10月に来日が決定しているフー・ファイターズ。ファンの人は気付いていると思うけど、それに向けて、バンドはソーシャルメディアでバンドの30周年記念を祝う企画を色々と展開している。もちろん過去の写真や動画をポストしたり、
この間は、トリビアのアプリまで発表していた。フーファイらしい遊び心だと思った。
また、1995年にインストはレコーディングして、ボーカルは2025年にレコーディングしたというMinor Threatのカバー“I Don’t Wanna Hear It”も発表している。
その中で、7月1日に、デイヴ・グロールがバンド30周年の軌跡を振り返る長文のエッセー“Foo Figthers 2025 by Dave Grohl」を発表。テイラー・ホーキンスへ「言葉にならないほど、みんなお前がいなくて寂しく思っている」と綴るデイヴさんらしい感動的な内容だ。デイヴが自分でエッセーを読み上げる音源も公開されている。
以下、この長文エッセーの全訳。
「1994年11月24日ーーこの日は、いつも通り始まった。
シアトルの秋の空がどんよりと重くて、陰鬱で、湿っぽくて、イラつく太平洋岸北西部の日。
秋はすでに深まり、日が落ちるのも早くなっていたので、誰もが雨と暗さから逃げるように大半を家の中で過ごしていた。
そんな天気だったから、家でフォーマルなディナーパーティーをするのも悪くないと思ったんだ。
それで、俺の家の裏にそびえる100フィート級の松の木が、冷たい突風に煽られてガタガタ鳴ってる中で、俺はテーブルをセットしていた。それぞれのゲストの顔を思い浮かべながら、丁寧に食器を並べた。馴染みの奴もいれば、初対面もいる。どんな夜になるんだろうと考え、楽しみにしていた。
だけど、たとえ世界一の霊媒師でも、それから数時間後に何が起きるかなんて絶対に予測できなかったと思う。
「この家に、幽霊はいるか?」と、地下室でウィジャボードに指を添えながら、小声で聞いてみた。周りの奴らは固唾を飲んで見守ってる。驚いたことに、指先の下の安いハート型のプラスティックが、ゆっくりと、しかし確実に動き出して、「YES」の文字でピタッと止まった。
その時、「この家には、本当に幽霊がいるのでは?」と俺の中でじわじわと湧いていた疑念が、確信に変わった。つまり、俺は、シアトルの北、リッチモンドビーチの閑静な郊外にある見た目は普通。だけど中身は恐ろしいほど幽霊出る家を買ってしまったんだ。少しビビりつつ、この買い物を後悔しながら、急いでこのボードを片付けて、クローゼットにしまい込んだ。それで、パーティは「上の階」で続けることにした。
それに、この夜は降霊会ではなかった。
感謝祭だったんだ。
海外のみんなのために説明しておくと、感謝祭というのは、アメリカ特有の“食べ過ぎる”祝日のこと。本来は、感謝の気持ちを表すための日だ。 家族や友人が集まって、人生の収穫や恵みに感謝する。缶詰のクランベリーソースやマシュマロ入りのスイートポテトのような物質的なごちそうでもいいし、愛や音楽のような魂からの贈り物でもいい。 普通は親しい人たちと過ごすけれど、時には見知らぬ人にも扉を開き、居場所を提供する機会でもある。そしてこの夜、俺の家にいた見知らぬ顔のひとり――音楽への感謝を、俺と同じように持ち続けていた人物こそが、若くて元気いっぱいのネイト・メンデルだった。これが俺たちの初めての出会いだ。
それが、Foo Fightersだった。
当初、このバンドは口実みたいなものだった。 お気に入りのカセットを爆音で流しながら、車の窓を閉め切ったままタバコを吸い、首から楽器をぶら下げて、次のベタベタで暗いライブ会場へ向かってハイウェイをぶっ飛ばす。そんなことをする理由が欲しかっただけ。ただそれだけだったんだ。 みんなその頃までには、音楽業界ではそれなりにキャリアを積んでいた。みんな他のバンドや他の人たちと演奏した経験もあり、中には、突然終わってしまったものもあった。だけど俺たちは、まだまだ終わってなかった。 このバンドは、ちょっとした悪ノリであり、成熟からの気まぐれな寄り道だったのかもしれない。俺たち4人とも、自分たちの小さな脳ミソは、クリスマスツリーに飾りすぎた電球で火花を散らす延長コードみたいにショート寸前だって思い知らされたんだ。それはもう完全に、子供じみた大人への拒絶反応だった。思春期の最後のかけらを、血が滲むほどの力で握りしめて放さなかった(つまり、イカれて遊びまくっていただけ)。
でも、すぐに分かったのは、これは逃避なんかじゃないということ。音楽的なものだけではなくて、もっと大きな、“人生”そのものであり、その始まりだったんだ。変化の時であり、これで良いだと思えた。 説明書はないけど、とにかくワクワクするような、新しいおもちゃを見つけたみたいな感じだった。 だから俺たちは、ひとつずつ、丁寧に組み立て始めた。
それで、曲はできた。バンも手に入れた。地図もある。 これまでの人生に敬意を払いながら、新しい空白を、何か美しいもので埋めたくて、この“人生”そのものを本当にリアルな人生にするための、旅が始まった。
初代のツアーバンは、1996年式の赤いダッジRAMだった。それを“ビッグ・レッド・デリシャス”と呼んでいた。 その中で、ベンチシートの裏に突っ込んだ汗まみれのTシャツの下に、キノコが生えるくらいまで、州から州へと走り続けた。パンパンに積み込んだトレーラーを引きずりながら、初ツアーで伝説のパンクロッカー、マイク・ワットと各地を回った。 毎晩が音楽のバンジージャンプみたいなもので、命綱が切れないことを祈るようなステージだった。だけど、いつでも次のジャンプに備えてた。 体重は減ったが、代わりに別の“渇き”が生まれた。 前進し続けられるのか?バンドとして何ができるのか?どんな音楽が作れるのか?観客とどんな風に繋がれるのか? そんな想いに突き動かされて、擦り切れるほど履きこんだジーンズの膝みたいに、バンドは育っていった。 初ツアーを生き延びた俺たちは、もう一度やろうと決めた。そして何度でも。このワクワクするような、新しいおもちゃの組み立てはまだ完成していなかったんだ。
時間の経過とともに、変化が訪れた。 成長痛ってものかもしれない。まず、“ビッグ・レッド・デリシャス”は姿を消し、代わりにもっとタフで頼れるタイヤがやって来た。クリス・シフレット、ラミ・ジャフィー、そして唯一無二のテイラー・ホーキンス、という最高の仲間たちだった。それで、俺たちバンドは磨かれていったが、でも、どこか「これも一時的かもしれない」と感じていた。 だから、新しいアルバムや曲を燃料にして、次の目的地を目指し続けた。 やがて、それが挑戦になった。バンドのハンドルを握り続けていたら、この車はどこまで車輪が外れることなく行けるのか?という。
だから走り続けた。時に明確に行き先が見えていることもあったし、目的地を見失って、最寄りの休憩所を必死で探したりしながら。だけど、障害があったからこそ、俺たちは途中で諦めて、車のキーを湖に投げ捨てずに済んだんだ。そんな寄り道や、予想不可なことこそが、俺たちは生きてると感じられた。 つまり、“存在するための言い訳”だったものが、今や“生きる理由”になっていた。 それで、年を重ね、ツアーを重ね、アルバムを重ねるたび、根は深くなり、木は高く育った。 そして、1994年のあの夜、家の裏の森で風に大きく揺れていた松の木のように、強い嵐に耐えるのは、いつだって深い根を持つ木なのだと知った。それで根がしっかりと張った時に、気付いた。もう引き返す道はどこにも残っていないと。フー・ファイターズは、もうただのバンドじゃない。 本当に“人生”そのものになったんだ。永遠に。
俺たちの小さなキャラバンは、いつの間にか轟音を響かせるコンボイ(大規模なツアー)になっていた。地図は1枚だけ。行きたい方向は時に違っていたけど、いつだって“一緒にいれば”目的地にはたどり着ける気がしていた。みんなのために、みんなとともに。そしてある時点から「バンド」という言葉が、ただミュージシャンの集まりを意味する以上の全く違う意味になっていた。 それは、時に、“何かを締め付け、強化するもの”にもなった。 そしてこのバンドは、しっかりと結び着き、どんな時代でも崩れないものになっていった。今もまだ未完成で、“組み立て途中”だけど、止まらず進み続けること。それが、俺たち一人ひとりを形成している。そして、 俺たちが今もこうして成長し続けてることを、誇りに思っている。それに、もう根っこは深すぎて、引き抜くこともできやしないんだから。
ボロボロのフランネルのカーテンの後ろを、少しでも覗いたことがある人ならわかるはずだ。そこにいるのは、何十年もこのコンボイを走らせてきた、見慣れた顔ぶれ。ステージを超えて繋がってる人間関係があるから。音楽は、俺たちの絆のひとつの要素にすぎない。あの感謝祭の夜に、俺の幽霊屋敷で始まったこの小さな実験。そのずっと前から続いてた友情たち。ウィートグラスショットがオシャレと思われていた時代、テレビが今みたいにストリーミングだらけの食べ放題になる前からの仲間たちだ。この何年ものあいだ、彼らの支援と指導がなかったら、今日こうしてみんなとこの節目を祝うことなんて、できなかったはずだ。この“ちいさな部族”に恵まれてきた。愛で繋がった、かけがえのない仲間たち。全員に、心から感謝してる。誰のことかは、本人たちが一番わかってるはずだ。
この何年ものあいだ、俺たちは限界知らずの喜びも味わったし、打ちのめされるような悲しみも経験してきた。
最高に美しい勝利の瞬間もあったし、どうしようもなく悔しい敗北も味わった。そして、折れた骨も、折れた心も、なんとか繋ぎ直してきた。でも、どんな時も一緒にこの道を進んできたんだ。みんなのために、みんなとともに。何があっても。だって、人生っていうのは、ひとりでは絶対い走りきれないものなんだ。
言うまでもなく、ウィリアム・ゴールドスミスの底なしのエネルギー、 フランツ・ストールの熟練の知恵、そしてジョシュ・フリーズの雷鳴のような魔法のドラムがなかったら、この物語は完成しなかった。だから、彼らと過ごした時間、音楽、そして記憶に、心から感謝してる。ありがとう、俺たちの同志たちへ。
そして…テイラー。お前の名前は、毎日口にしてる。涙まじりの時もあれば、笑顔とともに語る時もある。だけど、お前は、今も、これからも、俺たちがするすべてのことの中にいるし、どこに行っても、常に一緒だ。永遠に。
お前の美しい魂の大きさに匹敵するものがあるとすれば、それは、お前がいないことに対するこの尽きることのない喪失感だけだ。
言葉にならないほど、みんなお前を恋しく思ってる。フー・ファイターズは、これから奏でるすべての音の中に、テイラー・ホーキンスを永遠に宿し続ける。俺たちがついに目的地に辿り着くその日まで。
最近、長距離の国際線に乗っていて、覚ましたら、自分の座席に小さな黄色いポストイットが貼られてたんだ。
そこには、こう書いてあった。「ロブスターとラビを見ろ xxx」と。この謎めいたメッセージを誰が残したのかも分からず、機内の映画リストを探してみたけど、そんなタイトルの映画は見当たらなかった。それで、ちょっと調べてみたら、それは映画じゃなくて、成長についてのたとえ話だった。ロブスターというのは、柔らかい体を硬い殻の中に収めて生きてる。でも体が大きくなると、その殻がだんだん窮屈になって、居心地が悪くなってくる。そうなると、ロブスターは本能的に安全な場所に引っ込んで、古い殻を脱ぎ捨て、新しい殻を育てて、また表に出てくる。だけど、また成長すれば、その新しい殻も窮屈になるんだ。だから、それを繰り返す。新しい殻、新しい成長。何度も何度も。
つまり、人生の試練というのは、「変化しろ、成長しろ」っていうサインなんだということ。だからその時が来たら、一度引っ込んで、作り直して、また強くなって戻ってくる。それは、俺たち人間誰でも共感できる感覚だと思う。それでもし運が良ければ、このプロセスを、心から愛する仲間たちと共有できる。ステージの上でも、外でも。
俺が、ネイト・メンデルに隣に座って、ウィジャボードに手を添えたあの夜以来(そしてあれ以来触っていない)、30年が経つ。 でも今振り返って思うのは、あの夜の出来事が俺たちの人生をどう変えることになるのかなんて、予測のしようもなかったということ。だけど、あの1994年の嵐の夜のように、俺は今も、人生に、愛に、音楽に、そしてこれからどこへ向かうか分からないという神秘に、心から感謝しているんだ。
さあ、まだまだ前進し続けよう。
デイヴ」
そして、この30周年を振り返った後に発表した新曲のタイトルが“Today’s Song”(=今日の歌)というのも最高だ。アルバム『But Here We Are』から約2年ぶりの新曲となる。シングルのアートワークは、デイヴの娘さんのハーパー・グロールが描いたもの。
音源はこちら。
“Today’s Song”
の歌詞の内容は大体以下の通り。
今日目が覚めて 変化を叫んだ
やらなくちゃいけないことはわかっていた
だからここには影がある
灰から灰
塵は塵に
心の準備なんてできないから
この残酷の世界に 自分と誰を比べさせるな
誰かが修復してくれるのも 待たないでいい
川には二つの岸が
渡るにはあまりに荒れすぎていて
飲み込まれるかもしれない
今日の歌の中で
川の真ん中で溺れてしまうかもしれない
お前はどらちの岸に
どちらかしかない
今日の歌の中では
見つけるまでには一生かかるかもしれない
解けるまでに一生かかるかもしれない
思い出せるようにと祈ってる
プレスリリースによると「バンドの新章を語る一撃」であるということ。
ちなみに、上のエッセーにもあるようにバンドは、テイラー・ホーキンスが亡くなった後に雇ったドラムのジョシュ・フリーズをすでに解雇している。ジョシュは「理由を聞かされていない」と「ショックと悲しみ」のポストをしていた。
さらに理由を10個考えて笑えるポストも。
なので、この新曲でまず気になるのは、誰がドラムなのか?ということ。これはおそらくデイヴ・グロールなのだと思うけど。
しかし、10月の来日公演は、世界的に見ても非常に貴重な瞬間となる。
1)まず、新しいドラマーが誰なのか判明した後、初のツアーとなること。テイラー・ホーキンスの息子さんのシェーン・ホーキンスなのでは?と考えるのはちょっと安易すぎか?
2)さらに、ここに発表されているように、今年バンド結成30周年を祝う年でもあること。ご存じのようにバンドは25周年を大々的に祝う世界ツアーを計画していたが、パンデミックによって中止を余儀なくされた。だからこそ、今回のツアーには特別な意味が込められているはずだ。しかし、その間にテイラーが亡くなってしまったことは、本当にやりきれない。
3)このタイミングで新曲が発表されたということは、日本公演の前に、新作ができている可能性もあるのかも??
4)そしてこれは、去年9月に「結婚外で新たに娘が誕生し、父親になりました」とデイヴさんが発表して以来、初のフーファイとしてのツアーでもある。「彼女にとって愛情深く、支えとなる父親であるつもりです。妻と子どもたちのことを愛しています。そして、彼女たちの信頼を取り戻し、許しを得るためにできる限りのことをしています」。そう語った彼は最近、その発表後初めて、妻とともにウィンブルドンの会場に姿を見せた。もしかしたら、関係を修復しつつあるのかもしれない。
ここから来日公演までのフーファイの動きに、目が離せない。