しかし主に英詞で歌われるリリックまで耳を傾けると、根底にはあっけらかんとした諦めや絶望があることを感じさせる。それが「好き」のパワー全開なサウンドに乗ると、キラキラした希望とは異なる、乾いた希望みたいなものを感じさせる。そのリリックや歌に滲み出ているものから、Haruhi(Vo)がどういう人間なのかもすごく気になった。“ARCH”、“Spotlight”を2ヶ月連続リリースするタイミングで取材できることになったが、こうしてCheCheがロングインタビューを受けるのは初とのことで、バンド名の由来やそれぞれのルーツなど基本的なところから、音楽に表れているHaruhiの人生観やバンドの哲学についても深く訊かせてもらった。
インタビュー=矢島由佳子
──いちばん基本的なところから訊きますが、CheCheというバンド名の由来は?古いロックが好きなんだけど、それを今の音楽として昇華できているバンドはかっこいいなと思います(ヤマダ)
Haruhi どうする? ラジオとかでも訊かれるたびに変えているんですよね。
岸本息吹(B) 今回は?
Haruhi 「マイクチェックの『チェッ、チェッ』から取りました」でいくか⋯⋯。
Dagabazi(G・Cho) どこかの国の言葉で「泣き虫」とか。
Haruhi どこかの国の言葉で「そこにある」っていうのもあるらしいです。
岸本 へえ!
──(笑)。総じて言うと、音の響きで選んだということ?
ヤマダタツキ(G・Cho) ほぼそうですね。
──誰が最初に発案したんですか?
岸本 それは、僕たち専門学校の同級生で、最初は試験のためにバンドを組んだんです。そのときの提出用紙にバンド名を書かなきゃいけなくて、なぜかわからないんですけど野性爆弾のくっきー!さんの「チェチェナちゃん」というキャラから取って「チェチェナクッキーモンスターズ」と書いて。そこから「チェチェ」だけが残ったっていう。
──それが本当の理由なんですね(笑)。結成の経緯としては、みなさん同じ専門学校に通っていて、そこで組んだのが始まりですか?
Haruhi そうですね。プロミュージシャン学科の中で、息吹がベース、タツキがギター、Dagabaziがシンガーソングライター、僕がバンドボーカル専攻で。
ヤマダ それでさっき言った、試験というかオーディションみたいなものがあって、オリジナルを演奏するために組んだのが始まりです。“SCARF”とかはそのときからあったけど、もっとガレージロックっぽかったよね。今みたいにモダンな雰囲気があるというよりは⋯⋯。
Dagabazi ザ・ストロークス的な雰囲気でしたね。音ももっとカサカサなイメージ。卒業してから「どうにかなんねえかな」と思って、DAWで試しながら打ち込んだりして今の感じになりました。
ヤマダ Dagabaziが最近の音楽もよく聴いていて、そういうエッセンスを入れたアレンジで“SCARF”を出してきて、それが意外とハマったことで今のCheCheのスタイルになっているのかもしれないです。
──CheCheの音楽からも、今の話からもわかるのは、自分たちが好きなロックを大事にしつつ、ちゃんとルーツを感じさせながらもオリジナリティを出して、今の時代に突出できる存在になりたいという意志があることで。
Dagabazi まさにそうですね。
──自分たちより上の世代の国内バンドで、そういったスタンスで憧れる人はいますか?
Dagabazi CHAIは異端だったなって。あの海外志向の空気感には憧れてました。あとはみんなOKAMOTO’Sを聴いていたり。
ヤマダ OKAMOTO’Sみたいに、古いロックが好きなんだけど、それを今の音楽として昇華できているバンドはかっこいいなと思います。
──CheCheは4人ともソングライターで、それぞれのルーツが表出しているから、これだけ曲ごとに多種多様な音楽性を発揮できているのだろうなと思っているんですけど、それぞれのルーツを訊いてもいいですか? 音楽の専門学校に進学した背景には、どんな想いがあったのかも訊きたいです。アイドルの音楽とかも聴いて歌っていたので、「メンバー全員が主役」みたいなスタイルへの憧れはそこがルーツになっていると思います(ヤマダ)
Dagabazi 小3くらいのときに母親がスターダスト☆レビューのライブ映像を流してて、それを観てギタープレイに憧れて、家にあったアコギを弾くようになりました。スターダスト☆レビューって、AORの80、90年代のおしゃれな感じをまとっているバンドだと思うんですけど、それに感銘を受けて。そこからザ・ビートルズ、斉藤和義さんとか、ロックだけどいろんな要素を持ってる人たちに憧れました。高校は軽音楽部で、その頃から曲を作ったりもしていて。専門でシンガーソングライター専攻を選んだのは、その名前の通り、本当はソロでやっていこうと思っていたんです。でもバンドを組む楽しさがわかっちゃって。入学したときは星野源さんみたいになりたかったですね。
ヤマダ 今もシンガーソングライター的な思考で、いろいろなアイデアを持ってきてくれたりします。プロデューサー視点で全体を見るようなポジションにいるので、シンガーソングライターというキャラは今もかなり立っていると思いますね。
──タツキさんのルーツは?
ヤマダ お母さんが学校の音楽の先生をやっていて、車の中ではずっと吹奏楽かジャズが流れていて。家には、見たことのない楽器がたくさんありました。でも僕はJ-POPとか、テレビで流れる音楽が好きで。アイドルの音楽とかも聴いて歌っていたので、「メンバー全員が主役」みたいなスタイルへの憧れはそこがルーツになっていると思います。レッド・ホット・チリ・ペッパーズを見ても「全員主役じゃん」みたいな、バンドを見るときも全員を見る癖がついていて、自分がかっこいいなと思うバンドは誰が切り取られてもかっこいい人たちですね。ギターのルーツはまた違いますけど、価値観のルーツはそこにあると思います。
──OKAMOTO’Sも全員が主役ですもんね。ギターのルーツはどこなんですか?
ヤマダ ギターにハマりだしたのは、『関ジャム(完全燃SHOW)』(現『EIGHT-JAM』)でスタジオミュージシャンの特集を観て、「なんだこの人たち!」って思ったのがきっかけで。楽器で会話しているような人たちが出てきて、「これになりたいかも」と思って。それが高校3年生のときだったんですけど、そもそもあまりちゃんと考えるタイプじゃなくて、やりたいなと思ったらすぐにやっちゃう人なので「専門学校に行くわ」って言って。「バンドを組みたい」とかはなくて、単純に「ギターがうまくなりたい」と思って専門に行きました。
──CheCheはUSやUKを感じさせる音楽でありながら、ここまで日本のアーティスト名がたくさん出ているのが面白いし、それがCheCheの国内におけるポップ性を担保しているのだなと思いました。
ヤマダ Haruhiのルーツには、そんなに国内のアーティストがいないよね?
Haruhi 父親が洋楽好きで車の中でレッチリを爆音で流していたので、幼稚園のときからずっとレッチリを聴いていて。だから日本の曲を聴くと「自分の好みとはちょっと違うかな」という感じで、海外の曲ばかり聴いてました。でも高校の頃は、ONE OK ROCKをめっちゃ聴いてましたね。ONE OK ROCKしか聴かないくらいの時期がありました。それは「洋楽っぽい」というより、「もう洋楽だな」みたいな。
岸本 僕はベースを始めてからいろいろ聴くようになったんですけど、その頃はいかにベースプレイが自分の琴線に触れるかでしか音楽を聴いてなかったですね。ベーシストで聴いてる感じでした。レッチリのフリー、ザ・フーのジョン・エントウィッスル、ジャパンのミック・カーン、ファンク系の人とか。今も弾くときは、たとえば“ARCH”だったら「ジェームス・ジェマーソンみたいなのが合うかな」とか、好きなベーシストを自分に降ろして「この人だったらこう弾くだろうな」という感覚でやってます。専門を選んだのは、そこまで覚悟決めて入った感じではなくて、まともな職には就けないかなってなんとなく思ったのもありますね(笑)。それで運よくバンドを組めて今に至るという感じです。
──Haruhiさんが音楽の道を選んだ理由は? 資料には「父親によって施設で生活することになり、音楽をしていた父親を見返してやりたいと思ったのがきっかけ」と書いてありますけど、詳しく訊かせてもらってもいいですか。
Haruhi 僕、施設育ちなんですよ。父親の暴力で施設に逃げたんです。当時は「人生を狂わされた」と思って、ずっとすげえムカついてて。「見返してやりてえな」って思ってたんですよ。車の中でレッチリとかを流しているのが印象に残っていたので、「俺もこれくらいになったら見返してやれるんじゃないか」みたいなマインドで、高1から学費を貯めて学校に行きました。結局、バンドメンバーを集めたら満足しちゃって、あまり授業には行かなかったんですけど(笑)。でも今は「見返してやりたい」とか思ってないですね。逆にありがたいです。好きなことをとことんやれる環境になったので。