インタビュー=古河晋 撮影=永峰拓也
──新作『antique』はミニアルバム単体としても素晴らしい作品だし、おいしくるメロンパンの10周年を迎える歴史の中でもめちゃくちゃ重要な作品だと思ってます。これまでの活動を、たとえばアニメシリーズ作品に例えるなら、この『antique』は第1期の最終回みたいな感じがした。自分の中に表現したい風景や言葉にできない絶妙な感情がたくさんあって、それをいかに普遍的に人に味わわせるか、それが僕が音楽でやりたいこと
確かにそうですね。
──自分としては、なんでこのタイミングで今までの自分たちを俯瞰して総括するような作品をつくったんですか。
自分の中にあるやりたい音楽をどんどん追求していくというのを5枚目ぐらいまでやっていって。そこからちょっと開けた方向に進んでいって。また1周して戻ってきたみたいな感覚で、もう一度自分の中にある表現したいものと向き合ってみようと思ったのが、この『antique』で。そういう点では、最初と同じ地点だけど目線がかなり上がったところから作品をつくることができた。そういう意味で俯瞰した作品になってると思いますね。
──5枚目が『theory』ですもんね。あそこが1期の終わりじゃなくて、1期1クール目のラストって感じがした。
(笑)。なるほど。
──で、主題歌も変わった2クール目が始まったタイミングが“Utopia”を皮切りにした『cubism』以降で。あそこは、まだそれまでを総括して振り返れるタイミングじゃなかったと思う。今回は、もっと大きな区切りというか。
そうですね……ある程度の全体像が見えてきたっていうのもあるのかもしれないですね。自分にできることの幅、開けたところと内側に向けたところの振り幅が、どこらへんに壁があるかみたいな位置関係も含めてわかってきて、それをすべて内包したような感覚で今回はできたと思ってます。今まで進んできた道のりがどういうものだったかの自分なりに整理をつけた感覚はありますね。
──たぶん前作『eyes』から徐々にそういう整理が始まってて。配信で出した“渦巻く夏のフェルマータ”から明確に総括作業に突入した感じがしますよね。
そうですね。前々作の『answer』で一旦、ここまで開けることもできるんだっていう感覚があって。じゃあ次はもう一度内側にっていうことでここまで来た感じですかね。
──『antique』への作業の始まりは“渦巻く夏のフェルマータ”だったの?終わるけど終わりはないっていうことは、おいしくるメロンパンがずっと表現してきたもの
そうですね。歌詞をいちばん最初に書いたのは“渦巻く夏のフェルマータ”。去年の春とか夏前とかにやってたと思うんですけど。最初は“水葬”とかとつなげるつもりもなく、なんとなく夜空とかをイメージしながら音をつくっていったんですけど。歌詞書くタイミングで“水葬”とつなげたいなと思って。“水葬”をつくった時、僕の中においしくるメロンパンがやりたいことってこれだなっていうのがあって。そことつながるものを今つくれたら最初から今までの線を引けるものができるのかなと思って。おいしくるメロンパンの世界観を“水葬”とこの曲でまるっと囲めるようなものがつくれるかなと思って歌詞を書き始めました。
──それをやっていくとポップスの定型からだいぶ外れた形式の曲になっていく感じだったの?
やりたいことを詰め込んだらそうなっちゃった感じはありますね。視覚的なものを音や詞で表現するっていうことを昔からずっとやりたくてやってるんだろうなっていうのは書きながら改めて思いました。で、次に歌詞を書いたのは“千年鳥”だった気がします。
──たぶん“渦巻く夏のフェルマータ”だけ聴いてもナカシマくん以外の人は『antique』で何をやろうとしてるかわかんない気がするんだけど“千年鳥”はめちゃくちゃわかる。
そうですね。注釈的な役割はあるかもしれないですね。このアルバムは“渦巻く夏のフェルマータ”の注釈が4つ並んでるみたいな感覚かも。
──“千年鳥”の《世界の最終回でまた会おうぜ》っていう1行目で、最終回だけど全部巻き戻して未来に進んでいくみたいな感じが出てますよね。
そうですね。その終わるけど終わりはないっていうことは、おいしくるメロンパンがずっと表現してきたものでもあるし。ここで改めてそれを表現しきったかなと思いますね。この”〜フェルマータ”が終わって、同じリフから“旧世界より”が始まっていくのも終わるんだけど続いていくっていうことで。“千年鳥”もそれを言ってるなって思いますね。
──その終わるけど終わらないよっていうメッセージの芯には何があるの?
なんですかねえ。死とかを悲しいことと捉えたくないみたいなのがあるのかな。お別れもそうだし。現象のひとつだよっていう。話変わるんですけど『葉っぱのフレディ』って絵本が僕、めっちゃ大好きで、小ちゃい頃ずっと読んでたんですけど。それは葉っぱひとつひとつに感情があって、会話をしていく話で。1枚1枚、友だちが枯れて風で飛んでいっちゃうんです。そこで仙人みたいな葉っぱと主人公のフレディが話してる時に、いなくなる、死ぬってことは悲しいことじゃなくて、紅葉するとか花が咲くみたいに変化することなんだって言ってて。小学生の時、そこで涙が流れたんですよ。それがたぶん自分の中にずっとあって。そういうふうに死とかお別れを捉えられたらいいなと思ってます。