ロビー・ロバートソンが亡くなる。マーティン・スコセッシが追悼、「愛する人ともう十分一緒に過ごせたと思えることは絶対にない」。

ロビー・ロバートソンが亡くなる。マーティン・スコセッシが追悼、「愛する人ともう十分一緒に過ごせたと思えることは絶対にない」。 - Ⓒ TIFF 2019 Ⓒ TIFF 2019

ザ・バンドのリーダーであるロビー・ロバートソンが、8月9日にロサンゼルスで亡くなった。彼のマネージメントが発表している。享年80歳。

彼のマネージャーを34年間務めたJared Levineによると、

「ロビーは、亡くなった時に、彼の家族、妻のジャネット、元妻のドミニク、パートナーのニコラス、そして彼の子供たち、アレキサンドラ、セバスチャン、デルフィン、そしてデルフィンのパートナーであるケニーに囲まれて亡くなりました。

ロバートソンは、最近、彼が音楽を手がけた14本目の映画となる、彼が頻繁にコラボレートしてきたマーティン・スコセッシ監督の”Killers of the Flower Moon”を完成させたところでした。遺族は、花を贈る代わりに、Woodland Culture Center(カナダにある先住民の文化を保存するためのカルチャーセンター)を支援するための寄付をお願いしています」

https://www.sixnations.ca/
https://woodlandculturalcentre.ca/

ロバートソンとは、ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』(1978年)の撮影で知り合ったマーティン・スコセッシも、追悼を発表している。

「ロビー・ロバートソンは、長年にわたり、私の人生においても、仕事においても、最も親しい友人の一人でした。彼はいつでも、私にとっては、誰にも話せないようなことを話せた人であり、良きコラボレーターであり、アドバイザーでもありました。私は、自分も彼にとって同じであるように努めました。私たちが出会うずっと前から、彼の音楽は私の人生の中心的存在でした。それは私だけではなくて、世界中の何百万人の人達にとっても同様だったと思います。

ザ・バンドの音楽と、それからロバートソンのその後のソロ作品というのは、この大陸と、その伝統、悲劇と、喜びの、中心の最も深い場所から鳴り響いているように聴こえました。言うまでもないことですが、彼は、偉大なる人であり、彼の音楽が与えた影響は、深く長きに及ぶものです。愛する人ともう十分一緒に過ごせたと思うことは絶対にありません。私は、ロビーを愛していました」

スコセッシが、『ラスト・ワルツ』を監督した後、ロバートソンは、『レイジング・ブル』(1980年)をはじめ、今年カンヌ映画祭で上映された最新作”Killer of the Flower Moon”まで、スコセッシの代表作の音楽を何作も担当している。『キング・オブ・コメディ』(1983年)、『ハスラー2』(1986年)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)、『ディパーテッド』(2006年)、『シャッターアイランド』(2009年)、『沈黙ーサイレンス』(2016年)、『アイリッシュマン』(2019年)など。

2019年にトロント映画祭に行った際に、ロビー・ロバートソンとザ・バンドのドキュメンタリー映画『Once Were Brothers: Robbie Robertson and The Band』が世界初上映されたので、私もそこで観た。そこにロバートソンも、プロデューサーをしたスコセッシも登場した。

https://rockinon.com/blog/nakamura/189336


上映後に、2人のコラボレーションについて、ロバートソンは、「ミステリーで、毎回白紙から始まるのだけど、マーティにはいつも、『とにかく普通の映画音楽以外だったらなんでも良いから』と言われたんです」と語っていた。「『レイジング・ブル』の時に、ここに少し音楽が欲しいのだけど、とお願いされて以来、40年以上も一緒にコラボレーションをしています」。

またスコセッシは、『Once Were Brothers』について、「自分は、ザ・バンドの音楽が好きで、『ラスト・ワルツ』ではそれを撮るのに必死でしたが、彼らにこのような背景、結びつきがあるのは知りませんでした」と語っている。

またこの時、『ラスト・ワルツ』の特別上映も行われて、ロバートソンとスコセッシが登場した。

ロバートソンは、

「これが事件の起きた現場です。映画は好きですか? 音楽は好きですか? だとしたら正しい場所に来ました。この映画が、このような作品に完成したのは、ほとんど魔法かまたは偶然だったようにしか思えません。マーティン・スコセッシの偉大さがなかったら、これとはほど遠い作品になっていたと思います」

スコセッシは、

「ここにいる人達はもうこの映画を観たことがあるんじゃないかと思いますが、でもこの映画は劇場で観るべき作品なので、今回は本当に意味があることだと思います。少しだけ背景を話すと、私は、ロビーの音楽は彼に会う前か知っていて、大好きだったのですが、パフォーマンスを観たことはなかったのです。初めてパフォーマンスを観たのは、多分ウッドストックだったと思います。あの夜だったと思います。

その後、彼は、『ミーン・ストリート』(1973年)を観てくれて、ジョン・タプリン(プロデューサー)から電話がかかってきました。『ザ・バンドがコンサートをやるんだけど、その撮影をしたいか』と。しかし私は、『ニューヨーク・ニューヨーク』(1977年)の撮影などで忙しくて無理だと思っていたのです。でも、彼に会ってみて、面白かったのは、映画にするというよりも、いかにしてそれをドキュメントして記録に残すのかについてすごく面白いアイディアが浮かんだことです。16mmで撮影するかとか、またはビデオで撮影するとか、色々な場所にカメラを置いて撮影するなど。それで、最終的には、35mmで撮影するというアイディアに落ち着きました。というのも、その時点で、こういう内容を、35mmで撮影した人はいなかったからです。あまりに難しいから。

実際、フィルムが途中で切れてしまうので、切れ間なく全てを撮るためには、事前に計画して、カメラの配置を考えなくてはいけませんでした。それでコンサートは7時間続いたと思います。だけど、結果的には映画は、すごくオーガニックなものになりました。2年間かけて自然に形になっていったのです。ライブが行われたのは76年でしたが、映画が公開されたのは78年でした。結果的にはすごくスペシャルな作品になりました。私たち2人の親しい関係もそこから始まりました。彼は、『アイリッシュマン』も含め、私の作品の音楽を数々手がけてくれました。

この映画は、その当時の私の命を救ってくれた作品でもあります。だから私個人にとっても、とりわけ特別な作品なのです。今回この映画を、観客のいる劇場で紹介できてすごく嬉しいです」

ロバートソンの、最後のアルバムは、2019年の『Sinematic』になる。また、今年は、彼が音楽を手がけたスコセッシ監督の最新作も公開される。すでにオスカー候補と言われている。


ボブ・ディランも何かしらの追悼を発表するのではないかと思うけど、今のところまだ発表されていない。

心よりご冥福をお祈りします。

追記(8月16日)

ボブ・ディランと、ブルース・スプリングスティーンも追悼を発表した。

まずボブ・ディラン。

「非常にショックなニュースだ。ロビーは私の生涯の友人だった。彼が亡くなったことで、世界に空白が残った」

そしてブルース・スプリングスティーン。亡くなった日に行われたシカゴのライブで、最後に”I’ll See You In My Dreams”を彼に捧げた。

「死で終わりではない
君に夢で会えるから」と歌っている。

この曲がスプリングスティーンにとってどんな意味があるのかは、こちらでさらに詳しく紹介されている。




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