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キース・ムーン(ザ・フー)
キース・ムーンを嫌いなロック・ファンなんているんだろうか。それほど愛されたロック界きっての天然児であり問題児であり奇人変人でもあった。所構わず炸裂する奇行の数々。相手の迷惑など考えず好き放題に振る舞う。困った奴だと思いながらも、でも憎めない。その破天荒でデタラメなプライベートでの行状は、それだけでこの欄が埋まってしまうほどエピソード豊富だ。目の前にいる人をとにかく喜ばせたい、という思いは、しばしば、いやしょっちゅう度を過ぎ、やり過ぎてしまう。
キースの場合、そのキャラとドラム・スタイルが完全に一致しているのが素晴らしい。音は人なり。プレイ・スタイルこそがその人の人間性を物語る。とりわけドラマーにはそういうタイプが多い気がするが、キースはそういう意味でもドラマーらしいドラマーだ。彼のとにかく手数が多く音がバカでかく、エネルギッシュでパワフルだがリズム・キープというドラマーとしての基本にはまったく頓着せず、気の向くまま、衝動のままに自由に叩き続けるスタイルは、ザ・フーというバンドにフィットしていたと言える。他のメンバーがそれを許容していたというよりも、ザ・フーの曲自体が、バンドの基盤自体がキースという型破りなドラマーの存在を前提として組み立てられていた節もある。キースがリズム・キープを放棄している分、寡黙なるベーシスト、ジョン・エントウィッスルの存在感が強くなり、ピート・タウンゼントのプレイはリズム・ギター中心となる。いわばキースに好き放題やらせるために、バンド全体が奉仕しているような印象さえある。まさに「リード・ギター」ならぬ「リード・ドラム」である。
曲を書くわけでもなく、歌うわけでもないのに、キースはバンドの中心であり象徴だった。たぶんキースの好き勝手なドラミングで一番やりづらかったのはロジャー・ダルトリーと思われるが、それでもやりづらい、歌いにくいキースのプレイこそがバンドの原動力であることを理解していたはずだ。そんな奇妙なバンド、そんな奇妙なバランスはザ・フーだけだろう。だがだからこそ、ザ・フーのロックは他のどのバンドにも真似できない、追従できない強烈な個性と爆発的なエネルギーがあった。
そんなキースというプレイヤー、そしてキャラクターを知るには、DVDにもなっている映画『キッズ・アー・オールライト』を観るのがてっとり早い。その奇行、陽気で開けっぴろげで、人なつこくて、それでいて寂しがりな人となり、なによりその破天荒なプレイは、実際に動いている映像を観れば一目瞭然だ。ザ・フーとは偉大なる変わり者(キースとピート)と偉大なる凡人(ロジャーとジョン)の集まりだ、という説もうなずける。
アルバムでどれか1枚、というならライブということになるが、ここではあえて『フーズ・ネクスト』(1971年)や『四重人格』(1973年)といったザ・フー中期のスタジオ・アルバムの傑作群を挙げたい。ピート・タウンゼントの作る緻密でドラマティックな楽曲、ピークに達していたバンドの演奏能力、そして全員の気力とクリエイティビティの充実が、キースの狭い枠組みに収まらない規格外の個性やエネルギーをうまく組み込んで、スケールの大きな作品へと昇華している。『トミー』の成功がザ・フーを英国の一介のビート・バンドから世界の最重要バンドへと成長させ、『フーズ・ネクスト』が、課題だったライブのエネルギーとスタジオでの緻密なサウンドの融合を実現させたとすれば、『四重人格』は、それらすべてを高次で止揚した、彼らの集大成ともいうべき記念碑的傑作であり、キースはその個性的なスタイルを堅持しながらも、より完成度の高いプレイで大きく貢献しているのである。
その放埒なライフスタイル、酒やドラッグへの過剰な耽溺で、晩年のキースの体はボロボロになっていて、プレイにも支障をきたしていた。遺作となった『フー・アー・ユー』のレコーディング時にはすでにまともに叩けない状況になっていたらしい。このアルバムの発表直後にキースは急死するが、「たとえキースが生きていたとしても他のドラマーを雇わねばならなかったろう」とピートは語っている。つまり、ピートにとってのザ・フーは、キースが死ぬ前に終わっていた。
ザ・フーはケニー・ジョーンズを後任に加えてその後も続いた。だがピートは明らかにザ・フーへの熱意を失い、キース時代の最高の瞬間が味わえないとロジャーは嘆いた。後にケニーは「キース以外にザ・フーに相応しいドラマーなんていない。精神的な穴は俺には埋められない」と語った。そして1983年6月、ザ・フーは解散するのである。(小野島大)
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