ラナ・デル・レイの、間違いなく最高傑作だ。彼女はデビュー時から甘くノスタルジックなサウンドの中で喪失や哀しみを反芻する、レトロピア的世界を構築し続けてきたアーティストだが、本作のテーマになっているのは60年代〜70年代のクラシックなポップスやロック、とりわけソフト・ロックやフォーク、サイケデリックで、ニール・ヤングやトミー・ジェイムス&ザ・ションデルズからの明らかな引用に加え、キャット・スティーヴンスやイーグルス、ジョニ・ミッチェルなど、あの時代の遺産に光を当てている。NYに生まれ、その後LAに活動の拠点を移した彼女は、ひと夏の幻想の「カリフォルニア・ガール」を演じてきた人でもあるが、グルーミーなピアノ・バラッド、その名も“カリフォルニア”を筆頭に、そのマナーは本作にも受け継がれていて、“ファック・イット・アイ・ラヴ・ユー”では愛を求めてカリフォルニアに引っ越した歌の主人公が、サーフ・ビートに乗せて《カリフォリニア・ドリーム、私の頭にあるのはお金のことだけ》と歌う。そう、本作においても愛や希望はやはり決定的に失われている。しかし、古き良きアメリカ、アメリカン・ドリームの象徴であるノーマン・ロックウェルをタイトルに冠しながら、そこに「ファッキング」と付け加えた本作の彼女は、失われたものの痛みをセピア色の記憶として癒していくのではなく、むしろ現代の、現在進行形のアメリカの痛みや喪失とリンクさせようとしているのではないか。
ハイライトは3曲目の“ヴェニス・ビッチ”だろう。ストリングスのクリーンな輪郭が徐々に歪み、マニピュレートされたシンセに導かれた先でサイケデリックの陶酔に浸るのも束の間、気づけば漆黒の宇宙にひとり投げ出されたかのような孤独と不安に苛まれる中で、《私たちはアメリカ製》だとラナは厳かに告げる。またサブライムの“ドゥーイン・タイム”のカバーでは、敢えて強調されたトリップホップの余白に、ビリー・アイリッシュと同質のダーク・エイジたる現代の空気をたっぷりと含んでいる。レコーディング中、ラナとプロデューサーのジャック・アントノフはスタジオでニュースのヘッドラインを日々チェックしていたという。失われた過去の傍で、今まさに「失われようとしている」ものがあるのではないか。その切迫感が本作のレトロピアにディストピアが交差する瞬間を生み出している。本作がラナ・デル・レイの最高傑作であるだけでなく、2019年を、「今」を代表するアルバムであるのはそれゆえなのだ。 (粉川しの)
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