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    イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思い出を語る

    イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思い出を語る

    3月15日に他界したザ・ストゥージズのオリジナル・ドラマーのスコット・アシュトンの思い出をイギー・ポップが語っている。

    『ローリング・ストーン』誌の取材を受けたイギーはスコットとの思い出を振り返っているが、初めてスコットと出会った頃、イギーはまだドラマーでオハイオ州アンアーバーにあるディスカウント・レコードというレコード店の店員だったという。その後、イギーはドラムよりもヴォーカルに専念することを決意するが、スコットに才能を見出していたので自分のドラム・セットを譲って「スタックス=ヴォルトのビートはこういうもんだよ、ボー・ディドリーのビートはこういうもんだよ」と手ほどきもスコットに与えたという。その後、ストゥージズのドラマーとして活躍することになるスコットのドラム・スタイルをイギーは次のように説明している。

    「スコットはボクサーのような威厳を持ってドラムを叩いてたんだ。やろうと思えばものすごくヘヴィーなドラムを叩けたんだよ。ドラムへのアタックもハードだったけど、かといって、見てて肘が上がってるのが見えたことはほとんどないんだよ。つまり、ええかっこしいじゃないってことなんだね。やるべきことをやるのにいろいろ見せびらかすようなことはしないんだ。スコットと演奏する時にはいつでも音がスウィングしててね。スコットが演奏する音楽にはスウィングとしての真実が伴ったし、極端なまでに正直な音楽性が引き出されたもんだよ。

    これはフリーとチャド・スミスもよくわかってくれてたんだけど、スコットは微妙にビートから遅らせていつも叩いてて、ちょっとだけためをいつも作ってたんだよ。そうやってバンドにためを与えて、ほんの微かにね、それで勢いがつくところで前のめりになるのを抑えてくれてたんだよね。そうすると音楽に説得力とトランス状態が生まれ始めるんだよ。そうやってスコットはいつもいつも、いつだって『曲』を演奏してくれてたんだ。ステージに上がって、自分になにができるかってみんなに見せびらかすためにドラムを叩き出すようなことは絶対にしなかったよ」

    ストゥージズはファーストとセカンド『ファン・ハウス』がセールス的に苦戦するとそのままエレクトラとの契約を打ち切られ、活動休止状態に陥るが、イギーはこの時期にデヴィッド・ボウイと知り合うことになり、ボウイのつてでイギリスのコロムビアとの契約にありつき、セカンド・ギタリストのジェイムス・ウィリアムソンとロンドンに渡ってレコーディングを試みるが、この時期、スコットとスコットの兄でストゥージズのオリジナル・ギタリストだったロンの二人とのコミュニケーションはあまりうまくいっていなかったとイギーは振り返っている。イギーは当初ロンドンでミュージシャンを見つけてレコーディングをするつもりだったが、ジェイムスのたっての要望でスコットとロンをロンドンに呼び寄せることになったとイギーは明らかにしている。ただ、ロンはベースへの転向を余儀なくされ、1973年の『淫力魔神(ロー・パワー)』が制作されることになった。

    ストゥージズ解散後もスコットは、イギーとジャム・セッションなどを続けていたというが、イギーの要望でバンド結成についてはしかるべき時期を見極めていたという。その後、J・マスキスのバンドに参加していたロンもイギーとのバンド結成を望んでいると聞くに及んで、イギーはロンとスコットの二人が望んでいるのならとストゥージズ再結成を思い立ち、それを2003年のコーチェラ・フェスティヴァルで実現させることになったと語っている。イギーによれば、再結成してからのバンドのピークは05年から06年にかけての頃だったと振り返っている。

    なお、スコットの死因と2011年にスコットを襲った発作についてイギーは次のように語っている。
    「死因は心臓発作だったんだ。2011年のツアーで起きたことについてはプライヴァシーのため明かせないんだよ。ちょっとした事故に遭って、入院しなきゃならなくなったということなんだ。いろいろ潜伏していた病気も治療することができて、普通で安全な生活を過ごせるところまで回復はしていたんだよ。それに最後のアルバム(『ザ・ウィヤードネス』)でも参加してもらえたしね」

    今後のストゥージズについてイギーは次のように語っている。
    「俺はこのバンドとはもう片を付けたとは言いたくないんだよ。ただ、言いたいのはこのバンドにはいつだってアシュトン兄弟が関わってたってことなんだ。ロンが亡くなった後は、スコットがロンのことも代表していたんだ。それに俺たちが演奏する曲はすべて、ロンがオリジナルのレコーディングで弾いてるような作品だからね。だから、今の俺には、きつきつのリーヴァイスをはいてステージに飛び出て行くだけの動機がみつからないんだ。そこで何を喚けばいいんだっていうね」

    「だから、近い将来にこのバンドで活動する図は俺には見えてこないんだ。それはやっぱり間違ってるから。でも、ひょんなことからいきなり活動が再開するかもしれないということもまたわかってほしいんだよ。それはやっぱり遺族とか、残されたメンバーの気持ちがどう動くかっていうこと次第なんだ。ジェイムス・ウィリアムソンはメンバーの経験があるし、俺は最初からのメンバーだし。だから、現実的な問題と音楽的な真実の具合によるっていうことだね」

    「俺はソロとしてもツアーは予定していないから。向こう数年間はミュージシャンとしてツアーする予定はまったくないんだ。俺はこれまでの40年、ほとんど毎年のようにツアーをやってきたんだ。だから、いずれまたツアーはやるだろうけど、いつになるのかはわからないし、どうやってやるのかも今はわからないんだ」

    「スコットの話に戻るけど、スコットはロンと一緒に実家の地下室で、なけなしの機材とそこそこの夢をもって活動を始めたんだよ。ある意味、二人はまた一緒にそこに戻ったんだね」

    なお、ストゥージズについてはジム・ジャームッシュ監督がドキュメンタリーを製作中で、スコットは生前その作品への出演も果たしていたという。
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