出すように、バウンシーなベースや不整脈のように手数が減ったり増えたりするドラムが躍動する。赤と白が入り混じったラストシーンの色合いのように、人の心は決してひとつの色では描ききれない。この曲のサウンドが織りなす心象風景はそんなことを改めて感じさせてくれる。⑨名前は片想い
間違いなく名曲だが、同時にとても不思議な曲である。デッドなドラムとギターとコーラスがどこかレトロな雰囲気を帯びたイントロからキーボードが引っ張るAメロに入り、再びドラムが戻ってきてキャッチーなリズムを刻むBメロを経てポップなサビへ。でもそのサビもピーク直前でシュルシュルと萎むように終わっていく。突拍子もなく入ってくる8小節のギターソロも歪といえば歪だ。だがその一見チグハグな要素をバンドの演奏力とアレンジ力で繋ぎ合わせ、かつそれをコインの裏表のように揺れ動く片想いの心情と届けることで、この曲はどこの15秒を切り取ってもインパクトを残す(実際この曲はバンド史上最大のバイラルヒットとなった)、現代型のポップスとして成立した。indigo la Endがずっと作ってきた音楽とは異なるメカニズムで生まれた代表曲だ。⑩夜凪 feat.にしな
アルバム『MOLTING AND DANCING』に収録された、indigo la Endのキャリアで初めて女性シンガーをフィーチャーしたデュエットソング。参加したのはシンガーソングライターのにしなである。彼女の声が入ることで、川谷が描き続けてきた恋や愛の風景は一気に具体的になり、心の動きが手に取るようにわかるものになった。とはいえ、この曲が秀逸なのは、安直に川谷=男、にしな=女という図式に着地させていないところだ。この曲は一人称だし、ふたつの声が重なったり別れたりしながら歌詞を紡いでいくさまはふたりの会話というよりもひとりの中にある揺れ動く表裏一体の気持ちを思わせる。ループするバンドのサウンドとそれを掻き乱すようなストリングスの対比も同じく、同じところに留まりたくても留まれない(《冬が終わるからバイバイ》)恋の行く末を暗示している。『ROCKIN'ON JAPAN』2025年3月号にindigo la Endのインタビューを掲載! ご購入はこちら