数多の謎を遺して去っていったプリンス。急逝の半年前にペイズリー・パークを訪れたジャーナリストが、その真の姿に迫る決定版ドキュメント

数多の謎を遺して去っていったプリンス。急逝の半年前にペイズリー・パークを訪れたジャーナリストが、その真の姿に迫る決定版ドキュメント

現在発売中のロッキング・オン5月号では、プリンスのドキュメント記事を掲載!
以下、本記事の冒頭部分より。



「僕を君や他のみんなと同じような人間だと思わないでくれ。僕は今もこれからも、常に誰とも違う。だけど僕が逆を行くばかりだと決めつけられても困る。だからとに書く、僕のことは絶対に理解できないんだ」


2015年11月の凍えるように寒い土曜の夜、私はミネアポリスのありふれた郊外の町で、工業団地とも見まがうような宅地の外に立っていた。金網の向こうにペイズリー・パークが見える。プリンスが1987年以来本拠地としている場所で、中には彼のレコーディングスタジオと、立派なコンサート会場が2つ——一方は広大なホール、もう一方はこぢんまりしたクラブ規模のもの——が備えられている。さらに、もはやほぼ伝説となっている保管庫“ザ・ヴォールト”には、プリンスがリリースする気のない曲が収められている。それは度肝を抜かれるほどの量で、文字通り数千曲はあるはずだと誰もが言う。そしてこの半年後、彼が57歳で命を落とすことになるのもこの場所だ。ヘロインの25倍から50倍の強さを持つオピオイド鎮痛薬フェンタニルの過剰摂取により、彼はエレベーターの中で倒れる。発見されるまで6時間、その遺体はエレベーターに横たわったままだった。

だがそんな未来など、2015年11月にはまったく想像もつかなかった。プリンスは元気に生きていて健康そのものに見え、そしてそう、まさにプリンスならこうふるまうだろうという通りのふるまいを見せていた。おそらく本人には完全に筋の通ったことなのだろうが、彼以外の人間にとっては困惑するばかりの、奇妙な内部論理に従った行動である。私たちが招集されたのは、プリンスが「2日前の夜中にパッとひらめいた」から私たちを寄こすようにと望んだためらしい。

こうして私たちはペイズリー・パークに足を踏みいれることになった。案内されるうちに奇矯さが増していく。傍から見るペイズリー・パークはちょっと面白みに欠け、まるでイケアの店舗のような場所。ところが中はまったく違っていた。彼が1993年に自分の新たな名前としたシンボルマークがあらゆるところに飾られている。天井からぶら下がり、スピーカーやミキサーに描かれ、床にはめ込まれ、ネオンサインの形で部屋を照らす。このスタジオのオーナーと彼の輝かしいコラボレーターたちが描かれた壁画もあるが、正直言っておぞましい。UVライトのみで照らされた部屋の壁には様々な星の絵がきらめいていた。
(以下、本誌記事へ続く)



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