ビヨンセのコーチェラ・ライブにおけるブラック・ミュージックの圧倒的な歴史観とは――マーチング・バンドの意味から解き明かす!

ビヨンセのコーチェラ・ライブにおけるブラック・ミュージックの圧倒的な歴史観とは――マーチング・バンドの意味から解き明かす!

ビヨンセが4月にリリースしたライブ作品『ホームカミング:ザ・ライヴ・アルバム』。これはリリース日に同時公開されたNetflixのドキュメンタリー作品『HOMECOMING』同様、2018年のビヨンセのコーチェラ・フェスティバルでのライブを題材としたものだ。この時のライブは記念碑的なものとして絶賛の嵐で迎えられることになったが、特に際立って評価されていた点は、このライブがブラック・ミュージックの歴史を見直しつつ昇華したものだということ、そしてその普遍的なメッセージの伝え方が見事だったという点だ。

では、特にどういった表現がその評価につながったのだろうか?
あの記念碑的パフォーマンスから1年余りが経過した今、ライブ作品とドキュメンタリー映像を堪能しつつ、いくら讃えても讃えきれないほどのとんでもない達成の意味を掘り下げてみたい。

まず、このライブでビヨンセが観客の度肝を抜いたのは、ステージがマーチング・バンドによって埋め尽くされていたこと。この日のビヨンセのバンドはまさにこのマーチング・バンド、さらにコーラス隊、ストリングスという圧倒的な構成になっていた。この壮大なバンドが目指したものは、マーチング・バンドのダイナミズムを最大に引き出し、ブラック・ミュージックの原点を辿るということだったのだ。

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マーチング・バンドといえば、アメリカではアメリカン・フットボール競技のハーフタイム・ショーでのパフォーマンスなどが有名。そのショー・アップされたパフォーマンスがいかにもアメリカらしいが、その源流を遡っていくと極めてブラック・ミュージックの勃興との関わりが深い。というのも、もともとマーチング・バンドは軍楽隊を起源としていて、19世紀のアメリカではその軍楽隊を黒人に託すことが多かったからだ。それは軍が黒人に武器を渡すのを危惧していたこととも関係していて、その影響で、黒人の間では器楽演奏の知識が普及し、奴隷解放令後の19世紀後半から勃興する黒人による芸能エンタテイメントの礎ともなったものなのだ。

そんなマーチング・バンドの魅力を前面に打ち出しながら、自身のキャリアをライブのセットとして見直していったのがこの時のパフォーマンスなのだ。それはまさにブラック・ミュージックの原点を辿りながら自分のキャリアを振り返る、極めて特別なものだった。だからこそ、ライブの終盤ではデスティニーズ・チャイルドとしてのパフォーマンスも披露することになったのだ。


このバンド編成における演奏では、たとえばケンドリック・ラマーが客演した“Freedom”は、ブルース、ゴスペル、R&Bが一体化した超絶的な曲へと新たに変貌してみせたし、ジャック・ホワイトとのコラボレーションとなった“Don’t Hurt Yourself”などは強烈なまでにブルース・ロック的なR&Bとして襲いかかってくる。“Single Ladies”と並ぶ究極の女子応援歌“Run the World(Girls)”では、このマーチング・バンドによるドラム・ライン演奏が醸し出すニューオーリンズ感がどこまでも殺人的にかっこよかった。

こうした演奏そのものにブラック・ミュージックとポップ・ミュージックの歩みを散りばめつつ、あくまでもコンテンポラリーな自身のパフォーマンスとして叩きつけていくところがこのライブの圧倒的なところだったし、ビヨンセならではの力業でもあった。


ほかにもアフリカ系アメリカ人の歴史が散りばめられたディテールはさまざまあったと思うが、このショーを体験するとなんとなくブラック・ミュージックの総体としての魅力に触れたような感動を覚えるところがビヨンセの誇る普遍性だといってもいいだろう。それにしても、スウィズ・ビーツが築き上げたビートにひたすらゴスペル的なボーカルを重ねていく"Get Me Bodied"をドラム・ライン演奏とともに再構成し、雪崩れ込んだ“Single Ladies”でファンクとしてまとめていく演奏は、ビヨンセの意図、ビジョンの確かさと迫力をまざまざと見せつけるものであると、あらためて感動した。(高見展)
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