続きです。
そういう意味において、僕がもっとも好きなのはやはり”高嶺の花子さん”だ。
この曲はもっとも清水依与吏的だと思う。
この曲には好きな箇所が何箇所もある。
まず、「んんー」である。
清水依与吏のハミングは最高だ。
とにかく「近い」。
耳元で囁かれる「んんー」はいろいろな意味で最強に強烈である。
清水の「んんー」は一番最初のAメロの終わりにいきなり登場する。
歌詞はこうだ。
《君から見た僕はきっと/ただの友達の友達》――そして、「んんー」。
僕は初めてこの曲を聴いたとき、この最初の「んんー」のインパクトによって、前後不覚になるほどの衝撃を覚えた。
言葉を選ばずに言ってしまうなら、「うわああああ、距離距離! 近っ!」と思ったのである。
実際、今歌詞の流れで「んんー」と書いても、正直「なんじゃそりゃあ」と思う。
要りますか?それ、と。
歌詞も乗っていないし、であればそれはなくても成立する不要なメロディなのではないか――当時はそう思ったし、今もこうして書いてしまえばそう思わないこともない。
この曲を初めて聴いたときの僕からしてみれば、さしみのツマの必要性はよくわかるが、その横にあるたんぽぽは要るんですか? そんな気持ちだったのだと思う。
しかし、この楽曲を最後まで聴き通し、そのあまりに図抜けた清水依与吏性、個人的粘着性にぶっ倒されながら、このハンパじゃない破壊力はあの「んんー」にこそあったのだと、僕は気づいた。
ツマに添えられたたんぽぽ、あるいは花形に美しくカットされたにんじんなくして刺身は完成しない。
だって、美味そうに見えないじゃないか。
あれなしではシズル感、「目にも楽しい」感じが出ない。
つまり五感を刺激する旨みが出せないのである。
それと同じように、清水依与吏の歌にはあの「んんー」があるからこそ、五感をフルに使ったコミュニケーションがなされる。
あの「んんー」は刺身を完成に導く極上の飾りつけでありながら、他のすべてのメロディと歌詞を際立たせる裏の主役でもあったのである。
とりあえず、聴いてみてほしい。
清水の「んんー」は本当に味わい深い。
僕がさらに好きなのは、2回目のAメロからBメロの流れである(このMVはショートバージョンなので、この箇所は出てこない。ぜひCDを聴いてください)。
まずAメロの歌詞だが、こう歌っている。
《君の恋人になる人は/モデルみたいな人なんだろう》
要するに、自虐的で卑屈な妄想を歌っている箇所だ。
清水らしいといえばとても「らしい」歌詞だ。
次の小節で、清水はそのアクセルをさらにぐっと踏み込む。
《そいつはきっと/君よりも年上で/焼けた肌がよく似合う/洋楽好きな人だ》
これは相当に根深い。
「どうせ洋楽好きな男なんだ」という視点がとても根深い。
「あるわー、それある」という共感を呼ぶフレーズでもある。
というわけで、その自虐モードは「あるある」という共感を経由し、ひと段落。
そして、曲は華麗にBメロへと加速していくのだが――。
しかし、だ。
清水はまだまだ言うのである。
さらに追い討ちをかけるように、よりシビアに自分を追い込み、ルーザー視点を掘り下げ、僕たちの中の「清水」に近付き、語りかけるてくるのである。
《キスをするときも/君は背伸びしている/頭をなでられ君が笑います/駄目だ何ひとつ勝ってない》
こんなに個人的で粘着的で、猛烈にキャラクターが見えてくる歌詞を僕はほかにほとんど知らない。
この曲のこの部分こそ、僕の中の「清水」がもっとも清水依与吏本人とコネクトしてしまう瞬間である。
何度聴いても、その近さにぞくっとしてしまう。
ただ、このBメロの展開感に載せて2段ギアを入れるあたりが清水の「ポップ職人」としてのうまさであり、先ほどの歌詞を《いや待てよ/そいつ誰だ》と続けてオチを作れることもまた、back
numberが不特定多数に届くとても大切な理由なのだ、ということも書いておこうと思う。
要するに、きちんと自分の曲を客観的に見つめることができる視点を持っており、濃厚で近くて耳元で行われるコミュニケーションの中に、ほっとする間をちゃんと作ることができるソングライターなのである。
清水依与吏はすごい。
それはひと言で言うなら、自身のすべてをポップに届けてしまうことができるからである。
さらに言うと、実に個人的粘着的なやり方でそれをやってしまえることができるからである。
実は、すぐれたポップミュージシャンはみなその共通点を持っている。
僕の中では、aikoのポップソングと清水依与吏のポップソングはとても近い相似形を描いているが、それは要するにそういうことだ。
すぐれたアーティストであればあるほど、(このテキストで言うところの)「清水依与吏」を掘り下げ、その本質を歌にし、そして、それぞれのリスナーの中に存在し、普段は黙っていつつも心が動く事案に直面たびにむくむくと起き上がってくる「清水依与吏」と対話し、深く濃く強く繋がってしまう。
この強引で、だがとても生身の、もっと言えばカウンセリング的なやり方こそ、back numberのポップなのだと思う。
清水のあの自虐的な歌を何度も聴いて、どういうわけか心が軽くなり、明日も頑張ろうと月を見上げ、ぐっと力の籠もった一歩を踏み出せるのは、きっとそういうなのだと思う。
それはきっと、彼が突き詰め描いた「清水依与吏」が、僕たちの中の「清水依与吏」と肩を組み、ともに歩き出そうとしている、ということなのだと思う。
やはりちょっと気持ち悪いが。
back numberは本当に素晴らしい、唯一無二のポップバンドである。
そして、清水依与吏は僕たちにもっとも「近い」ポップミュージシャンだ。
僕はそんなふうにback numberを聴いている。