当代最高のポップ・クイーンであり、フェミニスト/アクティビストとしても現代を代表するアイコンであるアリアナ・グランデ。その約2年ぶり6枚目のアルバムがこれ。
新型コロナによるパンデミックが世界中を覆い尽くし、分断と孤立に苛まれ、トランプ以降、人権抑圧と移民排斥と差別の流れが加速する、不寛容で排外主義的な時代が訪れる中、ジョージ・フロイド殺害事件をきっかけに、ブラック・ライブズ・マター運動が社会の根幹を揺るがした2020年。当初アリアナは、パンデミックの間はアルバムをリリースしないと宣言したが、一向に感染状況が好転しない中、10月末にリリースを決めたのは、当然アメリカ大統領選挙の直前という時期だったからだ。先行シングルとしてリリースされた“ポジションズ”のミュージック・ビデオは、アメリカ大統領に扮したアリアナが、セクシーで、キュートで、聡明で、スマートで、そして強い女性の姿を体現する。女性のセクシーさを失うことなく、男性中心の社会構造や政治やビジネスをしなやかに変えていくことで、社会に巣くう性差別やミソジニーを蹴散らしていこうとするマニフェストであり、またいずれ必ず実現するであろう女性大統領へのエールでもある。その甲斐あってかバイデンが当選を確実にして、シングル“ポジションズ”も本作も全米チャート1位を獲得。トランプ的な時代の終わりの始まりであり、アリアナの戦いは完全勝利で終わったのである。
思えばマンチェスターでの自爆テロ事件の悲劇、マック・ミラーとの別離やその後のマックの死、激しいバッシング……といった度重なる悲劇や不幸以降、彼女はいちポップ・スターから、自由で平和で解放された世界のリーダーという役目を、自ら引き受けるようになった。もともとフェミニズムに加えLGBTQなど性的マイノリティへのシンパシーも強く持っていた彼女は、差別的で男性主義的なトランプ以降の社会に対する抵抗のシンボルとなっていったのである。
とはいえ本作が政治的社会的なメッセージを多く含む内容かと言えばまったくそんなことはなく、喪失のトラウマからの回復を、性愛の喜びを赤裸々に歌い上げるセクシャルで官能的な曲がほとんど。またそれに見合って、全体にミドル・テンポのじっくり聴かせる曲が多く、アダルトでアーベインでソフィスティケイトされたサウンドは心地よく酔わせてくれるが、刺激や新機軸には乏しい。これは彼女が保守的になったということではなく、ポップ・ミュージックの王道の、そのまたど真ん中を行くスターとしての自負だと考える。27歳になり、リーダーとしての自覚が芽生えてきたアリアナの、時代の重荷を引き受け、真正面から堂々と受けて立つ横綱相撲宣言なのだ。
R&B、トラップ・ポップ、ネオ・ソウル、エレクトロ、ポップ・ハウスからチェンバー・ポップまで幅広いビートとサウンドをまといながらも、これまでの彼女の方法論を逸脱することなく、アリアナ流ポップスの勘どころは絶対に外さない。90年代ニュー・ジャック・スウィングと80年代ディスコの洒落たミクスチャー“ラヴ・ランゲージ”のレトロ感の忍ばせ方など絶妙で、まさにプロの仕事ぶりだ。
ドージャ・キャットやザ・ウィークエンド、タイ・ダラー・サインなどゲストの使い方は適材適所を心得ており、やり過ぎず使い過ぎず頼り切らず、適度なアクセントとなる配置の仕方も計算し尽くされている。ウィークエンドとのデュエット曲“オフ・ザ・テーブル”など、トラックはウィークエンドの世界なのに、この並びで聴くとアリアナ・グランデそのもの。この曲ではLA在住の日本人ミュージシャン、SHINTARO YASUDAがソングライティングとプロデュースで加わり、優しく美しい世界を形作っている。
その「安心して聴ける」安定感が一部メディアでの「地味」という評価に繋がってしまうのは致し方ないが、このアルバムが歓声あがるダンス・フロアや、満員の客をのみ込んだアリーナや巨大スタジアムで鳴らされることはなく、自主隔離で蟄居を強いられるような状況で聴かれるもの、という前提はあったに違いない。実際、この音には包み込まれるような包容力と優しさ、落ち着きを感じる。大胆な新境地でこの時代に於けるポップとインディの垣根を打ち壊し、ポップ・スターとしての自分を再定義したテイラー・スウィフトとは対照的なやり方だが、だがどちらも間違いなく、この時代だからこそ生まれた優れたポップ・ソング集であることは間違いない。
2020年という時代を生きる私たちの心情にそっと寄り添ってくれる、そんな傑作の誕生だ。 (小野島大)
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