谷口喜多朗によるソロプロジェクト、
Tele。2022年1月の始動以来、コンスタントに楽曲をリリースし、そのたびに彼の音楽は強烈な引力で新たなリスナーを引き寄せ続けている。曲ごとにさまざまな表情を帯びるサウンドの多彩さもさることながら、何よりも彼の表現を魅力的なものにしているのはその歌詞だろう。独特の筆致と言葉選びで綴られる歌詞には、一見して文意を掴めないように思えても、メロディと合わさることで確かに伝わってくる強烈なメッセージがある。ここではTeleというアーティストを知るうえで欠かせない5曲をピックアップ。これをきっかけにその奥深さにどっぷりとはまってほしい。(小川智宏)
①バースデイ
2022年1月にTeleが始めて発表した楽曲がこの“バースデイ”だ。軽快なリズムとギターのリフが耳に残るアッパーチューンで、実際に彼のライブではお客さんとバンドメンバーも巻き込んでのお祭り騒ぎの様相を呈する1曲となっている。ところでここで歌われる「バースデイ」とはなんだろうか。それはいうまでもなく、《冷蔵庫、仕舞っておいた/ケーキは諦めの味がする。》と歌い始められる通り、ここまで生きてきたことを祝福する日のことではない。むしろ《空気の抜けた生クリーム》のような今日までの日々に別れを告げ、まったく新しいものとしてここから始めていこうという意志、というよりも始めないとダメだという強迫的な思いに彩られたスタートのゼロ地点だ。《僕らに明日はないんだぜ。/今すぐ何かを変えようぜ。》。そのシンプルなフレーズを胸に、Teleは今も走り続けている。
②花瓶
2022年4月に配信リリースされ、アルバム『NEW BORN GHOST』にも収録されているこの曲は、Teleにとってひとつのターニングポイントだったんじゃないかという気がする。まるで昔のミュージカル映画みたいな幕開けから朗らかなコーラスが響き渡る楽しげでパワフルなサウンドだが、それだけに繰り返される《全部いやんなった》という言葉が強烈に耳に突き刺さってくる。だがそれが決して単なる悲嘆や諦めの言葉ではないことを、曲を聴いたあなたは直感的に理解するはずだ。喜多朗はこの曲で他人の気を引こうとして《花瓶を打ち付ける少女》に向けてこう歌いかける。《割れたガラスの上を、君は一人で歩く必要はもうないよ。/共に朽ちよう。》――つまり彼は自分も君と同じなんだよ、と言っている。その瞬間、《全部いやんなった》は愚痴ではなくTeleとリスナーを結ぶ共通認識となったのだ。
③Véranda
以前喜多朗はこの曲について「ラブソングを書きたかった。でもラブソングの定義からは外れたかった」と語ってくれた。まさにこの曲のテーマは愛であり、その意味では間違いなくラブソングだ。だがそれは恋愛の風景をドラマティックに描き立てるようなものではない。ここで描かれるのは相手の部屋のベランダのことを知らなかったり、どうでもいいカーテンのシミが頭から離れなかったり、どこか間が抜けたまんま始まって終わっていく恋であり、それとは関係なく(!)《愛はここにあんぜ。》と高らかに宣言してみせ、誰にかはわからないけど《ザマアミロ!》と悪態つきながら愛の道を突き進んでみせる主人公の姿だ。愛なんてそんなに高尚でも希少でもなくて、元からそこら中にあるんじゃないの? ソウルやゴスペルのムードで無理矢理に祝福を浴びせながらかます強烈なカウンターパンチ。誰よりも真っ当であるがゆえに誰よりも捻くれて見える、Teleの正体がここにある。
④ロックスター
2022年11月に開催されたTeleの初ワンマンライブで新曲として披露されたこの“ロックスター”という曲は、そのタイトル、歌詞の内容、発表のタイミング、すべてにおいてTeleの、谷口喜多朗による「所信表明」だった。ファンキーなリズムと軽快なピアノのリフにのせて、この曲は《あぁ、ロックスター。君が嘘をつき続ければ、/大体退屈な彼女は息を続けるだろう。》と歌う。それは喜多朗自身が「ロックスター」として「嘘をつき続ける」という宣言だ。あえて「嘘」という言葉を使ったのは「夢を与える」とか「美しい世界を見せる」とかの言い回しが欺瞞的で居心地が悪いからだろうし、「これ」を続けることのタフさを、彼自身が誰よりも承知しているからだろう。ピエロのメイクをした彼が過去の自分から刺されるというショッキングなシーンも盛り込まれ、ある意味で楽曲以上にそのメッセージを具現化しているミュージックビデオも必見だ。
⑤ことほぎ
まるで祝祭そのもののようなイントロの雄大なリズム、EDMのような高揚感を感じさせる楽曲の展開。これまでの楽曲とはまったく違うスケール感を帯びた“ことほぎ”を聴いて思うのは、たとえば“ロックスター”で歌われていた意志がより強固なものとなって具現化したような手応えだ。《愛される権利は君にある!/もう全部がくだらなくて、裸足のまま街を歩いている。/拙い言葉で祝うからさ、たまに笑ってくれ。》――そんなふうに歌うこの曲の歌詞には、“花瓶”で歌っていたことも、“Véranda”で歌っていたことも、あるいはそのほかの楽曲に彼が込めていたものも、すべてがグッと解像度を上げた状態で歌い込まれている気がする。そしてそれらすべてを伝えきったうえで、喜多朗は《思い出を美化はしないぜ。》《だからもう、次の未来へ。》とこの曲を締める。そう、“バースデイ”で《今すぐ何かを変えようぜ。》と言っていたように、彼は今もまた、その先を見据えているのだ。