【インタビュー】おいしくるメロンパンの美しさと危うさが交錯する夏の名曲×5をナカシマが語る

【インタビュー】おいしくるメロンパンの美しさと危うさが交錯する夏の名曲×5をナカシマが語る
以前、ナカシマ(Vo・G)は「人生とは『どうにもならないこと』ばかりであり、降り注いでは消えてゆく季節もまた『どうにもならないもの』なのだ」と言った。そして「『どうにもならないこと』への向き合い方を、自分たちは表現し続けているのだ」と。中でも「夏」という季節は、おいしくるメロンパンの音楽世界にあって特別な輝きを放ち続けている。永遠と刹那の摩擦、夢と現実の摩擦――夏は摩擦それ自体のように現れて、曲の主人公たちを魅了し、翻弄し続けている。
これは、おいしくるメロンパンの夏の名曲5曲についてナカシマに語ってもらったコンセプトインタビュー。過去の名曲たちについて、かつてなくナカシマがエピソードを開陳した貴重な語録である。

インタビュー=天野史彬 撮影=北岡稔章


客観的に見ると「この曲を作った作曲者はこの先どこに進んでいくんだろう?」という感じがします

①色水

──この曲は、ナカシマさんの作曲の歴史においても最初期の曲ですよね。

そうですね。最初に作った曲は“桜の木の下には”なんですけど、“色水”は2、3番目くらいに作った曲で、本当に最初の頃に作った曲です。

──改めて“色水”を作られた時のことは覚えていますか?

ほぼ覚えていないんですけど、技術も経験もない状態の自分から純粋に出てきた言葉やメロディによって作られた曲だと思います。「バンドをやってみたいし、歌ものの曲を自分が作ってみたらどうなるんだろう?」と思って、とりあえず作ってみた。今でもおいしくるメロンパンの核、軸……いや、どっちかというと種かな。

──なるほど、種。

この曲が種になって、そこから芽が出て、枝が伸びて、花が咲いて……そんなイメージがあります。今自分たちがやっていることも、ずっと“色水”から続いている感じがします。

──“色水”には《夏の終わりは通り雨の香り/「喉が渇いたよ」》とありますが、ここには「終わっていくもの」としての夏がありますよね。夏は、過ぎ去っていくものや喪失と深くつながるものとして現れている。

夏が終わっていくことの切なさみたいなものが漠然と自分の中にあったんだと思います。この曲を作ったのも夏の終わりだったと思うんですよね。その時自分の中にあったものを、とにかく出てくるままに書いた、そういう感じだったと思う。歌詞はざっくりと書いたあとに、意味合いを持たせるためにCメロの《写真に写る君の手の中で/風車は回り続けるのに/君が僕にくれたブルーハワイは/今、溶けはじめたんだ。》という部分を書き変えたんです。この部分がこの曲の伝えたいことを表しているのかな、と思います。

──失われていくものと、残り続けるもの──そういうイメージに、この時点からナカシマさんは惹かれ続けているわけですよね。

そうですね。この頃から、漠然とそういうものに対しての感情があったんだと思います。

【インタビュー】おいしくるメロンパンの美しさと危うさが交錯する夏の名曲×5をナカシマが語る

──今のナカシマさんにとって“色水”はどんな曲ですか?

この曲からやりたいことは変わっていないなと思います。直接的には何も言わず、風景や視覚的なもので何かを伝えようとしている。曲に、メッセージよりも、絵画的な美しさを求めている。そういうことをこの頃からずっとやりたかったんだなと思うし、改めて見ると「この時点でできちゃっているな」とも思います。客観的に見ると、「この曲を作った作曲者はこの先どこに進んでいくんだろう?」という感じがしますね。不思議な感覚です。

僕らの曲を聴いて一緒に現実から逃避してほしいな」っていう願いがあった

②look at the sea

──「海」というモチーフもまた夏と結びついて、ナカシマさんの中に深く根を張っているものなのかなと思いました。

この曲も「こういう曲を作ろう」と思って作ったというより、「なんとなく作っていたらできた」という感じでしたね。ちょっとボサノバっぽいというか、「異国情緒のあるものを作りたい」というイメージでイントロのギターフレーズを思いついて、その時点から海のイメージがあったと思います。初期だからこそできた曲だなと思いますね。まだ、おいしくるメロンパンというバンドがあやふやで、自分の中でも探り探りだったからこそできた。こういう恋愛っぽいテーマは、今はあまり使わないなとも思うし。もちろん当時、自分の中にあったから出てきた言葉ではあるんだけど。この曲は気を張っていない、リラックスした状態のおいしくるメロンパンって感じがします。

──歌詞では「~していたい」とか「~していてね」という言葉が繰り返されていく。完結された世界を望んでいる人が、ひたすら願望を告げ続けているような歌詞ですよね。

確かに、ずっと「こうしたい」とか「こうしてほしい」しか言っていない。この潔癖さは、おいしくるメロンパンを構成する要素としてあり続けている感じがする。排他的な感じというか。自分のそういう部分に僕自身が気づいた瞬間だったのかもしれないです。ぼんやりと、なんとなくあった自分の中の思想みたいなものが、この曲によって初めて発露した。だから、思想的な歌詞になっているのかもしれない。

──歌詞の中で「~していたい」、「~していてね」という極めて人間的な欲望の羅列の中で、《look at the sea/look at the flower》と、自然への眼差しが現れますよね。これは何を表しているのだと思いますか?

ここで言っている海や花って、現実の世界の自然というより、僕らが歌詞の中で表現している自然だと思うんですよね。だから「一緒に現実逃避してほしい」という気持ちの表れというか。どちらかといえば、「何も見ないでほしい」と言っているのに近いのかもしれないです。僕自身、逃避するような気持ちで音楽を聴いてきたし、自分で曲を作ることも、自分の曲に陶酔することで現実を忘れようとするという部分があって。僕の曲を聴く人もそういう気持ちで聴いてくれたら嬉しい、という思いはその頃からあったと思うんです。「僕らの曲を聴いて一緒に現実から逃避してほしいな」って、そういう願いはあったと思います。

次のページこの曲では残酷な、逃れられないものとして夏を捉えている
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