峯田の弾き語り曲と、バンドでやる曲と、峯田の弾き語りで始まって途中からバンドが入ってくる曲が混在。最新アルバムからは“新訳 銀河鉄道の夜”や“ボーイズ・オン・ザ・ラン”などが、ファーストアルバムからはGOING STEADYの曲でもある“BABY BABY”や“若者たち”などがプレイされた。あと、出たばかりの最新シングル“生きたい”はもちろん、安藤裕子に提供した“骨”や、GOING STEADYの“Don't Trust Over Thirty”をリアレンジした未音源化曲“大人全滅”も歌われた。
つまり、昨年夏以降、バンド編成でぽつりぽつりとライブをやるようになってからと同じ……いや、その前の、峯田がひとりで弾き語りでステージに出るようになってからと同じ方向性の選曲だった。
というような方向性だ。美しいメロディと美しい言葉を持った、ポップで普遍的ですばらしい歌を歌う、ということだ、勝手に言葉を足すなら。わかりやすく言うと“日本人”や“あの娘は綾波レイが好き”みたいな曲ではなく、この日プレイしたような曲たちをまんなかに据えていくということだ、これまでの曲も、これから新しく書く曲も。《でもあの子さえいれば/ドニ・ラヴァンみたいにPOPになれんだ》というラインが“ぼあだむ”にあるが、そういう感じなのかもしれない。《あの子》が、今の峯田にいるかどうかは知らないが。
僕は“日本人”のような銀杏も大好きだし、それを否定する気はまったくないが、でも、今の銀杏が向かうこの新たな方向は、あきらかに正しいと思う。いや、僕なんぞが正しいとか正しくないとかのたまう以前に、このツアー初日の圧倒的なすばらしさそのものが、その正しさを証明していた。
1曲1曲、ステージ上ですさまじい量のエネルギーが爆発するが、それが四方八方に飛び散ったりあらぬところに引火してボヤ騒ぎが起きたりすることなく、爆発によって起きた動力がそのまま「音楽」「楽曲」「歌」になって放たれ続ける。もともと山本幹宗(Gt.)・藤原寛(Ba.)・後藤大樹(Dr.)というすぐれたミュージシャンが集まっている上に、そのメンツで何本かのイベントに出た経験もプラスになったようで、バンドの感じもとてもいい。
銀杏BOYZが遂に本格的に動き始めた、復活した、というだけでなく、現在を見せつけた上で未来をも示すような、なんかもう、うれしすぎておかしくなりそうなステージだった。
前半で一回、ギター弾きながら背中からダイヴしたくらいで、かつてのように裸体をローションでヌルヌルにしてお客の頭の上を転げ回ったり(渋谷クラブクアトロ)、客席フロア後方まで行って2階の下んとこに飛びついたと思ったら、ものすごい懸垂力でそのまま2階フロアに上っちゃったり(これは水戸ライトハウス)、というようなことはしなかった。
別にしなかったからどうだとか、したからどうだってことはないが、ただ、本人的に、今はもうそういうことをしなくてもよくなっているんじゃないか、と勝手に思った。(兵庫慎司)