「なんで悩んでんだっけ?」ってよくよく考えたらわからないなっていう憂鬱、ありますよね。その「なんで」をひもといていく作業をずっと曲でしているような気がする
――この曲の歌詞は《穴空きの心の中 埋める物を探してる》って始まるけど、その瞬間にもうクボタカイじゃないですか。それは“ピアス”にも通じるものだったりするし、そのためにクボタカイっていう人は音楽をやってるんだという、いちばん真ん中にある部分だと思うんですよ。未山の話かもしれないけど、思いっきり自分を重ねて書いたんだろうなって思う。「重なる部分がある状態で書き始めたから、ある種自分のことではあるのかもしれないですね。もちろん未山が高校時代に恋人へ送った手紙から引用したんだけど、ただのラブソングにしたくもなくて。映画の製作陣ともそういう話もして、『なんなんだろう、この心の喪失は』っていうところから始めたかったんです」
――そういう喪失感というか、ぽっかり空洞が空いているなっていう感覚って、クボタくんの中にもずっとあるんだと思うんですよね。だからこそ音楽をやっているし、ポップスっていうものに憧れ続けているんだと思うんです。
「そうだと思います。『なんで悩んでんだっけ?』ってよくよく考えたらわからないなっていう憂鬱、ありますよね。その『なんで』をひもといていく、その作業をずっと曲でしているような気がするんです。でも悲しみだけにフォーカスするのもな、ともここ最近は思っていて。それを乗り越えたり経験したうえで、どういう笑顔ができるか、どういう曲が作れるか、どういう喩えができるかっていうほうがかっこいいなと思い始めたんですけど、どのみちそれがずっとガソリンなんだと思います。根底にはあるものというか」
――うん。この曲を聴いていても思うんですけど、「心に穴空いてますよね」っていう大前提は揺るがないものとしてクボタくんの中にあって。でもそれだけじゃなくて、「音楽を通してその穴を埋めることができるかもしれないよね」っていう希望というか願いというか、それを届けるんだっていうものにクボタカイの音楽はなってきている感じがする。“隣”はまさにそういう曲だなって。
「わ、嬉しいです。なんか悩み相談にしたくはなくて……したくはないというか、悩みに対してちゃんと答えが返ってくるみたいなことでもないなと思うんです。どちらかというと僕は、つらい時にぱっと下を見たらすごいちっちゃいきれいな花が咲いてて『なんかテンション上がっちゃったな』みたいなこととか、それこそ何も聞かずに笑いで吹き飛ばしてくれるおっちゃんだったりとか、ただ雲がきれいとか海がきれいとか、そういうものになりたいんですよね。これ、難しいかな。でも、そういう穴の埋め方をしたいというのはすごく心がけてます。そのためにはやっぱり人間。どの歌も原材料、原産地は僕ですから、どういう人と出会って、どういうことを考えて、そこで優しくなるのか、自分に負けるのか。そういう選択1個1個がこれから作る曲に影響するので、まずは自分が優しくいようっていうのはすごく大事な部分だと思います」
僕、よくあるんですよ。自分の曲なのに「僕には歌えないな」というか、「この人が歌ったらめっちゃよさそうだな」って思うことが。悔しいけど
――原材料とか原産地はクボタカイ自身であるっていうのはそうだと思うんですよ。じゃあ、その同じ材料を使ってどう料理するのかっていうことですよね。それで今まで以上に伝わるものにするには、スキルも磨かないといけないし、新しい道具を手に入れないといけないかもしれない。「そうですね。でもその喩えで言うと、もともと比較的いろんな道具を持っていたような気はするんです。包丁も三徳だけじゃなくて肉切り包丁も持ってるんかい、みたいな(笑)。そのぶん、逆にどれを使おうかなって迷う感覚があって。でも今大事にしたいのは、どちらかというと包丁さばきの技術のほうだったりするんです。そうやってちゃんと食材の美味しさを届けられたらなっていうのが最近頑張ってるところで。そのうえで、いろんなジャンルの曲ができるようになれたらなと思ったりします」
――これもまさに包丁さばきのところだと思うんですけど、“夢で逢えたら”もそうだと思いますし、“隣”も、あとは『恋する♥週末ホームステイ 2023春~Sweet Orange Memory~』の挿入歌になった“蝶つがい”という曲も、より歌と声にフォーカスしている曲が増えている感じがするんです。あと単純に歌がめちゃくちゃよくなってる印象があるんですよね。
「ああ、嬉しいです。一応トレーニングはしてます。毎日おうちで呼吸法をやったり、特に移動日は肩が凝ったりするので、ちゃんとほぐしてあげて、とか。そういうことはやってますね」
――そこに意識がいっているというのはとても重要なことだと思うんです。要するにそれは、どういうスタイルで音楽やるか、どういう道具を使うか以前の話で、クボタカイっていう肉体としてどこまで届ける力を持てるかみたいなことだと思うんですよ。
「そうですね、まさしく。今まではちょっとウィスパー味のある、文字通りの『声』だった気がするんですけど、それをちゃんと歌にできたらなってすごく思っていて。それができたら……僕、よくあるんですよ。自分の曲なのに『この曲、いい歌なのに僕には歌えないな』みたいな。歌えないなっていうか、『この人が歌ったらめっちゃよさそうだな』って思うことが、悔しいけどあったりするんです。でも、自分の表現の1個としてやっぱちゃんと持っておくべきものだなと思うし、いちミュージシャンとしてやっぱちゃんと強くなりたいですよね。“隣”もライブで初披露する前まではすごく緊張してたんですけど、いざ本番で歌ってみたら入り込めたというか、いい意味で何も考えずに歌えたので。これからライブで歌っていくごとにその精度は増していくだろうし、それもすごく楽しみです」