一昨年の11月に開催されたDe La Fantasia 2010以来、3回目となる本イベント。過去2回もそうだったが、今回もやはり、ポップ・ミュージック・フリークのツボを的確に押さえた粒揃いのラインナップとなった。で、それが全て見られるのならいいのだけど、前回の2ステージ制から今回は3ステージ制となり、各ステージで同時にライヴを行う箇所が複数あるタイムテーブルとなったため、物理的にどうしても見られないアクトが出てくるという、過去2回にはなかった贅沢な悩みが生じることとなった(もちろん、その悩んでる時間もまたこうしたフェスの楽しみであるわけだけど)。そうした中、1日中3ステージを行き来して、見ることができたアクトについて、出演順にそれぞれレポートしていきたいと思う。
・青葉市子
1曲目を演奏し終えた後、本人も「人々が楽しんでる声…良いね」と言っていたが、彼女が出演したSTAGE 3は会場のエントランス入ってすぐ、バーカウンターの横という、どうしても演奏者にも聴き手にも演奏される音楽以外の音が聞こえてしまう場所だった。しかし、ライヴが進んでいくうちに、徐々に雑音が脳から消えていき、青葉市子の歌だけで満たされていく感覚に気がついた。歌がそこにいる聴き手ごと空間を掌握していったのだ。この青葉市子というミュージシャン、とにかく声が宿す快楽指数が半端じゃないのである。どんなに曲が激しく展開しても、歌詞がどんな物語を描いても、声が放たれている間はずっとひたすら気持ちいい。最初から最後まで絶えず聴き手を絶頂に導き続ける。歌が上手い歌い手は沢山いるが、ここまで声そのものに恵まれたシンガーは本当に稀有だと思う。彼女のライヴを見るのは初めてだったのだけれど、一発で持って行かれてしまった。
・キリンジ
STAGE 1(スタジオコーストで行われる単独公演などで普段使われるステージ)のトップバッターはキリンジ。オープニング・ナンバーに選ばれたのは、兄・堀込高樹のソロ名義で発表されたものの、キリンジのライヴでも度々演奏されてきた“絶交”だ。キリンジの2人が、田村玄一(ペダル・スティール、ギター)、千ヶ崎学(ベース)、楠均(ドラム)、伊藤隆博(キーボード)ら、ツアーも一緒に回ってきているというバックと絡み合う、バンド・アンサンブルが素晴らしい。特に3曲目“温泉街のエトランジェ”での、高樹のカッティングとうねるベース・ラインがぶつかるスロー・ファンク調のグルーヴは思わずにやけてしまうほど格好良かった。堀込泰行のあのヴォーカルが、あの素晴らしいメロディの数々を歌っているのに、決して歌の独壇場にさせない演奏の熱がどの曲にもあった。音源だと高級なアレンジが包み込んでしまいがちな、キリンジのロック・バンドとしての獰猛な本性が顕になっていたのだ。「良い曲」であることを前提として、そこに激しさや勢いが加わる。この6人の「ライヴ・バンド」キリンジは、凄い。
・JIM O'ROURKE AND BAND
4月に同会場で行われるイベント『I'LL BE YOUR MIRROR』において彼が1999年にリリースした名盤『ユリイカ』の再現ライヴをするという情報が解禁されたことも手伝ってか、会場の外に設置されたSTAGE 2は入場規制がかかり、なんとか入れたテントの中も人が溢れかえっている。このテント、昨年の『I’LL BE YOUR MIRROR』の際も設置されていて、ここで灰野敬二を見て爆音に昇天した印象が残っているのだけど、今日のジム・オルークのライヴでもそれに匹敵する轟音が奏でられた。もちろん、音が大きいだけではない。石橋英子(ピアノ)、須藤俊明(ベース)、山本達久(ドラム)、波多野敦子(ヴァイオリン)という、1月8日にファースト・ライヴにして解散ライヴを行ったはずの彼のバンド「芸害」と同じメンバーが揃ったのだが、彼らは達人レベルのミュージシャンがそろった今日のラインナップの中でも際立って凄まじい演奏を聴かせてくれた。あまりにも多岐にわたるジム・オルークの活動は個別に形容することが難しく、全てひっくるめてポスト・ロックという曖昧なカテゴリーに分類されることが多いが、少なくとも今日のライヴにあったのはロックンロールとさえ呼びたくなるダイナミックで明快なグルーヴだった。もちろん、複雑で繊細な展開もあったが、どの曲にも必ずビートが爆発し、フロアを興奮の渦に巻き込む時間が用意されていたのだ。また、そんなライヴの狭間に、「チョウシハドウデスカ?」とか「オジサンニナッテシマッテカシガオボエラレマセン…」とか、すっとぼけたようなMCを呟き、上手いこと緊張と緩和を作っていたのがとても良かったと思う。意図的にやっていたことではないかもしれないけれど。
・中村まり
SEのカントリー・ミュージックが流れ続ける、木目の椅子が2つとアコギが3本置かれたSTAGE 3に、中村まりとサポートの安宅浩司が登場する。最初に演奏されたのは“From The Other Way Around”。上手い。1940年代からカントリー・シンガーがタイムスリップしてきたかのような味わい深い歌も素晴らしいが、爪弾くアコースティック・ギターがさらにとんでもなく上手い。しかも、それが技術を追求した末に辿り着いたものではなく、好きな音楽を演奏するために必要不可欠だったものであることが、とても楽しそうに演奏する姿から伝わってきて、見ていて何度も胸が熱くなった。ロックという発明は伝えるべきことや一発逆転のアイデアがあれば必ずしも楽器がちゃんと弾けなくてもいいという原理をポップ・ミュージックにもたらしたが、彼女が愛するのは専らがそのロックが誕生する以前の音楽であり、それゆえに彼女はここまでの技術を身につけざるを得なかったのだろう。過去の優れた音楽をそのままの形で復元するにはこれほどの必死さが必要で、だからこそそれが成されたときに尋常でない凄みが宿るのだ。今日のライヴではブラインド・アーサー・ブレイクの“Diddy-wa-Diddy”とボブ・ディランの“Don’t Think Twice Its Alright”という2曲のカヴァー曲が演奏されたが、それらと彼女のオリジナル曲とでクオリティや雰囲気の差がほとんどなかったことが、彼女が今いる高みを示す何よりの証だと思う。
・細野晴臣
登場し、第一声は「ちょっと死にそうなんだけど…」。会場にどっと笑いが溢れる。また、最高級のサウンドシステムで鳴らしたレコードのようなファットな音質でもって1曲目“LOVE ME”を演奏し終えたあとには「演奏するときには3つのモードがあって、本番イケイケムードと、リハーサルスタジオモード、そして今ぼくは、ベッドルームモードです」というMCもあったりと、とことんマイペースである。もちろん、この広いスタジオコーストの、しかもパンパンに埋まったフロアを前にそんなことを言えるのはこの人くらいのものだろう。演奏も、ベッドルームモードという言葉通り一見には何の気負いもなく、淡々と歌い、アコギを弾いているように見える。しかし、そうして放たれる音に満ちる重厚な緊張感といったら。あれだけ人が集まりながら、演奏中観客の誰も会話したり物音を立てたりしていなかったのがとても印象的だったのだが、それは「細野晴臣がやっているから」ではなく、「そういう音が鳴ってるから」起きたことだと思う。そんなある意味理想的な空間の中で進んだライヴにおいてハイライトとなったのは、はっぴいえんどの名曲“しんしんしん”。曲の締めで≪誰が汚した≫と繰り返す部分の最後の1回を≪僕が汚した≫と歌っていた。その瞬間、自分も含め、半径3メートル以内にいた人間のほとんどが悶絶しているのが分かった。つくづく凄い曲、凄い人である。
・THE HIGH LLAMAS
本日のヘッドライナーはハイ・ラマズ。前回の来日が六本木ビルボード、前々回が渋谷O-WEST & NESTだったため、恐らくハイ・ラマズの日本での公演としては最大規模のライヴになったと思う。彼らもあれだけの人数を前にライヴをするのが嬉しかったのか、曲が終わる度に何度となく「アリガトウ!」と繰り返していた。もちろん、曲が終わる度に礼を言いたくなるのはこちらも一緒だ。何といっても、演奏されるのがもれなく良い曲なのだから。ワウ・ギターがフィーチャーされたり、鉄琴奏者がマラカスを振ったり、ベースとドラムが2人とも楽器をタンバリンに持ち替えたりと、曲によって色々とバンド形態は変わっていたが、どれだけアレンジが変わろうと曲自体は徹底的に一貫してブライアン・ウィルソン・スタイルのグッド・ポップ・ソング。ショーン・オヘイガンがブライアン・ウィルソンにどれだけ傾倒し影響を受けているかは大変に有名だし、またスタジオ盤の数々を聴いても十二分に伝わってくるが、生で楽曲に触れると改めてその「ブライアン・ウィルソン度」の高さに驚かされてしまった。この上なく美しい上モノに対し抗うかのようにおどろおどろしく響く低音の置き方とか、ブライアンがぶっ壊れていた時期のビーチ・ボーイズを完璧に再現している。ただ、決定的に異なるのが、狂気の有無。ブライアンがあのサウンドを生む根源となった狂気、それはハイ・ラマズのサウンドのどこにも見つからないものだ。しかし、そのことが物足りなさに繋がるかというと、(他の時期の音楽的な豊かさを知っていてもついその時期のビーチ・ボーイズにばかり執着してしまう自分のような人間にとってさえ)まるでそうではないのだ。なぜそんなことが出来るのか。それは、彼らがそのスタイルに同化しきっているからだ。ある意味ストーンズやAC/DC並みに愚直に、自分の愛する音楽の型を信じ、やり続けたことによって、彼ら自身がその型そのものになったのである。だから、「ブライアン・ウィルソンみたいな曲」ではなく、「ブライアン・ウィルソンを心底愛するハイ・ラマズの曲」として、聴き手の心を揺さぶることができるのである。ポップ・ミュージックを愛するバンドがポップ・ミュージックを愛するリスナーの前に立つのだから、そこに幸福が宿らないはずがない。「伝説!」とか「圧勝!」みたいな派手な言葉は使わず、ただただ静かに「見れて良かった」と心の中で何度も反芻したくなる、温かいライヴだった。(長瀬昇)
De La Fantasia 2012@新木場スタジオコースト
2012.02.04