バーナード「そうですね、とても緊張しました。なにしろ彼らと話す前に、何か月も何か月も準備を重ねてきたわけですから。私たちは脚本を書き、ストーリーボードを作り、まだ誰も見たことのない映像素材を探し出す、そんな作業をすべて済ませてから、ようやく彼らに連絡を取ったんです。だからこそ緊張しました。しかも当時は、世界中の誰もが『彼らはすべての映画のオファーを断ってきた』と理解していたわけですから。彼らは、過去55年間、あらゆる映画のオファー、どんなドキュメンタリーもすべて断ってきたわけです。
だから、私たちも『99%の確率で断られるだろう』という前提で動いていました。これまでは企画書に目を通すことさえなく断られてきたんです。だから『絶対に無理だ』と思っていました。でも私とアリソンは、どんなことでも事前の準備が大切だと強く信じていました。だから取りかかる前に、どう進めるかを細部まで考え抜いていました。そして幸運なことに、それこそが今回のようなプロジェクトに臨む唯一の方法でもありました。
ジミー・ペイジに会いに行ったときのことですが……彼と席に着いたとき、私は『2時間かけて映画の内容を一つひとつ説明する』と思っていました。私たちはすべて暗記して臨みました。メモは一切なく、持っていたのは写真を収めた一冊の本だけ。映画の各場面を示すイメージをまとめたもので、それ以外のすべて──日付も名前も場所も──頭に入れていました。だから時々、ジミーが私たちをテストように質問してくることがあって……。
例えば私がこう言うと『ここが、テリー・リードがシンガーを推薦して、あなたがロバート・プラントが当時のバンドで歌っているのを観に行った場面ですね』と」
アリソン「彼が、『じゃあ、そのときロバートが所属していたバンドの名前は何?』と聞いてきたんです」
──(笑)。
バーナード「『Obs-Tweedleです』と答えると、彼は『当たりだ、続けて』と言いました。そんな感じでした」
アリソン「そしてまた別の時には、彼がこう言ったこともあって……」
バーナード「彼はたくさんのバッグを抱えて現れたんです。私はてっきりサンドイッチか何かを買ってきたのかと思いました。
バッグをドアの横に置いて、プレゼンが始まって1~2時間経った頃、私が『5月にこういうことをされましたよね』と言ったんです。すると彼は『いや、それは6月の頭だったはず。まあ確認してみよう』と言って、ドアのそばに置いていたバッグのところへ行ったんです。そして中身をテーブルに広げたら、そこには1963年までさかのぼる日記がぎっしり入っていました。
映画の中でめくって見せているあの日記です。彼はそれを持ってきていたんです。つまり、その会合がうまくいけば、次の段階に進む準備はできていたということなんですね。あの時は、準備を徹底した2組が出会った瞬間だったと思います。もし私たちがあれほど準備をして知識を積み重ねていなかったら、あのバッグが開けられることはなかったと思います。中身を見ることもなかったでしょう。けれど、彼が『これは本気だ、興味深い』と思った瞬間にバッグが開かれて、『じゃあ一緒に見てみよう』となったんです」
アリソン「そこからは楽しい時間になって、本当にいいミーティングになりました」