そのジレンマを越える作品がこの4枚目のフルアルバム『生きるとは鼻くそくらいの希望を持つことだ』である。結成から10年も越えて、アルバムとして音源を出すことに構えもせず、しかしそこに正々堂々と意味を見出す賢さを身につけた彼らは、ハルカミライの魅力を広く、深く、鮮烈に伝えられるアルバムを作ることに成功した。以下は、発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』2025年3月号でのハルカミライの4人へのインタビューの中からアルバム『生きるとは鼻くそくらいの希望を持つことだ』の各楽曲の話題を抜粋したもの。このアルバムを聴いて、このインタビューを読んで、まだ食らってないやつは今こそ、もう食らってるやつは改めて永遠に、ハルカミライの音楽の花を心に咲かせてくれ。
インタビュー=古河晋 撮影=アミタマリ
──3年ぶりのアルバムですが、ハルカミライの良さがいろんな形で伝わる作品で。すごく気合を入れてアルバムを作った感じもするし、肩の力抜いて作った感じもする。4人一人ひとりをフィーチャーしたくなったんですよ。ライブでは、それができてるんですけど、音源はできてないと思って(須藤)
須藤俊(B) ああ、ああ。
──アルバムを作ることに対する初期設定が今までと違う感じがするんだけど、どういうモードが最初にあったの?
須藤 モードは「音源を出したくない」っていうモードだったんですよ。
──ライブ中心でいいという?
須藤 まあ、そうっすね。その時はたぶんそう思ってて。必要になったから曲を作るっていう。たとえば武道館の宣伝で1曲ほしいから作るとか。“YAEN”と“K・O・M・A・T・S・U”と、“涙はどこから来るのだろう”あたりは完全に必要になったから作った曲で。
──なんでそういうモードだったんですか?
須藤 今までの自分たちの活動の内容と、今まで出した音源の重要性みたいなものを照らし合わせてみて、ここでさらにもう一枚は今はいらないなっていう。2024年の活動方針でいうとツアーもやりたくなかったんですよ。2023年はZEPPツアーと対バンツアーと武道館二回やって、自分たちのために使った一年間だったんで。2024年は対バンしたことのない人のツアーに出たり、フェスのトリにチャレンジしてみたり、そういう一年にしたかったんで、なおさら新しい曲は必要ないなって思ってました。今まである曲の俺たちでやるっていう。
──じゃあ結構、2024年は気持ちよく活動してる年で、そこから必然的に新曲が生まれてきたと。
橋本学(Vo) そうですね。気持ちいい状態で書くと俺は、もうド直球に歌詞が変わってくるので。かなりそれは出てるなと自分で思いますね。
──歌詞もそうだし、メロディにもアレンジにも、それが出てる感じがしますよね。今まではハルカミライが思う美しさみたいなものを投げ出して、ある意味やり逃げみたいな感じだったんだけど、今回は丁寧に共有できるとこまで煮詰めた感じがしますね。それが学くんの曲だけじゃなく、それぞれの作詞作曲する曲にもある気がするんだけど。作詞作曲をソロでやるのは決めごとだったの?
橋本 俊が「ひとり一曲作ろうぜ」って言ったのがきっかけでした。
須藤 4人一人ひとりをフィーチャーしたくなったんですよ。ライブでは、それができてるんですけど、音源はできてないと思って。これ40歳くらいまでのプランなんですけど、ここから一人ひとりがフィーチャーされていくのの一歩目みたいな感じ。
──確かにライブを観てるとこいつとこいつとこいつとこいつがいてハルカミライだって強烈にあるんだけど、音源だとそれが表現されにくいよね。
須藤 はい、難しいんですよね。発売日とか特典もそこをフィーチャーしてて。2月1日が今の4人になった日で、武道館もその日にやったんです。
──では、改めて各自が作詞作曲した曲について訊きたいんだけど、まずは俊くんの“心の真ん中を叩けば”。歌詞なんて書いたことなかったんでバーって作って「どう?」みたいな感じで。その時は言ってなかったんですけど、“K・O・M・A・T・S・U”っていう頭文字で(小松)
須藤 これはバンドマンとか曲を作る人としてっていうよりかはベースプレーヤーとして作り始めたんですよ。スラップじゃないリフから始まる曲がほしいなって思って。いつもギターから作るんですけど、たぶんギターはこの曲に関しては簡単。
関大地(G) まあそうっすね。
須藤 ドラムもわりとずっと同じような繰り返しだし。メロのほうも繰り返しで、ベースラインだけ結構変えてるっていう珍しいパターン。間奏もベースソロみたいな感じで。
──この曲には、須藤俊が音楽に込めているエモーションみたいなものがすごい出ている感じがして。それが歌詞にもなっている感じがした。
須藤 歌詞は確かに何回か書き直したっすけど。『THE BAND STAR』っていうアルバムがあったんですけど、結構、お客さんが、自分たちをバントの中のロックスターって俺たちが言ってると思って。でも、そのアルバムを作ったのはコロナ禍で「こっちから見たら、おまえらが、バンドにとっての星だよ」って意味でつけたんです。それをわかってくれてないんで、もうこの曲で言っちゃおうと思って。
──そういうきれいごとじゃない音楽とかお客さんへのストイックさが曲になって、このバンドにおける俊くんの役割みたいなものも曲になった感じがしますね。では続いて小松くんの“ K・O・M・A・T・S・U”。
小松謙太(Dr) 最初、テーマとしてハードコアな曲にしようみたいなことになって。めっちゃ悪く言うと、こういう曲って何言ってるかわかんなかったりするじゃないですか(笑)。だから雰囲気で「これってこう言ってんだろ」みたいなのを溜めて、そこからいくつか選んで歌ってこうみたいな。もちろん歌詞なんて書いたことなかったんでバーって作って「どう?」みたいな感じで見てもらって。その時はみんなに言ってなかったんですけど、“K・O・M・A・T・S・U”っていう頭文字で。
──あいうえお作文みたいな?
小松 それです! みたいな感じで最初作ってて。
須藤 RADWIMPSみたいな。
──(笑)小松くんなりのね。
須藤 それ知らないで見たら「何これ!」みたいな。全部なしで!
関 レコーディング終わったあとに「実はこうだったんだけど気づいてた?」とか言って(笑)。
小松 そこから、ここにいるプロの曲作りの方たちに見てもらって、ちょっとずつ形になっていった感じですね。そしたら短くなった感じです。
──そしたら小松謙太という人の中にある核が残っていったって感じだ。
小松 結局そんな気がします。