現在発売中のロッキング・オン8月号では、スライ・ストーンのインタビュー記事を掲載。
以下、本インタビューの冒頭部分より。
「俺は核心を突いている時こそ、俺でいられる」
19年、スライの主治医は、彼に厳しい最終通告を突きつけた。「もしこのままクラックを吸引し続けたら、肺がぶっ壊れるか、死ぬかもしれないと言われた」と、今日のインタビューでスライは振り返る。しかし、彼はこれを頑として認めず、無理やり病院を出ては帰宅し、ドラッグディーラーに連絡を取っていた。だとしても、彼は伝説的なミュージシャンのスライ・ストーンであり、その伝説の少なくとも一部は、自分がやりたくないことを断固として拒否する姿勢から生まれていたのも、間違いない事実だ。
ほぼ独力でソウルミュージックの形を塗り替えた直後、成功の頂点に達していた時期、彼はその音楽に加えて、「自分の命令に従えないなら出て行け」という不遜な態度でも、よくも悪くも名を馳せていた。68年の『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』は、サイケデリックソウル時代の幕開けを告げ、多くのメジャーな黒人アーティストに路線の転換を迫った。
一方で、70年以降のスライは、機材が要求するレベルに達していない、気分が乗らないといった理由で、土壇場でライブをキャンセルすることもしばしばだった。レーベルが予定し、プロモーションを始めていた『The Incredible and Unpredictable Sly and the Family Stone』という名のALもリリースされずに終わった。その代わりにスライが作り上げ、71年にリリースされたのが、暗く、難解で実験的な『暴動』だ。(以下、本誌記事へ続く)
スライ・ストーンの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』8月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。
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