今年5月にリリースされたSIRUPのアルバム『FEEL GOOD』をずっと聴いている。とにかく心地よいのだ。まさにFEEL GOOD――「いい感じ」としか言いようのない、心のものすごくプリミティブな部分を揺さぶってくるSIRUPの魅力とは一体何なのか。ここではそれを改めて考えてみたい。
SIRUPという名前が「Sing & Rap」をもじったものである、という由来を持ち出すまでもなく、その表現の核にあるのはR&Bやヒップホップである。彼自身もアリシア・キーズからチャンス・ザ・ラッパーまで幅広いアーティストからの影響を公言しているとおり、ブラックミュージックがベースにあるのは間違いないのだが、個人的には彼の音楽を単なるジャンル論で括ってしまうのはちょっとナンセンスなのではないかという気がしている。
Nulbarichや小袋成彬をはじめ、向井太一、iri、RIRI、TENDRE、最近で言えば冨田ラボにフィーチャーされて表舞台に登場したNazなど、新たな才能が続々と登場してきている新世代R&Bシーンだが、それはジャンルとしてのトレンドというよりも、再び「歌」の存在感が強くなっていることの表れなのではないかと思っている。言うまでもなく、とくにアメリカの現代のポップシーンにおいて歌ものポップスといえばまずR&Bなので、「歌」への意識が結果的にそうしたジャンルに着地するのは自然な流れだ。
SIRUPの中心にあるのも、以前のKYOtaro名義の頃から変わらずに「歌」である。名前の由来にあるとおり彼はラップもするが、“Pool”や“Synapse”、“Do Well”などでの彼のラップはメロディとシームレスに馴染み、溶け合っている。歌とラップを分けて考えるのではなく、歌からメロディを削ぎ落としていった結果としてラップになっている、とでも言うべきか。その、自由自在にスタイルを行き来するニュートラルな感性こそが、SIRUPの最大の武器だ。
彼の声やリズム感やメロディ感はいい意味でとてもナチュラルでスムースだ。多彩なクリエイターを起用した『FEEL GOOD』に収められているトラックもビートの強い曲からメロウで繊細な曲まで幅広いが、そのバラエティ豊かな楽曲群をSIRUPの歌は華麗に乗りこなしていく。たとえば“PLAY”にはTENDREがフィーチャーされているが、ふたりのボーカルは正反対と言っていいほどに違うアプローチをしていることがわかるはずだ。SIRUPに客演が多いのも、その声が、言葉を選ばずにいえば「使い勝手がいい」からだろう。どんなタイプのトラックにも、どんなボーカリストとのコラボレーションにも、SIRUPはすんなりと馴染む。
「俺のスタイルはこれ」と決め込んで固執するのではなく、曲が求めているものを感じ取り、それに声を添わせるように美しいメロディを紡いだり、ラップしたり、スポークンワードのようにつぶやいたりする。SIRUPはそういうシンガーだ。まるで楽器を持ち替えながら曲を作り上げていくようにして、あるいは声によって楽曲をプロデュースしていくようにして、彼は音楽を生み出していく。彼の楽曲のいくつかでスキャットが印象的に使われているのは、まさにそんなSIRUPの歌の在り方を象徴している。我が強いわけではないのに、深いところまで届いて残る、そんな歌だ。
「SIRUPの魅力は歌である」なんて書くとちょっとバカのようだが、それはただ「巧いR&Bシンガーだ」という意味ではなく、壁を越えて普遍的な存在となっていくポテンシャルが眠っているということだ(たとえば、かつての平井堅がそうであったように)。何気なく心の琴線をわし掴みにしていくその歌声は、単なるジャンルのブームでは終わらない、しなやかさをもっている。(小川智宏)
【知りたい】なぜSIRUPの「歌」は我々の心をわし掴みにするのか?
2019.09.12 12:40