モリッシーが激怒のコメント発表。「メディアも、音楽業界も、シネイド・オコナーが生きていて、助けが必要だった時に、誰も助ける勇気がなかった」と。

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シネイド・オコナーが亡くなって、数々のミュージシャンが追悼を発表しているが、昨日のガーベッジ、ベス・オートンに続き、
https://rockinon.com/blog/nakamura/206887

モリッシーも長文で激怒のコメントを発表している。実は、昨日誰よりも先にアノーニも怒りと悲しみのコメントとそのまま歌を歌う投稿をしていたのだけど、それはすぐに消されていた。

モリッシーのコメントは以下の通りだ。
https://www.morrisseycentral.com/messagesfrommorrissey/you-know-i-couldn-t-last

「彼女にだって、どれだけ”自分”を与えられるのか、限界がある。彼女は、レーベルのために700万枚ものアルバムを売ったのに、レーベルとの契約は切られた。
彼女は、確かに、気が狂ったとは思うけど、でも、つまらなくなることはなかった、絶対に。彼女は何も悪いことはしてない。彼女には誇るべきか弱さがあった。
だけど、場に適合しない(私も重々承知だ)シンガーに対する嫌悪というものが存在する。そして、その人たちは彼女が亡くなるまで、褒めることはなかった。
彼らがつまり、とうとうそれに答える必要がなくなるまでは。

今日愚か者が、シネイドを”アイコン”とか、”レジェンド”と言った言葉で褒めているけど、あなた達が今彼女を褒めているのは、もう”手遅れ”だからに過ぎない。
彼女が生きていて、必要としている時には、彼女を助ける勇気がなかったじゃないか。

プレスはアーティストを厄介者のように呼んだりする。そしてシネイドを、悲しくて、太っていて、ショッキングで、狂ってる..と呼んでいたけど、ああ、でも今日は違う!
彼女をレーベルから外しながらも、最高の笑顔を浮かべていた音楽業界のCEOたちは今日、彼女を”フェミニスト・アイコン”と呼ぶために列を作っている。
それから、15分だけの名声があるセレブリティや、地獄からきたゴブリンたちや、人為的な多様性に興奮する人達が、ツイートからツイートへ、しきりに呟いている。

シネイドに諦めるように言ったのは、『あなたたち』だったじゃないか。彼女がレッテルと貼られるのを嫌がったから、彼女は価値を下げられた。世界を動かす少人数の人達の価値が下げられるのと同様に。

シネイド・オコナーが亡くなって驚いている人がいること自体がおかしいではないか?
だって、誰がジュディ・ガーランドを、ホイットニー・ヒューストンを、エイミー・ワインハウスを、マリリン・モンローを、ビリー・ホリデーを救えるほどの思いやりがあっただろうか?
死が最高の結果と思えてしまったら、それ以外一体どこに行けばいい?
この音楽の狂気は、シネイドの命に値したのか?
いや、そんなことはない。

彼女は挑戦者だった。
そして一定の枠に入ることができなかった。彼女は、誰もが安全に沈黙を貫いている時に、言葉にする勇気がある人だった。彼女は、単純に彼女らしくあっただけで、嫌がらせを受けたのだ。だから彼女は瞳をとうとう閉じたんだ。自分のものと呼べる魂を追求するために。

そしていつものように、ダサいストリーマーは、肝心な点を外してその弱い顎で、侮辱的にバカな”アイコン”と”レジェンド”という言葉に戻っていく。先週はもっと残虐で侮辱的な言葉を吐いていたんだろう。
明日は、媚びへつらう奴らが、オンラインのクソ投稿や、居心地の良い癌のカルチャー(*キャンセルカルチャーの間違いかも)や、モラルの高さや、オウムの嘔吐みたいな追悼に戻っていくだろう……だけど全ては今日みたいな日に、全て嘘だとバレるんだ……シネイドには、お前たちの不毛なばらまきなど必要ないから。

モリッシー
2023年7月26日」



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