いかにしてエミネムはスターに? エミネムとドクター・ドレーが初めて会った日の秘話を語る
2017.07.18 17:00
8月に行われる「レディング&リーズ・フェスティバル」にヘッドライナー出演するエミネムだが、自分を世に送り出したドクター・ドレーに初めて会った時やふたりで初めて制作したシングル"My Name Is"を書いた時のことを振り返っている。
エミネムはドクター・ドレーと現在はアップル・ミュージックの代表となっているジミー・アイオヴィンとの絆を振り返ったドキュメンタリー番組『The Defiant Ones』用のインタビューにおいて、ドレーと初めて会った時のことを語っている。
もともとインタースコープ・レコードの代表だったジミーは1997年にドレーにエミネムのテープを聴かせたところ、すぐにドレーがエミネムの獲得に動いたことで知られている。
ジミーがドレーに聴かせたのはエミネムがインディーとして制作した『Slim Shady EP』であり、ドレーは自身のアフターマス・エンターテインメントにエミネムと契約させると、エミネムのアルバム『ザ・スリム・シェイディLP』を1999年にリリース。
たちまちエミネムをヒップホップ界のスーパースターへと押し上げることになった。
エミネムとドレーは初めて会った時のことを次のように番組の中で回想している。
ドレー「エミネムが部屋の中に入ってきたらものすごい明るいイエローのスウェットでさ。フード付きのパーカーからパンツまで全部その明るいイエローなんだ。俺も、『こいつ、すげーな』って感じで」
エミネム「俺は目の前のドレーを見て、『俺、あんたのこといつもテレビで観てんだけど……しかも、俺の人生で最大級の影響のひとつなんだけど』って言ってね」
ドレー「それで俺はこう言ったんだよ、『おまえさ、俺これ(『Slim Shady EP』)聴いたけど、これマジでとんでもないし、おまえと是非一緒にやらせてもらいたいんだ』ってね。
当時は自宅にスタジオを用意してあったから、そこでサンプリングをいくつか急遽仕込んでドラム・マシーンでビートを作って、エミネムをそこに呼んだんだよ。それで『このサンプリング作ってみたから好みかどうか教えてよ』って訊いて、音源をかけて、2秒か3秒して、もういきなり『Hi, My name is, my name is』って"My Name Is"のつかみを繰り出し始めたんだ。そこで俺ももう『ちょっと待った! 鉄は熱いうちに打つぞ』っていきなり作業を始めたんだ。それが俺たちが初めて会った最初の日に、スタジオでの最初の数分間のうちに起きたことだったんだよ」
なお、ドレーとジミーの関係はドレーが1991年にN.W.A.を脱退してデス・ロウ・レコードを設立し、その独占的な配給をジミーが切り回していたインタースコープに託した時にまで遡る。
その後、ウェスト・コースト・ヒップホップを牽引したデス・ロウとインタースコープは一時代を築き上げることになった。
その後ふたりはヘッドホンで有名なビーツ・エレクトロニクスを創業、さらにはナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーを引き込んで自社開発したストリーミング・サービスがその後、アップル・ミュージックに買収継承されることになり、ジミーはアップル・ミュージックの代表に収まることになった。
「HBO」で放送された今回のドキュメンタリー『The Defiant Ones』は4部構成で、ドレーとジミーのキャリアを振り返りつつ、ふたりの絆をも描き出すものになっている。
ブルース・スプリングスティーン、U2のボノ、グウェン・ステファニー、スヌープ・ドッグ、アイス・キューブら、ふたりと関わってきたアーティストがインタビューに応じているという。
ちなみに『The Defiant Ones』とは1958年のアメリカ映画『手錠のまゝの脱獄』の原題を借用したもので、この映画は手錠に繋がれたままの白人と黒人囚人のふたりの監獄からの脱獄ストーリーを描いたものだった。
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