ビースティ・ボーイズにちなんだ交差点の命名案、地区委員会で否決に
2014.02.01 21:30
ビースティ・ボーイズの1989年のセカンドで傑作としても名高い『ポールズ・ブティック』のジャケット写真に使われている一角をビースティ・ボーイズにちなんで命名し直すという請願運動が行われていると昨年末に伝えられていたが、この請願がマンハッタン区の第3地域委員会で却下されたとニューヨークのローカル・ニュース・サイトの「DNAインフォ」が伝えている。
ジャケット写真の場所はマンハッタン区のロウアーイースト・サイド(南東部)にある、ラドロウ通りとリヴィングトン通りの交差点で、発起人のリロイ・マッカーシーはここを「ビースティ・ボーイズ・スクエア」と名付けようと請願を起こし、1月14日に委員会にかけられ、一旦審議は見送られたが、その後、27日に委員会の緊急投票にかけられ否決されたという。
道路などの命名は特に交通及び公共輸送委員会で審議にかけられることになっているが、14日の時点では委員の大半から支持を取り付けるのは難しそうな気配で、命名に必要な条件もクリアーしていなかったので、マッカーシーは一旦請願を持ち帰り、問題の交差点近隣住民の署名を150人分以上集めて2月に再度請願を提出するように指示されたという。
しかし、その後27日に委員会で投票が行われてしまい、マッカーシーは「めくらましにあった」と語っている。実際、署名もその後200名以上集めることに成功しているとマッカーシーは明かしていて、「要求されただけの材料を提出する機会まで奪われてしまった」と訴えている。「そういう約束だったのに、委員会に話を聞いてもらうこともできなくなった」とマッカーシーは語っている。
その一方で委員長を務めているジジ・リは投票が行われたのは、名称変更には相当に高いハードルを超えることが必要で到底それには見合わない案件だと判断されたからだと説明している。また、マッカーシーにメールで投票での否決を伝えた地域担当のスーザン・ステッツァーは「これ以上労力を費やしてその後に2月に結局否決されるようなことにならないように」投票は時期を早めて行われたとメールの中で説明していたという。
しかし、投票で改名案賛成のわずか1票を投じたチャド・マーロウはいくら委員会の見解では改名に否定的でも、マッカーシーに対しては約束通り2月に委員会に出頭させるべきだったと語っている。
なお、投票でいったん否決されてしまうと、向こう5年は請願をできなくなる規定になっているが、マッカーシーは2月に入ったら委員会に出向く意向だという。