日本人の感性に響く抒情的なメロディラインと、耳に残るフックの効いたリフ。打ち込みのビートに生演奏のドラムを重ねたリズムワーク。心象風景をそのまま音に翻訳したようなデザイン性の高いサウンドスケープ──そのすべてに揺るぎない才能が宿っている。DTMの進化によってグローバルスタンダードな音を鳴らすアーティストは増えたが、それでもなお「歌」と「アレンジ」を徹頭徹尾、一心同体で形にできるアーティストはひと握りだ。FUJIBASEはキャリアの初期にして、その奇跡を既に手にしている。「自分が何を歌いたいか」「それをどんなビジョンで曲にするか」という、すべてのアーティストが直面する問いに対する答えが、“NEON TOKYO”の一音一音に明確に示されているのだ。
その“NEON TOKYO”を含む初のフルアルバム『新東京市音頭』が7月16日にリリースされ、早耳のリスナーを中心に話題を呼んでいる今、FUJIBASEというアーティストの魅力を紹介したいと思う。
リズムワークにおける打ち込みと生楽器のバランスも洗練されており、決してどちらか一方に手綱を握らせることなく、曲が求める快楽に従ってシームレスに行き来する。“NEON TOKYO”のドラムにはFUJIBASEではなく、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの伊地知潔(Dr)がゲスト参加。伊地知の肉体的なドラムの息遣いが曲に生きた血を巡らせている。
FUJIBASEのトラックメイキングのセンスは、『新東京市音頭』収録の他の楽曲でも鮮やかだ。セブンスコードを奏でるピアノを軸にしたアーバンな“smoke and mirrors”では、ビルドアップを経て四つ打ちのキックが牽引するサビへと至り、間奏ではブレイクビーツ的な展開、ラスサビ前には一瞬だけ生々しいフィルインが差し込まれる。音像の奥行きの作り方も巧みで、シンセのレイヤーや残響のコントロールによって、都会の夜景に滲む光と影を感じさせるサウンドスケープが広がっている。
一方、インディーポップ調の“talking to myself”では、ルートを刻むベースと装飾を排したドラムが生むミニマルな余白の中、吐き捨てるようなボーカルと歪んだギターソロがむき出しの質感で響く。音の空間をあえて埋めず、粗さを残すことで、詞に綴られた生々しい感情をダイレクトに伝えているのだろう。
“NEON TOKYO”では《埋もれ揉まれて暮れてく日常/そこに意味を見出すことが出来ない/踏みつけられた千草の居場所はここであっているのか/逃げてくのは悪いことか?/探すことは醜いのか?》と、競争や管理が激化する現代社会を生きる人々に「逃げる」という選択肢を提示する。
“Plastic Humanity”では《What did you input?/What did you output?/What do you live for?/Who do you live for?/I just need one reason to live on/Please give me a reason/There is no God(何をインプットして、何をアウトプットした?/なんのために生きてる?/誰のために生きてる?/生きる意味をどうかください/でも神はいないんだ)》と、AIと共生する新時代において、人類が抱える矛盾と苦悩をリアルにえぐり出す。
FUJIBASEが歌を届ける「誰か」は、日本に限らない。歌詞の言語は日本語よりも英語が多く、サウンドだけでなく言葉もグローバルに開かれている。──「こんな歌を探していた」と思う人が世界中に現れる日は、そう遠くないだろう。
そして、その歩みはアルバムリリース後も止まらない。7月30日に配信された“Star (Demo Sketch)”では、ローファイで親密な質感と温もりを帯びたミドルテンポのバラードという、新たな一面を見せた。ジャンルの空を縦横無尽に飛びながら、音楽性の翼をますます自由に広げ続けるFUJIBASEのこれからに、期待は高まるばかりだ。(畑雄介)