──本作では、ほとんど丸ごと1曲を使ったライブ映像も多く登場しますよね。そうした構成もとても珍しいと思いました。さらに驚いたのは、初期のキャリアのライブ映像まで見つけてこられたことです。本当に貴重です。演奏が始まった途端に子どもたちが耳をふさいでしまうようなシーンなど、あのカメラアングルの映像をよく見つけましたね。
バーナード「そうですね、私たちは新しいタイプの映画を作ろうとしていました。自分たちの目指したのは、アーカイブ映像やインタビューを使いながらも、まるでドラマ仕立てのミュージカルのような作品にすることだったんです。参考にしたのは『雨に唄えば』や『ロッキー・ホラー・ショー』のような映画でした。それにフレッド・アステアの作品や『サウンド・オブ・ミュージック』なども、この映画を作るうえでの大きな手がかりになりました」
アリソン「私たちは1930~40年代の古典的な映画から大きな影響を受けていて、その時代のモンタージュの手法を多く取り入れています。もうひとつの特徴は、歌詞そのものを物語を進める装置として使っていることです。いまおっしゃった“Communication Breakdown”の場面では、ちょうどバンドが認知されようと苦闘しているところで、その曲が流れるんです。実際コミュニケーションがブレイクダウン(=意思のすれ違い)しているわけですからね」
バーナード「それで、そしてアメリカでレコード契約をつかもうとする場面では“Your Time Is Gonna Come”(=君の時代が来る)が響く。つまり、劇中の曲はすべて、物語の展開に呼応する歌詞を持つものとして選んでいるんです」
アリソン「それから物語が進み、彼らが成功を収めてアメリカを横断していく場面では、“Ramble On”が流れます。まるでミュージカルのように、歌詞がストーリーを前へと運んでいくんです」
バーナード「そして映画のラスト、彼らが世界最大のバンドとなって帰国し、これまで無視されてきた母国でようやく正式に評価されるロイヤル・アルバート・ホールのシーンでは“What Is and What Should Never Be”を歌います。この曲の歌詞は、新しい扉を開くこと、その先には良いことも悪いことも待ち受けているかもしれないという内容で、まさに“パンドラの箱”のような歌なんです。つまり、その後に起こる出来事を暗示している。
すべての曲は、往年のミュージカルと同じように、そこに置かれる理由があって選ばれています。そして観客はそれを理屈ではなく感覚で受け取るんです。歌詞が物語に寄り添っているからこそ、観客は自然にバンドの語ることを理解できるんです。
観客は頭で考えるのではなく、感覚でそれを受け取ります。歌詞がミュージカルのように物語にぴたりとはまっているからこそ、バンドが語っていることを自然に消化でき、そして音楽を聴くことができるんです。
そして何より大切なのは、音楽というものが、おそらく世界で最も強力な表現手段のひとつだということです。そして、観客には自分自身で音楽について考える機会が与えられるべきだと、私たちは思っています。この映画の中では、誰もその音楽が良いとか悪いとかを断定しません。彼らが何をしていたかは語られますが、どう感じるべきかを押しつけることはないんです。多くのドキュメンタリーは『どう思うべきか』を語ってしまいますが、私たちはそうはしませんでした」
今日から公開、レッド・ツェッペリン初の公認ドキュメンタリー映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』。監督に聴いた。ジミー・ペイジにテストされた話から、ジョン・ボーナムの音声発掘など。
2025.09.26 18:00