スピッツは時代の「夜」を想う――ニューシングル『紫の夜を越えて』によせて

スピッツ『紫の夜を越えて』
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スピッツ 紫の夜を越えて
既に『NEWS23』のエンディングテーマとして年明けから流れているので耳にしている人も多いだろう、スピッツの新曲“紫の夜を越えて”は、まるで先の見えない暗闇を歩く足元を照らす一筋の光線のような、優しく、逞しく、生の意志に満ちた歌だ。

『NEWS23』のために書き下ろされたというこの曲は、書き下ろし故に、この歌が流れる景色が明瞭にイメージされながら生み出されたのではないだろうか。2021年の平日の夜に、報道番組がテレビから流れる部屋。そこには、画面に映し出されるニュースを食い入るように見つめる人もいれば、ストロングの缶チューハイなんかを飲みながら、なんとなく眺める程度の人だっているだろう。もちろん、テレビをつけながらもそれには目もくれず、スマホばかりいじっている人だっているだろう。色々な人がいる。色々な傷、色々な魂、色々なアルコール、色々なコーヒー、色々な憂鬱、色々な夢、色々なタイムライン、色々な恋……。そのすべてに平等に降り注ぐ、夜。どんな人のもとにも等しく夜はくる。

この原稿を書いている現在、私が暮らす東京の夜は新型コロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言下ということもあって、外はめっきり静かだ。だが、この静けさの薄膜をめくれば、そこには騒々しいほどの混沌があるのがわかる。夜は夜であるだけで甘美なものではあるのだが、しかしながら最近の夜は、表面的には静かなはずが、実感としてはぼんやりと騒々しくて重たい。耳をそばだてれば静寂の奥から、叫びが、軋みが、確かに聴こえてくるのだ。沈黙とは、人が主体的に選び取るべきものであり、誰かに押し付けられるものであってはいけない。草野マサムネが何故、新曲で「紫の夜」と表現したのかはわからないが、この時代の夜を「紫」という色彩に観た草野は確実に「今」の混沌を捉えているし、彼の視的(詩的)感覚はやはりとても鋭敏なものであると、改めて感じる。

スピッツが2021年の夜に届けるために紡いだメッセージは、彼ららしい柔らかで繊細な筆致を持ちながらも、同時に、私たちの小さくて大きな1日1日を確かに踏みしめて前に進んでいくための切実な力強さに満ちている。《惑星》や《メモリーズ》など、歌詞にはこれまでのスピッツの歴史と地続きにある単語も並ぶが、それらは新たな歌のリズムの中で、新鮮な詩情を色めかせている。《画面の向こうの快楽匂いのない正義その先に》《傷は消せないが続いていくなら起き上がり》《従わず得られるならば砂の風に逆らい》――少し抜粋しただけでも、歌詞には時代意識を背景にした、鮮烈で前のめりなラインが並ぶ。冷めた空気を暖めるようなメロディアスな出だしから、勇猛果敢な推進力のあるサビへ。一見シンプルでありながら強い焦燥感も感じさせる曲構成もまた、バンドの研ぎ澄まされた意志を感じさせるものだ。

2020年に唯一スピッツがリリースした曲“猫ちぐら”はバンドがリモート体制で制作した楽曲で、そこには、離れ離れになった私たちの居場所を癒やすように、一人ひとりの孤独な夜が穏やかなものであるよう祈りを込めて編まれた稲わらのような暖かさがあったが、“紫の夜を越えて”に描かれるのは、「その先」である。不安に震えた夜を越えた先にある朝の光に向けて。来るべき新たな春に、再び季節の歌が私たちの心を吹き抜けることを待ちわびるように、“紫の夜を越えて”は躍動しながら響く。

“紫の夜を越えて”を聴いていると、曲の雰囲気がどこか近しいからか、高校生の頃にテレビから“スターゲイザー”が流れてきた時のことを思い出した。私の家庭では唯一テレビがある居間に行くと家族と顔を合わせなければいけないので、思春期真っただ中の私はテレビをあまり見なかったが、それでも耳に入ってくる歌には好きなものもあった。“スターゲイザー”はその1曲で、私が初めて買ったスピッツのCDは“スターゲイザー”が収録された『色色衣』だった。学校に行っても教室では一言も口をきかず、それでも何かに歯向かっていたのか、怯えていたのか(恐らく両方だろう)、休まず生真面目に学校に通っていたあの頃の自分にとって、スピッツの歌は勇気の歌だった。持たざる者が、「力」で回る世界を、詩と色と花を携えて生き抜いていくための勇気の歌。歌は、いつの間にかポケットに忍び込んでいるものだ。あれから何年もかけて何着もズボンをはき替えてきたつもりが、あの頃の勇気の歌は、今でも私のポケットに入ったままだ。きっと“紫の夜を越えて”も、お守りのようにポケットに入れて生きていくことになるだろう。

《紫の夜を越えていこういくつもの光の粒/僕らも小さなひとつずつ》――歌詞にあるこの美しい一節を聴くと、去年、予定されていたツアーを延期せざるを得なかったスピッツが11月に開催したライブ「猫ちぐらの夕べ」での景色を思い出す。あの日、草野はライブ終盤のMCで「今日来てくれた誰かひとりが欠けても、この空間は作れなかった」と客席に向けて語った。思えば、あの日ばかりでなく、近年のライブで草野はこうした旨の発言を繰り返しMCでしていた。それは時折、「MCが下手だ」と自虐する彼が、それでも言葉にして伝えたいことだったのだろう。小さき者でも、個が個として生きることは肯定されなければならない。孤独であること、「ひとり」であることの尊厳を歌い続けてきたバンドは、それ故に今、この世界に散り散りに存在する数多の夜を想うのである。(天野史彬)

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(『ROCKIN'ON JAPAN』2021年5月号より)

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