ちなみに日本人のカズ・マキノとイタリア人の双子のパーチェ兄弟からなる3ピースで、ベースレスなこのブロンド・レッドヘッドのことを、私はちょっと前までブレイン・ミュージックと捉えていた節があった。昨年の4ADのイヴェントで観た時にも、アルバムの世界観のダイジェスト的な意味合いをより強く感じて、ライヴならではのプラスアルファは少ないバンドであるという偏見を強める結果になった。
しかし、今回の単独公演は違った。ドリーム・ポップの「夢」と「夢が醒めた後」の両方を描写した傑作だった最新作『ペニー・スパークル』のモードもあったのだろうが、答えなきエクスペリメンタル=夢の先に、ロックのカタルシス=夢が醒めた後がきっちり描かれ、そこにはライヴならではの快感が初めて色濃く存在するようになっていた。
とは言え、オープニングの号令みたいな儀式を無視してぬるっと始まるブロンド・レッドヘッドの流儀はこの日もいつも通り。赤いライトで照らされた薄暗く官能的なステージにピコピコとそっけない打ち込みが不規則に踊り、そこに気だるく舌っ足らずなカズのロリポップな歌声が乗る。ブロンド・レッドヘッドは敢えてロックの定型文的カタルシスをはずしにかかるバンドであり、その抽象性がアルバムでは異様に面白く深読みできるけど、ライヴではいまいち伝わりづらかったわけだが、この日の彼らは捉えどころのない抽象が一気に具体へと転じる演出を随所に設けていた。気づけばピコピコのアブストラクトなエレクトロは鉄壁の意思の塊みたいなバスドラのアタック、ギャンギャン荒ぶるノイズ・ギター、そしてビョークばりの生命力を放出するカズのヴォーカルの饗宴へと変貌を遂げていた。
その後も一寸先が読めない躁鬱気味な演奏が続く。彼らはロックの定型外の独自のカタルシスを新たに設けたということなのかもしれない。さっきまで陶酔サイケデリックだったはずが一瞬にして醒めまくったポスト・パンクに移り変わったと思えば、エスノなリズムで煽りたてていたはずが次の瞬間にはフォーキーな美メロを朗々とカズが歌い上げている。気まぐれな猫みたいに、いや、気まぐれな猫がいきなり虎に化けるみたいに、ブロンド・レッドヘッドの最新ライヴは最高にスリリングな代物へと生まれ変わっていた。
ショウもエンディングに近付いてきたところでカズのMCが挟まれる。英語で「サンキュー・フォー・カミング」的なことを言ってから「私なんで英語で喋ってるんだろう」と自らボケ、ツッコミ、笑いを誘った彼女は改めて日本語で話し始めた。「今日は来ていただいて本当にありがとうございます。私たちは……ずっと、うん、日本ではちょっと(人気がない)……みたいな感じがしていたので(笑)、こうやって2年続けて日本に来ることができて嬉しいです。ありがとう」。こんなにぶっちゃけたMCは初めて聞いた気がするが、その後、イベンターをはじめとする彼女達を日本に呼ぶべく尽力したスタッフの人達への感謝の言葉が続く。すごく素直で正直なカズさんのこのMCを経て、NYインディの至宝たるブロンド・レッドヘッドと私達日本のファンの距離が一気に近付いた気がした。一方のアメデオは片言の日本語で「ワタシハイタリアンソーセージ(双生児)デス」と渾身のギャグをかまし、こちらも大ウケだ。
アッパーかつノイジーな曲が連打されたフィナーレはまさに「夢が醒めきった後」の風景だった。結局、2回のアンコールを経て実に2時間近い濃厚な一夜となった。ブロンド・レッドヘッドと日本の関係も、今回のツアーを経て次のステージに上がることになるんじゃないだろうか。(粉川しの)