ビートルズのレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリックが逝去。ポール・マッカートニーらが追悼コメントを発表

ビートルズのレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリックが逝去。ポール・マッカートニーらが追悼コメントを発表

ザ・ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や『アビイ・ロード』、『リボルバー』を手掛けたオーディオ・エンジニア、ジェフ・エメリックが現地時間10月2日に亡くなった。エメリックの代理人が「Rolling Stone」に伝えたところによると、死因は心臓発作だという。享年72歳だった。

エメリックのマネージャーであるWilliam Zabaletaが投稿した動画によると、エメリックは彼と電話中に突然具合が悪くなり、すぐに911に電話したが、救急車が到着した時にはすでに遅かったと次のように述べている。

ジェフは長年心臓が悪かった。ペースメーカーを付けていたけれど、その時が来てしまった。我々は1人のレジェンド、僕にとっての親友であり、良き師である人を失った。



この訃報を受け、ポール・マッカートニー公式サイトに追悼のコメントを寄せている。コメントの内容は以下。

僕が初めてジェフに会った時、彼はアビイ・ロード・スタジオで働く若きエンジニアだった。(中略)僕たちはスタジオで数多くのエキサイティングな時間を過ごし、彼は一度も期待を裏切らずに僕らの望み通りの音に仕上げてきた。

ザ・ビートルズのあとも僕は彼との仕事を続け、彼が美しい妻ニコルと結婚する時には、僕たち家族が住んでいた田舎の家の近くの教会で式を挙げるほど、僕たちの友情は育まれていた。

『バンド・オン・ザ・ラン』を作る時も、ナイジェリアのラゴスまで一緒に来てくれた。半分しか完成してないスタジオに到着して、僕は持参した何枚かの45回転のレコードを彼に聞かせて、このアルバムで目指したい方向性を説明したのを覚えているよ。

(中略)今年に入ってからも、僕たちが『エジプト・ステーション』の仕上げをしていたロサンゼルスのHenson Studioを彼が訪ねて来てくれた時に会って、その時はいつも通り明るくフレンドリーで、僕たちが聴かせたミックスにもグーサインをくれたんだ。

僕は彼のことをいつだって深い愛情と共に思い出すだろうし、彼の仕事が音楽通の人たちの記憶に長く留まるだろうということを、僕は知っているよ。

ジェフ、たくさんの愛を込めて、君と知り合えて光栄だった。
ポール


さらに、ジャック・ホワイトもサード・マン・レコードの公式Instagramを通して追悼のコメントを発表している。


今日、世界は1人の芸術の巨人を失った。ジェフ・エメリックは音楽史において最も重要で、正しく評価されていないヒーローの1人だった。

最初にレコーディングでマイクをバスドラムやストリングスの近くに置いたのは彼だったかもしれないんだ。彼が手掛けた“Strawberry Fields Forever”はレコーディング技術を永遠に変えた。

彼のいくつもの判断は、その功績を認められることなく、陰からポップ・カルチャーに影響を与えたんだ。『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』という本を探してみてほしい。サー、安らかにお眠りください。


エメリックは1962年9月、EMIスタジオ(現アビイ・ロード・スタジオ)でアシスタントとして働き始めた翌日に、弱冠16歳で初めてザ・ビートルズと仕事をしたという。

その後数年間は様々な仕事を受け持つ傍らでザ・ビートルズ初期のセッションを手伝い、それらはのちに“She Loves You”、“I Want to Hold Your Hand”といった楽曲へと結実した。

そして1966年、ジョージ・マーティンがザ・ビートルズのサウンド・エンジニアとしてエメリックを抜擢、彼が最初に手がけた曲は『リボルバー』の“Tomorrow Never Knows”だった。
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